デジタル厄年というものがあるのかもしれない
今年の夏、僕は41になった。これは世に言う本厄というものらしい。
ふだんそういったことを全く気にしないで生きているのだが、最近はどうもそう言っていられないぐらい様々な災厄に見舞われている。
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本文を読む今日Facebookで流れてきたニュース
オーストラリアのある写真コンテストで起きたこと。
Photojournalist Exits Prestigious Contest After Cloned Straw Discovered
3人のファイナリストのひとりの写真が問題になり落選した。
理由は、写真に写るストローを後処理で消したことが発覚したから。
フォト・ジャーナリズムのコンテストにおいてこのような後処理での画像の操作はルール違反だというのがその理由。
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本文を読むこの文章は「アボリジニとオーストラリア」の続きです。
つまり担当者の言葉を平たく言うと以下のようになるだろう。
「私たちはアボリジニの文化を尊重したい。そしてその文化を内外からのお客さまに理解して味わってほしい。そのためには可能な限り本物志向(authentic)でいきたい。ディジュリドゥはもちろんアボリジニ発祥の楽器だが、沿岸部の部族が使っていた楽器で、ウルル周辺の部族は持っていなかった。そういった意味では歴史考察上、ディジュリドゥ+ウルルはこの時代の作り物(fake)になってしまう。よって、写真は撮ってもよいが発表はして欲しくない。」
わかるといえばわかるのだが、なんとなくチグハグな感触を、担当者のこの論理には感じてしまう。
身も蓋もない言い方をすれば、表に出したくない、または出せないと思うものは現地でも出さなければ良いんじゃないのかとつい思ってしまう。
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本文を読む4月の終わりなのでだいぶ前の話になってしまったが、オーストラリアに撮影に行っていた。
旅・カルチャー誌 ”TRANSIT” のオセアニア特集号の撮影で、大陸中心部のウルル(エアーズロック)周辺を約1週間かけての撮影だった。
オーストラリア、ノーザンテリトリー特別地域(州になっていないのでこういった呼称なのだという。準州とも呼ぶ)の、レッド・センターと呼ばれる大砂漠地帯。レッド・センターというのは大陸の真ん中にある「赤い」土地だから。実際この辺りは見渡す限りの赤い荒野で、完全な砂漠でもない、背の低い草木がまばらに生えた土地。土壌に多く含まれる鉄分が錆びることで、この土地が赤く見えるのだという。
この土地に住むアボリジニの文化を撮影することが今回のオーストラリア行の目的だった。
結論から言うと、アボリジニの人々、アボリジニの文化自体はさておき、それを取り囲む環境はとてもいびつに歪んだものとして僕の目には映った。
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本文を読む
来る6月6日(土)7日(日)に、大分県湯布院にて音楽フェスを開催します。
Waltz of the Rain 旅する音楽と銘打ったこの2日間は、少し珍しい感じのイベントになるはずです。
何が珍しい感じかと言うと、歌手の畠山美由紀さんやフラメンコギター奏者の沖仁さん等の錚々たる音楽家に加え、日本が誇る翻訳家の柴田元幸さんも参加が決定しています。
柴田さんは6日7日両日、ステージでの朗読に加え、カフェスペースでの「言葉についてのワークショップ」を担当していただきます。
音楽フェスに柴田さんのような翻訳家が参戦する。これはこのWaltz of the Rainというイベントを訪れる人々に、予期せぬ新しい出会いを果たしてほしいという主催者の意図なのです。
音楽ファンがお目当の歌手を聴きに湯布院を訪れた際に、ふとしたきっかけで翻訳文学の深い世界に触れる。または文学ファンがその逆を果たしたり。そんなアクシデントのような、心に残る出会いを、湯布院という九州の山裾の小さな温泉町で果たしてほしい。そういった想いからこのイベントはスタートしています。
僕も柴田さんには写真集「Rao’s Newsstand」にて、無謀にも解説を書いていただいた縁で、両日とも湯布院に滞在します。
もしご興味あればいつでもご連絡ください。
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本文を読むポスターの撮影を担当したTHE GEESEの公演が、明日30日から開演します。
新宿にて19時から!
