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デジタル厄年というものがあるのかもしれない

posted on 11月 13th 2015 in 毒にも薬にもならない with 0 Comments

今年の夏、僕は41になった。これは世に言う本厄というものらしい。

ふだんそういったことを全く気にしないで生きているのだが、最近はどうもそう言っていられないぐらい様々な災厄に見舞われている。

同じ年令の友人たちも似たようなことを言っていて、主に体にガタが来ているだの、ちょうど体質が変化する年代なんだとか、名実ともに完全なるジジイたちの会話を日々繰り返している。

僕の場合は少し違って、体調に関しては全くのノープレブレムなのだが、周辺のデジタル機器に一気に疲れが出たみたいだ。あまりにも災厄が連続しすぎていて、これはデジタル厄年というのがあるんだろうと、今年から僕は心の底から信じざるを得なくなった。
① ウェブサイトがウィルスに感染、復旧しても繰り返し感染する。

② MACがクラッシュ

③ イビサ空港で機材バックごとまるまる盗まれる。

なんか、いろいろ一気に吹き出るタイミングってのがあるんだろうか。

①は今でもまだ引きずっていて、一旦の復旧は済んだもののサーバーやGoogleからまたいつウィルス感染の通知メールが来るかわからない。

なんだかウェブサイトから(このサイトではない)大量のスパムメールが送られているというようなメールが、ある日突然サーバーから届く。これだけでも冷や汗ものではあるのだが、続けてGoogleからも似たようなメール。しかもGoogleメールには「ウィルスを駆除するまでサイトをロックします。」というおまけつきで、なにごとだ?と自分のサイトを覗くとそこはGoogleが用意した真っ赤なページ。マジで焦ります。

③はもう諦めるしかないというか力なく笑うしかないぐらい。これまでの僕のキャリアの中でも鬼レベルの災厄で、それでも盗難ってのは誰に責任を持っていくわけにもいかない。厳密には盗人の責任なのだろうが、その本人が現れる、または偶然遭遇するなんてことはあり得るわけがない。もう出てこないと諦めて、いろいろな意味でリセットするタイミングだったんだと開き直らないと前に進めない。災厄レベルからするとこれが一番大きいかもしれない。

②のMacのクラッシュは本当はどうってことないのだが、タイミング的に③の直後に起きたので泣きっ面に蜂のまさにその蜂で、弱ったところの最後のひと刺しというか。ああ、今年はデジタル厄年というやつだ。その思いが脳内に湧き上がったのは③が起きたタイミングだった。

本厄がリセットされるのは年明けなのか、それとも次の自分の誕生日なのか。

そんなおそらく基本的なことすらもよくわからないぐらい、そういった世界には疎いのではあるけれど、こうも立て続けにいろいろと起こるのであれば、お祓いくらいは行ってみようかと思い、同時に、ああそういえばもうすぐ一年も終わりが近い、なら初詣の際にでもついでに祓ってもらおうかとも思うのですが、それなら例年と大差ないじゃん、なんて気づいたりもして、埒のないことをぐるぐる思ったりしています。

 

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/