ガンディーの部屋 | Gandhi’s Room
My notion of democracy is that under it the weakest shall have the same opportunities as the strongest…no country in …
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Royal Enfield それはインド国産バイク
ロイヤル・エンフィールド(Royal Enfield)という名のバイク、日本ではあまり馴染みがないですが、インドではけっこうふつうに走っています。バイク20台のうち1台がロイヤル・エンフィールドというぐらいの頻度。
これがなかなかカッコよく、古き良きクラシックバイクの良さを今も守っているのです。
持ち主のひとりが教えてくれたところによると。
ロイヤル・エンフィールドはインドの国産バイク
1800年代イギリスで生まれたバイクメーカー
1955年に子会社エンフィールド・インディアを設立
チェンナイに生産拠点を移す
その後イギリスの本社は倒産
インドの支社(というか生産部門)をインド人が買い取り、現在に至るのだそうです
ということはやはり、トライアンフ(Triunph)にも通じる英国クラシックの系譜です。
上はアーメダバードの旧市街で見つけた1台。
そのまま映画「大脱走」に出てきそうです。
そういえばあの映画でスティーブ・マックイーンが乗り回していたのはトライアンフです。
なんとなく外車がかっこいいと感じるのはインド人も日本人も同じようで、ホンダ(HIRO HONDA)やカワサキ(KAWASAKI)が圧倒的に支持されているようですが、個人的には日本車にもアメ車にもない魅力をロイヤル・エンフィールドに感じます。
ジャイプールで出会ったスウェーデン人のロビンが、デリーのマーケットで買った1台でインドを1周すると意気込んで出て行きました。
2週間後メールしてみると、「バスにハネられた」と。
なかなかな大破具合だったそうですが、その割には修理代金は安かったらしいです。10000ルピー=¥17,000ぐらいで、ホンダやカワサキだったらこの倍にはなっていたそうです。構造が信じられないくらい単純にできているみたいです。
いつの日か、カーキのロイヤル・エンフィールドに乗って、インドを1周してみたいと思うのでした。カーキがいいですね。
The Motorcycle Classics vol.5―大人のためのプレミアムモーターサイクルマガジン (ヤエスメディアムック323)
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本文を読む久しぶりに日本に帰ってきました。さぞ寒かろうと覚悟して飛行機に乗ったのですが、成田に降りると思ったほどには寒くない。暖かい日にたまたま当たったみたいです。
2ヶ月のインド滞在もこれで終了。同時に5年近く続けてきた僕の撮影もこれで一区切りです。またインドに行くことは必ずあると思いますが、こうしてひと続きの撮影として通い詰めるということはないだろうと思います。これからしばらくは全力で写真の整理に励みます。
インドってどんなとこ?と日本に帰るとよく聞かれます。でも何度聞かれても、しっくりくる答えはない。結局、インドって国はよくわからない。これが正直に思うところ。一筋縄では理解できない複雑さ。それはつまりインド人の体内に血のように流れるヒンドゥ教を中心とした文化。その文化が根源的に染み付いているからこそ、インド人たちもそれを説明する言葉を持たなかったりします。
インドでは街中を牛が歩いている。
これは誰もが知っていること。そしてその理由を訊ねてみると、ヒンドゥ教では牛は神様の乗り物だから大事にします、とインド人は言う。でもヒンドゥ教の神様の絵を見ていると、神様たちはけっこう様々な動物に乗っている。ニワトリや虎やワニに乗っている神様もいる。
なぜ牛だけが特別扱いなのか?
