Posts in the Category: 毒にも薬にもならない
よく驚かれるのだが、今年の夏までずっと我が家にはクーラーがなかった。
一軒家なのでなんとなく涼しい気がする、と自分をごまかして乗り切っていたのだが、今夏の猛烈な暑さはさすがにごまかしようがなく、四部屋のうちのひとつにクーラーを入れた。
めでたくエア・コンディション状態になったのは、居間でも台所でも寝室でもなく、二階にある六畳の暗室だ。
暗室は光を遮断するために、窓も雨戸も閉め切ったうえに、分厚くて真っ黒な暗幕をかけてある。ほんの少しのそよ風も流れない室内は、写真を焼くための諸々の機械が発する熱のせいで、またたくまに熱帯雨林か灼熱砂漠のような気温まで上昇する。
これまでの夏では、覚悟を決めて気合いで乗り切っていた。息を止めて、せーので暗室の作業、一枚焼いたら急いで室外に出て汗を拭う、という繰り返し。仕上がる頃には汗も出尽くしてヘトヘトになっていた。
それが今年のこの暑さがきっかけで、これは落ち着いて写真を焼けない、それどころか命が危うい、と考えさせられた。妙な意地を張って死んでしまうのを良しとするほど、暗室作業は命がけのものではない。
おかげで今では我が家のなかで一番涼しい場所が暗室になっている。こうなると仕事がどんどんはかどるのは良いことだが、知らず知らずのうちに暗室で過ごす時間が長くなり、モノが暗室に移動し始めた。
まずノートパソコンが隣の部屋から移住して、イス、灰皿、コップその他こまごましたものが民族移動した。短期でまた元の場所に帰って行くモノもいるし、ほぼ永住のように居座っているモノもいる。最たるものが僕自身で、家にいる時間の八割か九割はこの部屋にいるような気がする。暗室が生活の拠点になって来ているのだ。
常に現像液の香りがただよう部屋で生活していると、なんだか自分自身もいつかは現像されてしまうような妙な気分がするのだが、ここが最も快適なんだからしかたない。
秋が訪れるまでのあと数週間、体の芯まで現像液がしみ込まないように祈りつつ、これも暗室で書いている。
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初めてだったのか。緊張していたのか。
僕は京成線沿線に住んでいる。
都心から帰ってくる場合、最寄り駅の手前にさしかかると車掌さんのアナウンスが入る。
「北総線直通印西牧の原行き電車は、2番ホームでお待ち下さい。」
漢字が多くて読みにくいが、ひらがなだと
「ほくそうせんちょくつう、いんざいまきのはらいきでんしゃは、、、」になる。
今夜も、ちょっと鼻に抜ける高めの声でアナウンスが入った。
「ほ、本日も、京成線をご、ご利用いただきましてありがとうございます。」
なんだ? 今日は調子悪いのか? と思った一瞬後、事件は起きた。
「ほ、ほくちょーちぇんちょくちゅう、い、い、いんぢゃいまきのはらいきでんちゃは、、、。」
まったく言えてない。「子供かよ!」「甘えんぼかよ!」乗客が数人、素敵なツッコミを入れる。
アナウンスは3秒ほど沈黙し、彼が最初から言い直すのかと僕は思ったが、
「、、、2番ホームでお待ち下さい。」
何事もなかったかのようにスルーした。電車の中は明るい笑いに包まれた。
僕も笑った。駅から家に歩きながら、何度か思い出し、また笑った。
ひとの失敗を笑うのはいけないことだが、笑って、書いた。
伝われば、うれしい。
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もう長いこと東京の隅っこの下町に住んでいる。
下町というのは地域のことではなく、正確にはコミュニティを指す言葉だ、ということが、長く住めば住むほど身にしみてわかって来る。
斜め向かいのおばさんが、ちゃきちゃきの気っ風の良さで、田舎から野菜が届いたから持っていきな、とじゃがいもなんかを持ちきれないほど手渡してくれる。
二軒となりのおじさんは、僕が庭木の剪定で慣れない汗をかいていると、おれこういうの大好きなんだよ、とノコギリ片手に参戦してくる。にいちゃん、この枝も切っちゃってかまわないかい?