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ロイヤル・エンフィールドという名のインドのバイク | Royal Enfield
南極の氷の中に100年の間、忘れ去られていたフィルムが発見された。
実はもう一年以上前のニュースなんだが、ずっと気になっている。
僕にとっては世紀の大発見レベルなのは間違いないが、もっと大ニュースとして世の中に浸透していくのかと思っていたらちっともさっぱり聞こえて来ない。
やっぱり僕の興味の対象は、世の中のそれと少しずれてるんだろうと再認識するきっかけにはなったのだが。
このニュース、この写真はスルーするにはもったいないと思うほど興味深い。
ソースは全てANTARCTIC HERITAGE TRUSTから。
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本文を読む原理主義というのはおそらくどんな宗教にも存在するのだろう。
教典や聖典、成立当時の教えに対して盲目的と言えるほど忠実に生きるべき、それこそが宗教としての正解だと主張して譲らない原理主義は、現代の日本人の感覚からすると最も理解が難しい存在かもしれない。
そういった考え方はイスラム教に限らず、キリスト教にも仏教にも、おそらくヒンドゥ教にも存在する。
どんな宗教にも、長い時代を経たものには多くの分派や宗派が産まれて、考え方や教義も変化するのだろうから、「変化しないこと」「余計な解釈をしないこと」を信条にする派が存在しても不思議ではない。
原理主義が原理主義で生きていける世の中ならそれでいい。
ただその宗教の成立時点から世の中はだいぶ変わってしまった。2000年前、1500年前なんて時代から見れば信じられないくらい世界は狭くなってるし、いろいろな地域の多種多様な考え方や習俗が存在するのも僕たちは知っている。
イスラムの人々だって、外の世界、つまり欧米のキリスト教をベースにした社会や、日本のようなほとんど宗教というものを顧みることのない社会があることも知っているだろう。
そんな中での原理主義は、やはりカルトだと僕も思う。
原理主義というものを押し通そうとすればするほど、現実は軋んで歪み、弱い部分に負荷がかかりすぎて悲鳴を上げる。
いわゆる「ふつうの」イスラム教徒は、きっとそういった現実と宗教の間で、迷いながら悩みながら生きているはずだ。
もちろん現実も大事だし、親や先祖から受け継いできた宗教も大切だ。
その間で右往左往しながら生きているのが現代のイスラム教徒なんだろう。それは僕らが仕事や恋愛や日常や、とにかくそういったことの間で右往左往しながら生きているのと全く変わりはない。
そんなことを、上に掲げた写真に考えさせられた。
写真や映像というものはこういったことを伝えるためにあると切実に思う。
世界を脅迫するために映像を利用するなんて間違っている。
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シリアとイスラーム国のことを考えることは日本とオウムを考えることだ
ある日のできごと 5
写真に関しての覚え書き
イスラーム国により殺害されたジャーナリストの後藤健二さんのことを考えている。
後藤さんの死に関しては本当に残念というひと言に尽きる。
ネットで流れてくる情報を垣間見ると、そこには心ないというか情けないというか、とんでも発言も多々あって、暗澹たる気分にさせられる。
そんなこと言うなよ、と悲しい気分に落ち込みながら、そこには昨今問題になっているヘイトスピーチと結びついた短絡的な思考回路が大いに関係しているようで気持ちが悪い。
この気持ち悪さは過去に経験した覚えがある、とふと思う。
911同時多発テロ直後のアメリカ。
僕はその現場であるニューヨークに住んでいたのだが、アメリカの地方都市で、ムスリムを対象にした集団暴行、いわゆるリンチが頻発した。
極端に多国籍な街として機能しているニューヨークでこそなかったものの、「自由の国」として世界各国を「指導」しようというような国で、このような理解と共感が欠如した超短絡的な事件が、ひとつやふたつではない規模で起こるということが、アメリカ人の本質というか、もっと言えば人間の残酷な本質を覗き見してしまったような気持ち悪さを感じさせてしかたなかった。
