6月
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エリトリアで借金を 9

posted on 6月 23rd 2010 in 1995 with 0 Comments

エリトリアで借金を 8 つづき)

日がな一日、街をうろつき、観光客を見つけては声をかける。

フランス、スイス、イギリス、などなど20組ぐらいに声をかけ20連敗ほどもしただろう。いつの間にやらアスマラの一等地に立つ中国大使館の前に立っていた。

今思い返せば、血迷っているとはこういうことかと背筋が冷たくなるのだが、そのときの僕は「溺れる者はわらをもつかむ」という言葉の体現者そのものだ。遠い異国のエリトリアでは中国も日本も親戚のようなもの、アジアのお隣さん同士なんとか相談に乗ってくれるんじゃないかと、ふらふら門をくぐろうとした。

エリトリア人の門番らしき男に、何の用ですか?と止められて、かくかくしかじかでお金借りたいんだけども、と話したところ、それでなぜ中国大使館が日本人であるあなたを助けられると思うのですか?とやさしく諭された。

そう言われればその通り。返す言葉が無い。わらをもつかもうとしたのです、なんて余計なことは言わずにトボトボとその場を立ち去った。

また別の日は、僕を韓国人だと思った人が、韓国の建設会社が郊外で工事してるよ、と教えてくれた。性懲りもなく、韓国も日本もお隣同士の親戚同士、と都合の良い理屈をつけて三時間の道を歩く。着いたところはなにかしらの公共設備の建設現場。確かに韓国の会社らしくハングルの看板などがちらほら見えるのだが、働いているのはエリトリア人ばかりで韓国人は見当たらない。そのうちだんだん頭も冷静になってきて、これは中国大使館の繰り返しと確信し、情けないことこのうえないがそのまま三時間を引き返す。

そうして一日、また一日と、出口がまったく見えないままに時間だけが過ぎて行く。日々の支出は安宿とオレンジ数個のみなのだけど、それでも日に4ドルぐらいは着実にお金は減っていて、5日が経ったころには財布の中身は7ドルぐらいになっていた。

夜、重い足を引きずって宿に戻る。オレンジを2個食べて、むりやり空腹をごまかした。なにもしていないという時間が最も心が重くなるときで、困ったときの神頼み、生まれて初めて神様仏様、さらにはご先祖様にも拝んでみたりする。そんな不安を抱えながらも、一日歩き続けたせいで夜になるとちゃんと眠くなる。神様仏様ご先祖様、と呟きながらいつしかどろりとした眠りに入る。

明日、何の成果も得られなければ、空きっ腹を抱えて街角で野宿、ということは避けられない。

10につづく)

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/