佐々井秀嶺というインドの英雄
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ナグプールに途中下車したその理由。
プリー〜アーメダバード間が遠すぎた(36時間)ということもあるのですが、なによりもナグプール在住の僧・佐々井秀嶺さんという人に会ってみたかったから。
ナグプールという、インド仏教の精神的中心地で、最高指導者として仏教徒の先頭に立つ佐々井さんに、一度お会いしてみたいとかねがね思っていたのです。
この人の数奇な人生のことを書き始めると本が何冊も書けるでしょう。
実際自著他著含めて何冊も出版されていますので、長々とした説明は省きます。
2009年に44年ぶりに日本に帰国(現在の正式な国籍はインド)されたので、そのときテレビや新聞などで見た方も少なくはないはず。
集英社 (2010-10-15)
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NONFIX: 男一代菩薩道2~佐々井秀嶺 44年ぶりの帰郷~
インドの3偉人と呼ばれ、現在でも圧倒的多数のインド人の尊敬の対象になっている人物は、ガンディー
、ネルー
、アンベードカル
の3人。
佐々井さんはこのアンベードカルの正式な後継者。インド仏教界での最高指導者なのです。
アンベードカルはインド独立時の政治家(法務大臣)ですが、彼が特異な存在だったのは生まれがカースト最下層の不可触民(ダリット)だったこと。
カースト上位のバラモンである教師たちに質問もさせてもらえないような、強烈な差別(一説には汚れるとの理由で視界の中にすら入れなかったという)をはね返し、アメリカ留学、その後イギリス留学を経て学位と弁護士資格を取った人。
帰国後は不可触民の差別撤廃のために尽力し、カースト制度には根本の部分で肯定の態度を取ったガンディーを激しく非難します。
*ガンディーも差別は撤廃したかったはずですが、おそらく彼の中で最優先事項ではなかったのでしょう。当時はインドを独立国家として成立させることが最重要だったはず。ガンディーは不可触民をハリジャン=神の子と呼んで価値観・差別観を逆転させようとしますが、数千年続いているカーストの差別制度はそんなことではビクともしなかったというのが事実のようです。
アンベードカルからしてみれば、「ガンディーは生まれがボンボンだからわかっちゃいねーぜ」といったところでしょうか。インド独立時には憲法の草案作成者でもありました。
そしてその差別の根源がヒンドゥ教にあるとして、アンベードカルはその死の3ヶ月前に、約50万人の不可触民とともに仏教に改宗するのです。これが現在も続くインドの仏教復興運動。
ひとくちに50万人といっても、これは大変な人数なわけです。ヒンドゥ教徒が仏教に改宗するというのも、日本人には想像もできないくらい大きなこと。
生まれてからずっとヒンドゥ教のコミュニティに属していた人間は、例えば同僚、上司、取引先、近所付き合いなどなど、すべてがヒンドゥの論理で行われてきたはずで、そういったところに「これから仏教徒になります」と宣言することがどれほど勇気の要ることか計り知れません。
実際、現在のインド仏教徒は約1億人と書きましたが、実は正しい人数は誰もわかっていない状態。
周囲に対してはヒンドゥ教徒のふりをした「隠れ仏教徒」は相当な数になるのは確実で、そういった人々も合算すると、インド仏教徒の数は公式発表の倍の、約2億人を超えるのではないかとも言われています。
例えばナグプールに来て、僕が泊まったホテルの社長はヒンドゥ教徒、フロントマンは偶然にも「隠れ」ではない仏教徒でした。
「ナグプールには何しに来たんだい?」と社長に聞かれ、「佐々井秀嶺さんに会いに」と答えてもその社長は佐々井さんの存在を知りませんでした。それ誰?って感じです。
僕の代わりにフロントマンの彼が社長に説明したのですが、あまり興味がない様子。
返ってきた答えは、不可触民に対する嘲りの言葉。
曰く、「あいつらは怠惰だからこうなってるんだ」とか「教育を受けさせようとしても怠け者だからそれを活かせない」だとか。
おそらくこれが富裕なヒンドゥ教徒の、差別される側に立ったことのない人間の感覚なのでしょう。
