ドゥニャーニョ・モガマモゴ 3
(2のつづき)
話を戻すと、世界には言語的マジョリティとマイノリティがある。マジョリティであればあるほど他国異文化の人間が自国の言葉を理解することに意外性はなく、むしろ当然のこととして受け止める。マイノリティ度が強ければ、外国人が話す自分の母語を驚きと喜びで迎え入れる。
どっちが楽しい人生なのだろう?
比較するナンセンスを承知で、たまにそう思うことがある。英語で苦労した10代後半から20代前半は、英語圏に育っていればこんな苦労はしなくてすんだのに、とときどき考えたことは確かだ。だが今になってみるとなんとなく言語マジョリティというのはちょっと退屈なのかもしれない、と思う。もし英語圏の人間として生まれていたらと想像してみるに、世界中どこに行っても自分の言葉を理解する人間がいて、自分の言葉で書かれた新聞や本も豊富に手に入る。テレビも映画も音楽も英語のものがある。どこの誰が英語を話していても驚かないし従って特に嬉しくもない。
これって果たして楽しいことなのだろうか?
また話は飛ぶが、ギリシャでのことだ。アテネに着いたとき、思いつきで自転車を買った。計画も経験も自転車の知識さえもない単純な思いつきで、アテネからイタリアやフランスを自転車で旅したら楽しそうだ、と考えただけだった。地図を見ると、西のパトラという港町からイタリアのブリンディシまでフェリーが出ている。まずはパトラまで行こう。買ったばかりの自転車に荷物を括りつけて、いざ出発という段になって道に迷った。側にいたヒマそうにしているじいさんに、何も考えず英語で道を尋ねると、彼は顔を真っ赤にして烈火の如く怒りだした。僕はギリシャ語は全くわからないが彼が言わんとしていることは伝わってきた。
お前はギリシャにいながらギリシャ人に向かって英語で話しかけるのか!?
そう言ってじいさんは激怒していたのだ。
(4につづく)