正面向かいのじいさんには、僕が何も告げずに1週間ほど旅に出た後、そこそこ激しく怒られた。いねえから独りで死んじまってんのかと思ったぞ、ひと言いってから留守にしろ。
数え上げたらきりがないが、僕が向こう三軒両隣の大人たちからもらった分の、お返しをできてないのは確実だ。
今日も考え事をしながら近所を歩いていて、隣のじじいに怒鳴られた。にいちゃん、ぼーっとしてっと車にひかれて死んじまうぞ。
いつかは僕もそんなうるさいじじいになるんだろうか、と考える。
全く悪い気はしない。
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強い写真には、どこで出会うかわからない。
当たり前だが、これほどの量の写真に日々晒される生活は、ここ十年ほどの時代を生きた人間以外に前例がないだろう。
横丁の、角を曲がればお店の壁に広告の写真が貼ってあって、といったことは昭和の初期からあったのだろうが、ネットに繋いだ瞬間に、望みもしない多くの写真を見せられる、なんていう経験は、この頃以前の人間は持つ必要がなかったはずである。
ユビサキだけでクリックすれば、今日の晩ご飯やセクシーなお姉さんや新発売のスポーツカーなんかが我も我もとこちらの目に脳に飛び込んで来る。その副作用は一体どういうことになるのか、なんていうことは全く想像もつかないが、なんの縁だか写真というものを生業にしている身としては、おもろい時代になったなあ、と思わずにはいられない。
そんな時代なのに、というよりも、そんな時代だからこそ、目にした瞬間に内臓をわしづかみにされてしまうような写真に出会うことが割合としては少なくなってきている気がするのだが、反対に、意図していない瞬間に、とんでもなく強い写真に出会ってしまい、心の準備もないままに五臓六腑を引きずり出されてしまうような、快とも不快とも言えないような経験をすることがまれにある。
ヒマラヤやチョモランマ関係の調べものをしている最中に、久しぶりにそんな経験をした。
登山家であるジョージ・マロリー(George Mallory)を撮影した写真である。まだチョモランマの頂上に人類が到達していなかった頃、1920年代に活躍したイギリス人で、マロリー自身、21年、22年、24年と3度の挑戦を行った。結果を先に言ってしまうと、その3度とも頂上の踏破は叶わず、人類初の登頂は1953年のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイまで待つことになる。
マロリーは24年に行われた3度目の挑戦で、サポート役のアンドリュー・アーヴィンと共に行方不明になり、帰らぬ人となってしまった。頂上に最も近い第6キャンプから、二人が頂上に向け登って行く様子を見つめていた遠征隊員のひとりであるオデールの目撃証言を最期に、ふたりはこの世からいなくなってしまったのである。
ふたりの生存に関しては、キャンプに戻って来ないことからも絶望的と思われたが、そこでひとつの謎が残された。
ふたりが行方不明になったのは、登頂を果たした後なのか?それとも頂きに達する前なのか?
果たして、ふたりは頂上を踏んだのか?
今となっては確認をとる術もなく、謎は謎としてヒマラヤの氷の中に永遠に凍結されることになる。「頂上を踏んだら妻と娘の写真をそこへ置いて来る」と言い残していたその写真も、後の登頂者に発見されることはなかった。
Chomolungma/Sagarmāthā
そしてそれから75年という歳月が流れた1999年、アメリカ隊によって頂上付近でうつぶせになったマロリーの遺体が発見される。遺体や遺品の状況等が調べられたあと、マロリーは隊員たちの手によって葬儀、埋葬されるのだが、発見時の大きな記録として撮影された写真が、今回僕が偶然目にしたものだ。
8000m級の山の頂上付近という特異な気候条件の下、75年が経ちながらも遺体は白骨化していなかった。うつぶせになって瓦礫に頭部を埋めている遺体は、破れた服から背中をむき出しにして晒している。何故だか色素が抜け落ちてその肉は真っ白になっている。垣間見える服装や装備は現代からは信じられない素朴なもので、鋲を埋め込んだ靴底なんかも、山には素人の僕でさえ多分に心細くなるほどの古めかしさだ。
