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せっかくなので2年前に行った写真展のことも少し書こうと思います。
当時はブログもフェイスブックもやっていなかったのでこういった報告が全くできないままでした。
いまでは便利な世の中になりました。
2009年9月11日にNY、マンハッタンのミートパッキング・ディストリクトのギャラリーで開催されたイベントは、ファッションブランドSATORU TANAKAと僕、それからDESTROY & REBUILDというNYのアーティストグループの3者合同展という形式でした。
ちょうど2年前ですね。
正面が今回Light in Augustで展示している一枚です。
* * *
オープニングの9月11日にはDESTORY …
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友人のファッションデザイナー田中了がプロデュースするショップ”Light in August“が代官山にオープンしました。
店内入り口近くに、2年前NYで行ったSATORU TANAKAとの共同写真展で発表した写真を展示しています。
そのときの写真展の様子はこちらから。
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これ、写真では伝わらないかもしれませんが大きいです。
170x150cmぐらいあります。
アナログ写真のプリントとしては最大級のこの写真、暗室で焼くのも持ち運びも全てがひと苦労で、大きな筒に入れ、肩に担いでNY行きの飛行機に乗ったときのことを今回走馬灯のように思い出しました。
今でも息苦しくなります。
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店内はこのような感じです。
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以前ここに書いたLADY GAGAの写真、HDを整理して見つけました。
至近距離すぎてピント合わず、の図。
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ラーメンとセックスとLADY GAGA
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巨人の内海選手を撮影しました。
幼い頃から確固としたアンチ巨人でしたが、
最近それがあやふやにぐらついてきています。
阪神ー巨人戦で、巨人を応援することなんてこれまでなかったことなのに。
内海選手があまりにも好青年だったせいで。
これから何に対してアンチになればいいのか
少しわからなくなっています。
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高校からの友人と奴のきれいな奥さんと一歳になる二人の娘と、写真撮影。
室町から続く道で。
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ひさしぶりに女優の谷村美月を撮影した。
写真はコチラから
彼女を初めて撮影したのは確か06年の初春で、行定勲監督の「ユビサキから世界を」という映画の撮影にスタッフとして参加したときだった。
ロケ地は山形だった。
出発前の東京は汗ばむほどに暖かくなっていたので、まったく何も考えずそのままの身なりでロケに参加したのが大失敗で、初日で粉雪がちらつくほどの凍てつきようの中、骨の芯まで冷え込みながら撮影したのを覚えている。
大体、映画の撮影というのはどういうわけだか徹夜の連続というのが相場になっている。
それが映画の現場は初体験だった僕は、徹夜に対する心の準備と寒さに対する衣服の準備を二重に失敗してしまって、4、5日が過ぎる頃にはもう音をあげる寸前まで追い込まれていた。
休む間もない過酷な現場で、それでもヘコタレていられない、と思わせてくれたのが主演の谷村美月が演技する姿だった。
ストーリー上の設定のため、水をかけられても、泥だらけにされても、あげくの果てには真夜中から夜明けまで顔だけ出して地中に埋められても、文句一つ言わない事はもちろん、キラキラとした演技を淡々と続けていた姿を見てしまっては、水も泥もかけられてなく埋められてもいない僕が音を上げるわけにはいかなくなってしまったのだ。
今回はAGRIZM(アグリズム)という農業系雑誌のグラビア撮影をした。
奥多摩の農家の古民家や田畑をお借りしてのロケになった。農業系の雑誌なのでグラビアも「農」から離れることはないのだ。
レンズを通して数年ぶりに谷村美月を見て、どことなく大人びてきたと思う。それはそうだ。「ユビサキから世界を」のときが彼女は16才で、いまはもう20才になった。その年頃の4年間というのは少女が大人の女性になるには十分な時間だろう。
