踊る精霊 雲南の舞踏家ヤン・リーピンのこと
もう4年以上前になるが、中国の四川省を訪れたことがある。
目指すは九寨溝。
真っ青で透明な湖が段々に連なる写真は見たことのある人も多いことだろう。
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僕はSWITCHという雑誌の取材で、ここにヤン・リーピン(楊麗萍)という女性を撮りに来た。
ヤン・リーピンは雲南省の少数民族である白族(ペーぞく)に生まれた舞踏家・舞台演出家・振付家。
つまりひとつの舞台をほとんど自分で作り上げてしまう人。
シーサンパンナ(西双版納)で育ち、彼女が作り上げた3部作「ダイナミック雲南」「シャングリラ」「クラナゾ(蔵謎)」は世界的に評価され、現在のヤン・リーピンは「国宝級の踊り手」「踊る精霊」と称されている。
この3部作最後の「クラナゾ」が日本で公演するということで、公演前に現地取材を行ったのだ。
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「ダイナミック雲南」を創作するために、ヤン・リーピンは雲南省の少数民族の村々を何年もかけて訪ね歩いたそうだ。
大自然の中で暮らす彼らの村を訪ね、その数は最終的に26の地域に及んだ。
そしてそこに伝わる民族的な舞踊と歌曲を収集し、それらに特に長けた60人の人々を現地から集め、ひとつの舞台として構成したのだ。
つまりヤン・リーピンの舞台で踊るのは、ダンサーや踊り手としての職業人ではなく、リアルにその舞曲を先祖から継承している人々によって作られているということだ。
このプロセスを、ヤン・リーピンは「クラナゾ」の製作過程で再び行った。
九寨溝という場所はチベット文化圏である。
チベットの舞踊歌曲を拾い集め、チベット族の若者たちをスカウトして、「クラナゾ」は完成した。
いちばん表現したかったのは、チベット族が日常に行う歌や踊りからにじみ出る、人間の魂の安らぎについてです。ーヤン・リーピン
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現地に着き稽古を覗かせてもらうと、踊りも歌も思った以上に激しいものだった。
男女で分かれて行っていたのだが、どちらも非常に力強く、動きが大きく迫力がある。
なんとなくニュージーランドのマオリ族の戦いの踊り「ハカ」を思い出してしまう。
チベットの雄大な大地の上で育まれた牧歌的でのんびりしたもの、またはゆるゆるニコニコと盆踊りのようなもの、を勝手にイメージしていたので、これは少し意外だった。
ただそのとき思い出したのは、僕が20才だった頃に旅をしたチベットの、意外と血気盛んでマッチョな文化であり、もしくは後年読んだ「チベット旅行記」という本に出てくるかなり荒っぽいチベット人たちのことだった。
少し話がそれるが、「チベット旅行記」は河口慧海という明治時代のお坊さんが、当時鎖国していたチベットにチベット密教の経典を求めて潜入するノンフィクションだ。
河口慧海はその中で、何度も「チベット人の物盗りに遭えば確実に殺されるだろう」とか「この家で泊まらせてもらっているが寝ている間に殺されないだろうか」とか、かなり物騒なことを書いているのだが、信仰深いニコニコしている農民のイメージをチベット人に対して持っているとそれはけっこう的外れなのだということがわかる。
別にチベット人が極悪非道とかそんなことではなく、真相を端的に言えば、「腕っぷしひとつで生きて行く遊牧民」という血の気の多い感じが近いのだと理解している。漁師や猟師の明るい荒っぽさに似ているのだ。
そういった文化を古代から継承してきている人々の踊りと歌が激しくないわけがないのである。
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その激しい稽古はいつの間にか僕ら取材陣の歓迎会という形に変わっていた。
ヤン・リーピンがマイクを取って、若い踊り手たちに今回の僕らの来訪のあらましを説明してくれた。
彼女が何かを言うたびにヤンヤヤンヤと喝采が入り、一同は車座になり酒を飲み始める。
ここからはもう宴会モードらしくて、4、5人の女の子グループが中央に進み出てチベット語の歌を披露してくれたかと思えば、屈強な男たちが出てきて舞台用ではない流行りのダンスを見せてくれたりといったショータイムになった。
ふと見ると車座になった一角の男たちが僕を呼んでいる。
どうやら一緒に飲もうということらしい。言葉はひとことも通じないのだが、喜んで現地のビールを注いでもらう。