予期しない形でこの写真に出会ってしまった僕は、前人未到の頂きに挑戦し、命を落としてしまったマロリーの無念さや勇気や強さや、ベースキャンプで待ち続けたオデールたちの歯噛みするような悔しさや、戻って来ると信じて疑わなかったマロリーの妻や子供たちの言いようもない哀しさや、そういう言葉にできもしないたくさんの人々の想いをふいに眼前に提出されたような気になって、ぐっと息を吐いたまま、しばらくの間、目を離せなくなってしまった。
写真家が写真家として撮った写真を論ずる以前の、根本的な写真の強さがそこにあったように感じたのだ。
写真とは主要な芸術の中でただ一つ、専門的訓練や長年の経験をもつ者が、訓練も経験もない者に対して絶対的な優位に立つことのない芸術である。
そんなことをある思想家が書いていたのを読んだことがあるのだが、マロリーの写真を撮ったのが経験を積んだ写真家か否かはさておいて、現実に対する視点や解釈を根こそぎ圧倒してしまう、そんな巨大な事実の前では、訓練や経験なんかは毛ほどの意味もなく、だからこそこのような事実の前に立ち向かうためには写真という手段は飛び抜けて強力なものなのだ。言葉を換えれば、写真というものは、撮影者の訓練や経験や技術といった、本来は媒介になるための重要な要素をことごとくいとも簡単に飛び越えて、目の前の現実と直結してしまう。写真はときにウソをつく、といった問題はまた別にあるにしても、目の前に広がる現実は、それが圧倒的なものであれ些末なものであれ、カメラの前では腹を見せた子犬のように素直で素朴なものになってしまう。
行方不明になったとき、マロリーは一台のカメラを持っていた。当時としては最新鋭の、コダック社製のブローニーフィルム用のポケットカメラだ。そのカメラと、もしかしたら撮影済みのフィルムが見つかれば、永遠と思われていた謎が解けるのではないか、つまり、マロリーとアーヴィンが頂上で写真を撮っていれば、登頂の確たる証拠になるだろうと思われていたのだが、幸か不幸かマロリーの遺品の中にはカメラもフィルムも含まれてはいなかった。
「カメラが発明されて以来、写真はいつも死と連れ立っていた。」
さきの思想家はそういえばこんな言葉も残していた。
ヴェストポケット コダック(Vest Pocket Kodak)という名のそのカメラは、未だに発見されていないアーヴィンとともに、今もヒマラヤの氷の中に眠っているのだろうか。
参考文献
そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記
posted with amazlet at 15.11.17
ヨッヘン …
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所用があり友人に電話をかけてみたところ、こんなに天気の良い休日の昼下がりにもかかわらず、声が重く反応が鈍い。
不審に思って聞いてみるとどうやら昨晩呑み過ぎたようで、ひどい二日酔いの真っ最中ということだ。その夜また別の友人に電話をするとこちらもまた二日酔いで、生涯で二番目につらいほどで仕事もまったく手に付かなかった、とぼやいていた。
そしてまたこれを書いているこの僕も、そこそこひどい二日酔いを引きずっていて、はっきりしない濁った頭でパソコンに向かっている。
人はなぜ、二日酔いになるのだろう。
その答えは単純で、呑み過ぎるからだっていうことは頭では十分わかっているのだが、ではなぜ頭ガンガン、吐き気も少々するほどの苦しみが、夜明けとともにやってくるのをわかっていながらも相も変わらず呑み過ぎるのか、っていうことになるとその時点で思考は深い霧の中、とたんに良くわからない。
一言で言ってしまうと、楽しくなってしまうからなのだろうが、そこには前回ひどい二日酔いに陥ったときの、自分自身に対する叱咤や反省などはまったく反映されていない。
その叱咤、反省をしたことすら記憶の片隅の埒外に追いやられ、そしてこれが一番大きな理由なのだが、その叱咤も反省も忘却してしまう自分自身を不思議なことにそれほど不快とも思わない。
人間は結局、快を求めて生きる動物なのだから、性懲りもなく叱咤や反省を忘れてしまうことへの不快よりも、呑んで酔って楽しくなってしまう快のほうが僕や二日酔いの友人たちにははるかに大きいということなのだろう。
今日もまた、節度を越えて呑み過ぎてしまったことへの叱咤と反省をちょっとだけしている。
そして明日の朝訪れる忘却。明日の夜訪れる痛飲と泥酔。
その3点を結んだ正三角形を右往左往しながら、また朝は来る。