そうして撮った写真に編集者がつけたタイトルは「登熟期」だった。
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(1のつづき)
結論を言うと、ピンホールカメラという答えに辿り着いた。
これなら空き箱があれば作れてしまう。カメラ本体の費用は実質タダだ。
クラスの初っぱなは、家から空き箱を持って来てもらうことから始めた。
カメラはないんです、と言ってた生徒たちも、お菓子やクツやシーツが入っていた箱を持って来てそれぞれ集まった。
レンズの部分は、空き缶のアルミを四角く切り取ったものを使った。光が乱反射しないように黒く塗って、縫い針の先端で小さな穴をあける。
ついでに箱の内部も黒く塗って、穴を開けた箱にレンズの空き缶を貼り合わせて、カメラの出来上がり。
フィルムを使うと高くつくので、印画紙で撮影してしまおう。
ミーティングルームに暗幕を張ってもらい、即席の暗室にした上で、カメラの底に直接印画紙を入れていく。これなら現像液もフィルム用のものは買わなくて済む。
印画紙と紙用の現像液ぐらいなら病院の予算でもすべてカバーできるだろう。
暗室でおなじみのオレンジ色の光の中で、生徒たちに印画紙を配る。
紙のサイズは8x10インチという1種類。箱のサイズはそれぞれまちまちなので、小さい箱で作ったひとはハサミで紙を切らないといけない。
ふと見ると、紙の端から3ミリぐらいのところをおそるおそる切っている人がいる。
その人が作ったカメラは手のひらサイズだ。
紙が箱に入るようになるまでには何度も繰り返し3ミリずつ切っていくことになるのだろう。ここをこう切って、とは敢えて言わずに、これはこれで良し、と眺めたりしている。
印画紙を詰めたカメラを持って、ぞろぞろと外に行く。歩いて行ける距離で撮影することもあるし、職員に車を出してもらって少し遠出することもある。
各々がバラバラに好きな風景にカメラを向けて、レンズの蓋として貼付けた厚紙をはがすと、露光が始まる。ピンホールカメラは穴の直径と箱の深さで適正な露出時間が決まるので、それぞれの箱でどのくらいの時間、シャッターを開ければ良いのかはなんとも言い難い。
だいたい1分、とか勘で30秒ぐらいかな、とか我ながら大ざっぱな教え方をしている。
生徒たちも、じゃあ今回わたしは1分で、と宣言するにも関わらず、実際撮影しているのを見ていたら時計をまったく見ていない。
小さな声でいーち、にーなんて数えてて、途中でどこまで数えたっけ?なんて言っているのでどっちもどっちなのだろう。
そうやって撮影したものを手にして、現像するためにまた暗室に戻る。
(つづく)
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黒くて丸い空
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5年ほど前から北関東のとある病院で写真を教えている。
実際は、「教えている」と言うほど大層なものではない。
5年前クラスを始めたときに下地だけ作り、あとは上手になった生徒が初めての生徒に教えるのを見に行っている、という状態に近い。
毎月一回、車で2時間ほどの田んぼに囲まれた街へ行く。
病院の専門は精神疾患系で、入院の必要のないいわゆる「デイケア」に通う人たちが僕の生徒だ。
軽度の精神疾患、とひとくくりにされることもあるが、この病院に通う理由や症状は人それぞれ千差万別だ。
僕はそういったことに特別詳しいわけではないので知ったようなことは書けないが、本当に病気なの?と思うような元気な人もいるし、端から見ても苦しそうにソファで横になっている人もいる。
過去の後悔をなぜか僕に向かって延々と話す人もいるし、話しかけてもまったく反応のない人もいたりそれは様々な人がいるが、なにかしら心に問題を抱えていて、社会生活に支障を来していることは共通している。
ひょんなことからここの職員の方と知り合い、トントン拍子に写真教室をすることが決まったのだが、そこで何をするか、はたと困った。
当初は各々フィルムカメラを家から持って来てもらい、撮影からプリントまで一連の作業を段階的に、繰り返しやろうと考えていた。
生徒たちに聞き込みしてみると、みんな家に古いコンパクトカメラぐらいはあるだろうというもくろみは見事に崩れ、うちにはカメラありません、という話が続出した。
療養のため仕事をしていない人がほとんどなので、新たに購入して下さい、というのは無理な話だった。
病院から出る予算も限られているし、継続的にフィルムや印画紙を個人が負担するというやり方はできなかったのだ。
そこで考えた。
生徒個人の負担がなく、病院からの予算だけで賄える激安な写真教室の形はなにか?
それでいて写真を撮る楽しさや、表現する喜びを充分に味わえる形は、なにか?
(2につづく)
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