ある日のできごと 5
(4のつづき)
次の日、相変わらず地下鉄は動いていないので自転車でマンハッタンへ向かう。
連日、テレビや新聞には様々な情報が氾濫していた。イスラム系の狂信者が聖戦という名の下、周到な準備の末に実行された犯行ということもわかってきた。
イスラム系移民に対するリンチまがいの暴行が、特に地方で頻発しているというニュースは、事件そのものと同じ大きさの衝撃で僕の気持ちを暗くしていた。事件直後の悲しみや不安の高まりが、ヒステリーに近いそういった形で表に現れたということが、アメリカの自由の国という顔の裏に普段は隠された、いわゆる「アメリカ社会」の生々しい本質をかいま見てしまったようで、まるで冷たい水を背中にかけられたような居心地の悪い感覚があった。
街には高校や中学校の体育館を使って即席の捜索センターがいくつもできていた。ミッドタウンにある中学校に近付くと、壁を多くの張り紙が埋め尽くしているのが目に入った。すぐにそれが行方不明者を捜す家族や友人が貼ったものだとわかり、その数の多さにまた心が潰されそうになるのを感じた。張り紙は体育館の中までびっしりと続いていて、どれもが「MISSING」と大きく書かれていたが、それぞれ違う人間の顔写真を示していた。
体育館はたくさんの人間で混み合っていた。犠牲者を悼むシンボルカラーが黄色といつしか決められていたので、そこで働くボランティアの人々はみな黄色の衣服を着ていた。しばらく待っているとテーブルの一つが空き、係の女性にこちらへ、と促された。
隣のテーブルでは二人の幼い子供を連れた若い女性が目の前の紙になにかを懸命に書き込んでいた。小さいほうの男の子がぐずって泣き続けていた。
担当の女性は僕が席に着くとすぐに一枚の紙を置き、捜している人のことを少しでも詳しく書きなさい、とペンを差し出した。背の高さ、髪の色、目の色、ひとつひとつ友人から聞いた婚約者の特徴を書き終えるまで、彼女が僕をじっと見つめているのを感じた。
それは事務的な対応の中でも、なにかしらこの困難を少しでも分かち合おうという精神の現われのような、確かに暖かい気持ちを感じさせる視線であって、ここに来る前に背中に感じた冷水のような感覚が多少和らいだように思えた。
僕が体育館の出口に向かったときも隣の男の子は泣き続けていた。
僕は自分がひどく疲れていることに気づいた。日常に戻らなければ、と思った。
(6につづく)