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LADY GAGAにハマってしまった。
数日前の話になるが、来日中のLADY GAGAのライブを撮影する機会があった。
化粧品メーカーMACの主催するエイズ基金のチャリティイベントで、シークレットライブということで通常のライブ会場とは比べ物にならないほどのアットホームかつこじんまりとしたステージだった。
仕事での撮影なのでここにお見せすることができないのは残念だが、運良くステージ最前に位置できたこともあり、ありえないぐらいの近さにLADY GAGAがパフォーマンスしていた。ときとして50cmぐらいの距離に彼女が近づいて来てくるものだから、広角いっぱい24mmにしても近すぎるので、そんなときは少し後ろにのけぞりながらの撮影になった。
過去にライブ撮影は数多くしてきたが、ステージや会場の条件などで、パフォーマンス中のアーティストにそこまで近づけるというのは珍しい。
通常のライブはもっとステージが大きいのがふつうだし、柵や機材やセキュリティが行く手を阻む場合が多々あるのだ。僕の好みとしてはライブ写真はやはり被写体に近づけるだけ近づいて広角レンズで撮りたいと考えるので、ルールを守った上でどこまでアーティストに近寄れるか、というのがどの撮影でも第一の課題になる。
今回のLADY GAGAの場合は理想的にうまく事が運んだ結果で、少々興奮気味で気を良くしながら会場を後にした。
そう書きながらお恥ずかしい話であるが、正直に言うとそれまでLADY GAGAの曲はほとんど聴いたことがなかった。しかしライブで実際に見聞きした彼女のパフォーマンスは圧倒的で、こんな存在のためにひとはオーラという言葉を使うのだろうと思わせるものだった。世界のポップシーンのど真ん中で、名実共に今の時点で「私がいちばんよ」と断言できるのは彼女だけなのだろう。そんな全く隙のない圧倒的な自信を彼女が持っていたのを感じたし、そういった自信が彼女のオーラを作っていくのか、オーラを持って産まれたからここまで登り詰めたのか、どちらが卵かニワトリかは定かではないが、とにかくそのピカピカな自信が彼女の、曲やパフォーマンスをというよりも、存在自体を凄みのあるものに感じさせているのは間違いない。
そんなことを考えながら家路につき、当然のようにyoutubeでLADY GAGAを検索する。
そして、ハマってしまった。
そこそこ強い中毒である。ここ数日、LADY GAGAの曲が頭から消えることがない。外出しているときでもふとした瞬間に “BAD ROMANCE” のPVを見直したくなる。あの違和感満載、変態的、かつ完成度の高いビジュアルがちょっとしたクセになるのだろう。しばらくは頭に住み着いたLADY GAGAが立ち退いてくれそうにないのだ。
それで思い出したのだが、NYに住んでいた頃知った言葉で “MTV ADDICT” というものがあった。MTV中毒だ。現在よりネットが普及していなかった時代に、朝から晩までピザやハンバーガーにコーラを片手にMTVを見続ける、そんな人種がたくさん出現した。MTVは視聴者をつなぎ止めるためにより中毒性の強いコンテンツを垂れ流し、視聴者はより強い刺激を求めて次々と流れるPVを飽きもせず繰り返し眺めていた。
イーストビレッジでアメリカ人のアパートをルームシェアしたことがあった。ある真夜中喉が渇いて飲み物を取りに行こうとして、真っ暗なリビングにテレビがつけっぱなしになっているのに気づいた。スイッチを切ろうと思いテレビに近寄った一瞬後、家主がソファに座って無言で画面を見つめているのに気づき、「13日の金曜日」でジェイソンに殺されかけた人と同じぐらいビックリしたことがある。真っ暗な部屋で両目だけがテレビのせいで光っていた。そのときに流れていたのはやはりMTVだったから、彼もまた中毒だったのだろう。余談だが彼はそのうえドラッグ中毒だったことが早々に判明したので、ケンカになり2ヶ月ほどで僕はアパートから追い出されることになる。
話を戻すと、MTVはより多くの視聴者が欲しい、視聴者はより気持ちよくなるPVが見たい、アーティストやプロダクション側はより多くのひとに曲を買ってもらいたい、それらは当然の欲求であって、それが資本主義的な価値観の中で語られた場合、良い商品イコール中毒性の強いもの、という公式ができあがる。
