9月
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ある日のできごと 6

posted on 9月 10th 2010 in 毒にも薬にもならない with 0 Comments

のつづき)

生きている人間には戻るべき日常がある。

事件が起きて数日は言葉を失ったようになっていたが、ダムが決壊するように言葉が溢れ出していた。出会う人がみな無事を確かめ合い、一体あの事件はどういうことなのかと話し始めていた。街全体が重い空気に覆われていたのは変わりなかったが、初対面のような人たちでも情報や意見を交換したがっていた。喫茶店でたまたま近くに座った人と話し始め、気づけば7、8人が集まって話し込んでいたこともあった。誰もが不安で、答えを必要としていたのだと思う。

街は混乱を引きずっていたものの徐々に日常生活が戻り始めたが、そうした「喋る時間」は一週間ほど続いた。メディアに出てくる新しい情報について話し、好戦的な大統領の対応に危機感を募らせた。誰もが話さなければいけない何かを持っているようだった。

しかし一週間が過ぎると、波が引くように誰も事件のことを話さなくなった。延々と答えの出ない作業に疲れてしまったこともあるし、日常生活に戻って前を見なければいけないと気づいたこともあるだろう。国際情勢の大きなうねりを一個人の小さな肩では受け止め切れないと感じたのも大きな理由だと思う。もちろん事態が動くたびに人の口から事件の話は出て来たが、以前のように何らかの答えを渇望して話し続けるということはなくなったようだった。

僕も日常の中に戻っていた。事件の影響で遅れていた仕事をひとつひとつ仕上げていった。

あの事件の当日に焼くはずだった結婚式の写真を、一週間遅れで届けに行った。結婚したのはフランス人の夫婦で、型通りでない結婚式の写真を撮ってほしい、と言って専門ではない僕に依頼があったのだ。暗室が再開してから大急ぎで写真を焼き、新婦のミシェルとダウンタウンの喫茶店で待ち合わせた。

ミシェルと出会うとお互い無事を確認して、大変だったね、と言葉を交わしたが事件のことはそれ以上口にしなかった。「喋る時間」は僕にも彼女にも過ぎ去っていたのだろう。

僕が手渡した写真を彼女が一枚一枚味わうようにゆっくりと見ていく。最後の一枚を見終わったとき、ミシェルが俯いて小さな声で絞り出すように「ジャッキー」と呟いた。

につづく)

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写真家 ニューヨークの街角に建つニューススタンドを1996年〜2004年まで撮影した写真集「Rao's Newsstand」を発表。ウェブサイトBus me too.Graphicsにて販売中。