乾杯、と酒に口をつけると周りの若者たちから「すべて飲み干せ」と笑顔と手振りでもって言われる。ああ、そういえばチベットは返杯文化だ。
言われたようにすべて飲み干すと、そこにまた酒を注がれて、乾杯、となる。
グッと一気に飲み干す。ワイワイと喝采してまた注がれる。その繰り返しが延々と続くのだ。ヒマワリの種をかじりながら、あっという間に泥酔状態になってしまった。
中央では変わらず誰かが芸を披露している。
酒を飲んで、芸を見せて、また酒を飲んで。
ふと、幻を見る。チベットの草原で、抜けるような青空の下、こうして酒宴を楽しむ彼らチベット人の姿。
実際の場所はクラナゾ劇場の稽古ルームだったのだが、僕は彼らの背後にヒマラヤの白い峰々が見えるような気持ちになって、同時に古代から綿々と文化を紡いできた彼らの先祖たちの姿もそこに見えた気もした。
泥酔の故に見たものと言ってしまえばそうなのだが、今こうして書きながら考え直しても、僕は実際にその幻を見たのだと思う。彼らが継承してきて、ヤン・リーピンが完成させた彼らの一挙手一投足が、僕にそうした幻影を見せたのだと思うのだ。
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翌日、僕はヤン・リーピンと向き合って撮影をさせてもらい、その足で家路に着いた。
その約2ヶ月後、渋谷文化村で「クラナゾ」の公演は開催された。
僕もこの取材の縁で鑑賞させてもらい、チベットで育まれた舞曲が東京のど真ん中のホールで公演される様を少し不思議な気分で見ていた。
稽古で一度見た呼吸の合った踊りは本番では一層の迫力で、ひいき目抜きにしてもその場の観衆を完全に魅了しているようだった。
ヤン・リーピン自身は監督という立場から、「クラナゾ」の本編には出番はない。
こうして海外で公演を行っているとき以外の「クラナゾ」は、九寨溝のクラナゾ劇場において毎日のように開催される。
ヤン・リーピンが九寨溝に毎日いて出演するわけにもいかないので、「クラナゾ」は初めからヤンの出番抜きで製作されている。
つまりヤン・リーピンは「クラナゾ」を九寨溝において独り立ちさせるために作ったのだ。
ところが渋谷の公演で、「クラナゾ」の公演全てが終了した後、突如としてヤン・リーピン本人が舞台上に現れた。
荘厳な音楽がかかる中、舞台中央に仁王立ちになる。
そのまま1ミリも動かず、スッと両手を体の前で合わせた。ちょうどお祈りをするような格好。
そして合わせた両手のみを、波のように揺らしはじめたのだ。
ヤン・リーピンがこのとき見せたこの動きを、どう考えても言葉で説明できるとは僕は思っていない。
ただ4年経った今でも鮮明に覚えていて、それをなんとかして誰かに伝えたいと思うくらい衝撃的な、人体はこのような動作をできるのかという驚きを、このときのヤンの両手は僕にもたらした。
それまでの「クラナゾ」メンバーのチベット人たちももちろん素晴らしい踊りを見せてくれていたのだが、それらが全て色褪せてしまうような動き。
最後の最後に披露してくれた、ヤン・リーピンがヤン・リーピンである理由がそこにはあったと思うのだ。
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これは完全なる蛇足だが、九寨溝でのクラナゾ劇団の稽古の後のくだけた飲み会では、チベット人の若い踊り手たちみんなが代わる代わる踊りや歌を観せてくれた。
返杯で泥酔している僕にもその順番はやってきて、マイクを渡され「何か日本の歌を歌ってくれ」と言う。
少し迷ったが、最近の歌を歌っても彼らにはピンとこないと思ったので美空ひばりの「川の流れのように」を歌うことにした。
そして歌い始めてわかったのだが、僕の記憶には「川の流れのように」はサビの部分しか入っていなかったようで、歌いながらどれだけ思い出そうとしても延々とサビの繰り返しをするというあってはならない状況に陥ってしまった。
それでも彼らは初めて聞く日本語の「川の流れのように」を手拍子とともに聞いてくれたし、僕がかろうじて歌い終わった後にヤン・リーピンがマイクを引き取って「中国でもこの歌は有名です。でも日本語のオリジナルは初めて聞きました」というようなフォローを加えてくれたので、なんとか形にはなったと少し安心したのだが、もしまた九寨溝を訪れる機会があるならば、そのときには出発前にカラオケに行って練習しようと思っている。
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Hephaestus Books
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