ここで語られているのは芸術的な優劣ではなくあくまで商品としての優劣だ。しかし芸術的な優劣というものが観念的、ともすれば専門的なものさしであるのに対して、商品としての優劣は数字で売り上げとして具体的に示されるものだから強力だ。全米ヒットチャート1位、世界総売上何万枚、といった言葉は世界中のどの人種にもわかり易すぎるほどわかり易く伝わってしまう。中毒者が放つ熱狂や散財は数字になってまた新たな中毒者を産む。隣の人があれだけ中毒してるんだから、そこにはなにかがあるのだろう、と考えるのは人間として自然な心理だろう。
考えてみれば昔から、人間はなにかに中毒しながら生きて来た動物であって、言い換えればより中毒性の強いものを次から次へと発明しながら現在までたどり着いたのが人間の歴史なのかもしれない。
ドラッグの類いは古代からマリファナが使用されてきたのだし、マルクスの「宗教はアヘンだ。」という言葉からも想像できるように、宗教も間違いなく中毒性があるのだろう。そのマルクスが生み出した社会主義思想もまた強い中毒性があったことは歴史が証明している。
身近な例で言えばマックのハンバーガー等のジャンクフードやスタバのコーヒーに中毒症状を示す人は僕の周りにも昔からいた。僕はどうしてもタバコがやめられない。ジョギングにハマって雨の日も走らなければ落ち着かないなんて人も、命がけで岩を登るクライマーも、スピードに魅せられた走り屋なんかも総じて中毒なのだろう。最近ではタイガー・ウッズのセックス依存なんて言葉も話題になっていた。
人間は、中毒から自由にはなれない。
自由にはなれないが、何に対して中毒するかという選択(または偶然)が残されている。
以前インドを旅したときに、ヒンズー教の寺院の奥に入れてもらったことがあった。そこはヒンズーの僧侶がタイル張りの床に車座になって座り、托鉢で信者から得た食べ物を食する部屋で、見ていると僧侶たちは全ての種類の食べ物を少しずつ自分のマイどんぶりに入れ、その上からドボドボと水を注ぎ入れたあとすべてをグルグルとかき回して、まるでお好み焼きの生地のようにして食べていた。
正直に言えば僕には決しておいしそうには見えなかったが、それも当然で、これはどうやら食に対する煩悩を断ち切るための作法であって、味に対する欲求、言い換えれば味覚の中毒を限りなくゼロにして食事を生存のための栄養を採る行為と捉える、そういう考え方の現れなのだそうだ。そうやって僧侶は衣食住、快楽などの中毒を捨て去ることをひとつの目標に生きるのだろう。唯一の中毒の対象を宗教に置いているのだ。
翻って日本を見てみれば、宗教こそ中毒の対象としての魅力を失いかけている気がするが、さらに強力な中毒の対象は日常生活の至るところにあるように思う。
その筆頭はやはり食なのだろう、こんなに食べ物に対して好奇心旺盛で、街のあちこちに様々な国のレストランを見つけられるのは世界を見渡しても日本ぐらいではないだろうか。
先に例に出したジャンクフードは言うまでもないが、僕の周りではラーメン中毒者がとても多く、ひととおり食事をして呑み終わっても、ラーメン屋に寄って行こうと言って聞かない友人は間違いなく中毒症状を呈しているのであろう。
そうしてみると中毒というものは個々人や場所や人種や文化で姿を変え形を変え、対象は変わって来るが人間とともにあり人間の中にあり、人間そのものなのだろう。
怒られるかもしれないが、中毒という水平線からこの世の中を見てみれば、
「あなたは神を信じますか?」という問いかけも、
「うちの豚骨ラーメンうまいっすよ!」という呼び込みも、
「タバコ、やめたいんだけどね、、、。」というあきらめも、
「バァッッドォロォーマァァンス!」というLADY GAGAの雄叫びも、
中毒の原因であり結果であるという点においては違うところは全くない。
それがときとして戦争を起こしたり、警察に逮捕されたり、太っちゃったり、浮気がばれて謹慎したり、そんなことの引き金になってしまうこともあるのだろうが、それが素晴らしい芸術や、多くの人を救うような発明や、目の前の人を笑顔にするアイデアなんかを生み出す原動力になることだってあっただろうしこれからだってあるにちがいない。
食や栄養に対して敏感な一部のアメリカ人がよく使う表現で、”What you eat is what …
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