シンプル・イズ・ベスト
ニューヨークに7年間ほど暮らしていた。
絶えず転々とするような引っ越しの多い7年で、街のいろいろな地区をぐるりと住んでまわったのだが、そのなかでハーレムを住所にしていた2年間がある。
言うまでもなくハーレムは住人の多くが黒人の、文字通り黒人の街で、白人はもとよりヒスパニックや僕のようなアジア系はこの街では少数派だった。
住み始めてしばらくすると、近所に呑み友達のような友人ができた。彼らは酔うと、いや酔わなくても黒人であることの誇りと、黒人であることの哀しさについて声高に話し、ときに議論が白熱してケンカのように怒鳴り合ったりもするような若者たちだった。
マルコムXやキング牧師についてはそれ以前から知っていたが、ローザ・パークスやマーカス・ガーヴェイや、その他黒人の長い戦いにまつわる様々な名前を彼らの口から初めて聞いた。
ハーレム・ルネッサンスという言葉を知ったのもこの時期で、たまたま入ったバーでデューク・エリントンの音楽がかかっていて、そのとき一緒にいた女性の口から出てきた言葉だったように覚えている。
その言葉を知らなかった僕に、彼女は説明してくれた。ハーレム・ルネッサンスというのは1919年から始まり十数年つづいた、黒人文化が開花した全盛期だ。文学、音楽、絵画などで後に名作と呼ばれるものが次々と誕生して、黒人の意識と環境が激変した時期でもある、と。
デュークもビリーもベッシーも、みんなハーレムの子供たちなのよ。
少しカッコつけて、全黒人を代表するようにその彼女は言った。
理由は今でもわからないが、僕はハーレム・ルネッサンスというその言葉が、とても大きなものにも小さなものにも、泥臭いような汗臭いような、なんとも判別しがたいドロドロしたものを表しているような落ち着かない気分になって、呑みながら長いこと彼女に質問し続けた。
途中で面倒くさくなったようで、じゃあこの本読みなさい、と言いながら彼女は、バーのナプキンにボールペンで「ベスト オブ シンプル ラングストン・ヒューズ」(Best of simple, Langston Hughes)と書いて渡して来た。
(2につづく)