こういったことはもうアメリカをはじめどの国のメディアでも報じられることは皆無なはずだが、僕にとっては911の事件自体と同じぐらいの比重で今でも胸の中にしこりとして残っている。
当たり前だが、911を起こしたアル=カイーダとイスラム教は全く別物だ。
そしてイスラーム国とイスラム教もまた別物。
この件に関しては、友人から流れてきたリンクがとても納得のいく説明をしていた。
「イスラーム国とイスラム教の関係は日本におけるオウム真理教と日本仏教の関係と同形である。」
ISISの存在が突きつけるアラブ諸国の深刻な矛盾 | 橘玲 公式サイト当時ほぼ全ての日本仏教がオウム真理教を認めなかったわけだが、原理主義という点で、つまり大元の教義に忠実であるという点では、日本仏教はオウム真理教に勝てなかったのだ。
スナックで酒飲んで妻も娶って、なんてことしてる日本の坊さんはそりゃ仏教の大原理からしてみれば逸脱も甚だしいわけで、しかも周りもみんなそんな環境なもんだから原理原則からとんでもない程度で破戒しているわりには、破戒してるという後ろめたさや自責もない。
ただ少しは日本の坊さん自身も自覚はあるんだろう。だからオウムのようなハードコア仏教を前にして有効な言葉を発せられなかったんじゃないか、とこれはほぼ先のリンクの受け売りだが、僕も全く同感である。
そしてこれがイスラーム国とイスラム教の現在の関係でもある、と。
宗教というものの性質上、よりハードコア(原理主義)であり、よりファナティック(狂信的)である方が信仰の強さという面では優れているように見える。
例えば日本の宗教関係者が集まって、日本の宗教はお互いに対して寛容なんです、といった発言をしている場面にたまに遭遇するが、確かにそれは事実であると考える。
ただそれは当事者たちが胸を張って言うように、日本的に変質した宗教の長所でもあると同時に、日本では宗教が宗教としての力を失ってしまったことの証明でもあると思うのだ。
自分たち身内以外の世の中すべては敵であり、私たちは迫害されている、そう思っている宗教の方が強い(強いというのは過激という意味での強さであって、根源的な強さのことを言ってはいない)と僕には思える。
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本文を読む
20 Years Later の続きです。
ミュージシャン志望(当時)が突然くれたメールによると。
今では地元の名古屋でお店をやっている。そのお店に、先日ある雑誌が取材に来た。取材の終わりに、何の気なしに「石川拓也ってカメラマン知ってる?」とその取材の撮影を担当していたカメラマンに尋ねた。それがたまたま僕の友人だった。
10年ほど前に、これもたまたま名古屋の本屋で、僕が雑誌で発表した写真を見た。写真の世界にいることを知り嬉しかったが気後れしてずっと連絡しなかった。でもこのたまたま(たまたまが多いが)訪れたカメラマンが僕の友人だったという偶然と、自分も胸を張って報告できるような店も構えたことだし、とメールした。
そういった内容だった。
20年の時が一気に縮まって、あのときあのモロッコの朝靄の中で嗅いだ匂いが蘇ってくるような感覚に襲われた。
すぐにジャーナリスト志望(当時)に連絡して、名古屋で集まることに決めた。
集まったのは4人だが、女性はミュージシャン志望(当時)の奥様で、モロッコで旅をした香港の女性とは別。彼女に限らず香港の人は一般的に本名よりも通称で名乗ることが多いのでなかなか探しようがない。
ジャーナリスト志望(当時)は大学卒業後NHKに記者職として就職。現在では福島のデスクとして、ある意味日本の最前線で仕事をしている。
ミュージシャン志望(当時)はその後いろいろあったそうだが、現在は名古屋でハンドメイドの革靴のお店を開いた。Bolero Bespoke Shoe & Bootmakerという名の高級感漂うおしゃれな店だ。そういえばモロッコのときも彼はひとりおしゃれだった。
カメラマン志望(当時)は、現在もカメラマンです。なんとかやってます。
みんなそれぞれこの20年の間にいろいろあっただろう。
いろいろ無いわけがない。
良いことばかりでも順調なことばかりでもない。
でもなんとかこうして集まって20年前の話で笑って盛り上がれる。
20年。
悪いことばかりでもない。
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