社長はきっと上位カーストの出身。フロントマンは下位カーストの出身で仏教に改宗したか、もしくは彼の両親の代が改宗したのかもしれません。
社長の無神経なコメントに対して、何か言いたげな顔をしつつも、上司であることに遠慮があり悔しそうに黙るフロントマン。
きっとこの情景はインドにおいて毎日のように繰り返されてきたものでしょう。それも数千年の間。
インドの縮図を見た気がしました。
2
ナグプールはインド仏教の中心地
ナグプールに来て、数人のインド人と会話をするだけで、仏教徒が非常に多いことに気付きます。
僕が日本人とわかると嬉しそうに「ジェイ・ビーム!」と挨拶してきます。「ジェイ」は神様の名前を呼ぶ前の「バンザイ」のようなもの。「ビーム」はアンベードカルの名前ビームラーオを縮めたもの。
つまり「アンベードカル、バンザイ」といった意味なのです。
ちなみにアーメダバードの友人たちは「ジェイアンベ」とか「ジェイスワミナライ」とか言います。これもアンバジという女神とスワミという神様を信仰しているからなのです。
この種の、神様系挨拶を交わす関係性が一度できあがると、「ナマステ」とか「ナマスカ」という教科書的な挨拶はまったく耳にしなくなります。
「ジェイ・ビーム!」は仏教徒同士の挨拶、そして「スーレイ・ササイに会いに行くのか?」と続きます。佐々井さんは彼らにとって尊敬する偉大なグル(指導者)であり、一種のヒーローなのです。
また話は脱線しますが、インド人には「サ行」と「シャ行」の区別がないようです。ちょうど日本人がLとRを聞き分けられないのと似ています。ガネーシャも時によってガネーサと発音します。シューレイ・ササイもスーレイ・ササイも同じように聞こえるのでしょう。
佐々井さんは、ここナグプールに来て50年。
今年80歳になるこの人は、若い頃数々の挫折を繰り返し、筋金入りの落ちこぼれとしてタイやインドに渡ったある夜、南竜宮城へ行けと言う老人のお告げを夢に見ます。
南の、竜=ナーグ、城=プールではないかと思った佐々井さんは単身ナグプールに渡り、そこで暮らす不可触民の過酷な生活と、アンベードカルが種をまいた多くの仏教徒を目にします。
それから40年以上日本に帰国せず、一心に不可触民を救済するため、仏教改宗運動を続けて来られたわけです。そしてその姿を見て佐々井さんを尊敬するインド人は、仏教徒ヒンドゥ教徒に関わらず非常に多い。
佐々井さんはインドラ・ブッダ・ビハールというお寺の住職をされています。
ただ演説旅行や仏教遺跡発掘事業などもされているので、いつでもここにいらっしゃるとは限らない。それはもう運を天にまかせて訪れてみたわけですが、幸運にもその日はお寺にいらっしゃいました。ちょうどお昼ご飯を食べていたところ。
突然なんのアポもなく訪れた僕を、とても快く受け入れていただきました。
もうずいぶん昔から近しい間柄だったような、僕の来訪をあらかじめ知っていたかのような、当然のような対応に安心しつつ恐縮でした。自分勝手な言い方ですが、逆の立場だったらきっととてもめんどくさい、ような気がします。
日本はどうですか?というのが佐々井さんの最初の質問でした。原発の今後と都知事選に関心を寄せていたようです。
政府は外国に原発を売り続けたいようです、インドにも売ろうとしています、ただ事故が起こった時の補償は日本の税金から出すという契約をするようです、と僕が知っていることを話したところ、ひと言「バカだな」と言って笑っていました。
佐々井さんを目の前にすると、やはり尋常ではないエネルギーを感じます。
ただそれが一向に激しい感じではなく、もっと明るい暖かい感じと言うか。なんとなく大樹の太い幹と向き合っているような感覚になりました。
“Happy Bless New Year 2014” で書いた、菩提樹の周りの雰囲気に似ているような気がします。
とにもかくにも、「佐々井秀嶺さんに会うこと・撮影すること」これが今回のインド滞在で最後にやりたかったこと。
運良くお会いできたので、もう思い残すこともなく。(実際は次から次へとやりたいことが出てくるのですが)
アーメダバード行きの列車に乗って、この旅ももう終わりです。
「煩悩なくして生命なし。必ず生きる……必生。この大欲こそが、大楽金剛です。すなわち、煩悩は生きる力なのです」佐々井秀嶺