こんな質問にはインド人たちも答えようがない。なぜ血は赤いのか?という質問と同じくらい体内に綿々と流れて当然のように捉えてきた事柄なのでしょう。そういったことがいちいち、外国人である僕にとってはおもしろい。わからないことがおもしろい。違うことがおもしろい。
一説によるとヒンドゥ教には33億の神様がいるという。八百万どころではないですね。確かに何度来ても来るたびに聞いたことのない神様の名前を耳にする。まだまだわからないことがたくさんある。きっと、いつまでもわからない。そして、わからないことが良いと思う。
近年インドは経済成長著しい、とメディアではよく目にします。それは本当のことでしょう。実際僕が初めてグジャラート州カロールを訪れた5年前から、おびただしい数の住宅や高層マンションが建設され、町が急速に膨張していることがわかります。
ただその変化が全く及んでいない部分ももちろんたくさんあり、そういったギャップがインドの風景をモザイク画のように複雑怪奇な絵にしています。
アウディやフォードなどの高級車に乗りながら、Iphoneで会話を楽しんでいる人間が片眼に見える一方、逆の眼には野宿のような生活で、薪に火を熾し毎日の食事を作っている人間も映ります。アウトカーストやダリット、不可触民などという言葉がときにクローズアップされますが、そういった階層の人でなくとも、インドの農村などに行くとそこでは極端に素朴な生活をしていることも珍しくないのです。
どちらの眼に映るものが本当のインドなんだろうか?なんてそんな質問にはもともと答えがない。見たものの全てがインドであって、複雑怪奇なモザイク画はそのままインドの魅力であるとも言えるのです。
日本に帰ってきたものの、しばらくはそんなモザイク画との取っ組み合いになりそうな気がします。そしてそれもまたおもしろいと思うのです。
書き忘れてましたが一番最初の写真、左はクルッティのおばあちゃんです。
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5日目とかその2とか、だんだんややこしくなってしまって恐縮ですが “クルッティ・ラオの結婚式 5日目 | The Wedding of Kruti Day 5” …
本文を読むこの日がある意味本当の「結婚式」。これまでのものは全てここに来るための前哨戦でした。クルッティの自宅から1kmほど離れたある邸宅で新郎のための儀式が行われます。
バラモンの細かい指導により新郎ミラージの儀式が進みます。この後クルッティの待つ場所へ、花嫁を迎えに行くのです。
その頃、自宅で待つクルッティ。クルッティの自宅の隣に作られた、いわゆる「披露宴会場」。左手奥に光るのが自宅です。8000人が近隣からやってきました。8000人と言えば “ニヤムギリの丘 | Niyamgiri Hills” で書いたドングリア・コンド族の人口と変わらないんですが。。パレードとともに会場入りする新郎ミラージ。ひとりだけ頭が高いのは馬に乗っているから。担がれて会場に入ります。まずは披露宴(レセプション)です。ゴンドラに乗ってお披露目!クルッティ、ミラージ、それから親族がステージ上にあがります。来賓との記念撮影が延々と続くのです。
そして自宅の庭に拵えた結婚式場での「誓いの儀式」に移るのですが、書ききれないので次回に続きます。
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本文を読むどんどん派手になって行く結婚式。この日はロックフェスばりにステージが組まれ、歌と踊りに明け暮れる夜です。まずはムンバイから呼ばれたダンサーたちのショー。そして弟ダムルーとその友達のダンスパフォーマンス。新郎の妹とその友達のパフォーマンスもあります。両親に向けたビデオメッセージなんかも。新郎新婦の入場。新郎はミラージ。歌曲一切を取り仕切るのはこの人、ムンバイから来たロドニー。
“ボリウッド映画を地でいく国 | 歌と踊りのインド” で書いた売れっ子結婚式シンガーとは彼のこと。そして始まる歌と踊り。左:新郎父 右:新婦父後ろに変な人写っていますが、、、。
ロドニーに「あの歌やって!」と途切れることなくリクエストし続け、踊り続け大合唱し続けの一夜でした。
グジャラート州はドライ・カントリーと呼ばれインド唯一の禁酒州。おおっぴらにお酒売っている店は一軒もありません。この夜も誰ひとりとしてお酒を飲んでいる人はいないはずですが、朝方までこの狂乱は続きました。
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本文を読むクルッティの結婚式2日目。この日は女性陣がメンディ(ヘンナ)の装飾を施す日。会場は自宅でした。
昼間にはインド占星術の催しなどをがあり、夜には本格的にメンディ大会が始まります。
仕上がりの方はこちら” ヘンナで飾られたインドの花嫁 | グジャラート州カロール“から。
メンディを受けながら、当然のように歌と踊りが始まります。上はお母さんのプラティマ。下はクルッティと弟のダムルー。
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本文を読むインドは今日1月26日がリパブリック・デイ(共和国記念日=建国記念日)。
僕はアーメダバードの友人の家でテレビで見ましたが、デリーでは盛大なパレードが毎年の恒例。パレードの前後には一同起立して敬礼です。安倍晋三首相一家も来印していました。途中居眠りしていたのをテレビに抜かれていたんですが、気のせいか?ミリタリーの行進の中には、砂漠を守るラジャスタン州兵のラクダパレードもありました。
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12月に出席したクルッティの結婚式の写真です。7日間続く結婚式全体のこれはそのうちの1日、指輪の交換式。
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