Monthly Archives: 4月, 2010
所用があり友人に電話をかけてみたところ、こんなに天気の良い休日の昼下がりにもかかわらず、声が重く反応が鈍い。
不審に思って聞いてみるとどうやら昨晩呑み過ぎたようで、ひどい二日酔いの真っ最中ということだ。その夜また別の友人に電話をするとこちらもまた二日酔いで、生涯で二番目につらいほどで仕事もまったく手に付かなかった、とぼやいていた。
そしてまたこれを書いているこの僕も、そこそこひどい二日酔いを引きずっていて、はっきりしない濁った頭でパソコンに向かっている。
人はなぜ、二日酔いになるのだろう。
その答えは単純で、呑み過ぎるからだっていうことは頭では十分わかっているのだが、ではなぜ頭ガンガン、吐き気も少々するほどの苦しみが、夜明けとともにやってくるのをわかっていながらも相も変わらず呑み過ぎるのか、っていうことになるとその時点で思考は深い霧の中、とたんに良くわからない。
一言で言ってしまうと、楽しくなってしまうからなのだろうが、そこには前回ひどい二日酔いに陥ったときの、自分自身に対する叱咤や反省などはまったく反映されていない。
その叱咤、反省をしたことすら記憶の片隅の埒外に追いやられ、そしてこれが一番大きな理由なのだが、その叱咤も反省も忘却してしまう自分自身を不思議なことにそれほど不快とも思わない。
人間は結局、快を求めて生きる動物なのだから、性懲りもなく叱咤や反省を忘れてしまうことへの不快よりも、呑んで酔って楽しくなってしまう快のほうが僕や二日酔いの友人たちにははるかに大きいということなのだろう。
今日もまた、節度を越えて呑み過ぎてしまったことへの叱咤と反省をちょっとだけしている。
そして明日の朝訪れる忘却。明日の夜訪れる痛飲と泥酔。
その3点を結んだ正三角形を右往左往しながら、また朝は来る。
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LADY GAGAにハマってしまった。
数日前の話になるが、来日中のLADY GAGAのライブを撮影する機会があった。
化粧品メーカーMACの主催するエイズ基金のチャリティイベントで、シークレットライブということで通常のライブ会場とは比べ物にならないほどのアットホームかつこじんまりとしたステージだった。
仕事での撮影なのでここにお見せすることができないのは残念だが、運良くステージ最前に位置できたこともあり、ありえないぐらいの近さにLADY GAGAがパフォーマンスしていた。ときとして50cmぐらいの距離に彼女が近づいて来てくるものだから、広角いっぱい24mmにしても近すぎるので、そんなときは少し後ろにのけぞりながらの撮影になった。
過去にライブ撮影は数多くしてきたが、ステージや会場の条件などで、パフォーマンス中のアーティストにそこまで近づけるというのは珍しい。
通常のライブはもっとステージが大きいのがふつうだし、柵や機材やセキュリティが行く手を阻む場合が多々あるのだ。僕の好みとしてはライブ写真はやはり被写体に近づけるだけ近づいて広角レンズで撮りたいと考えるので、ルールを守った上でどこまでアーティストに近寄れるか、というのがどの撮影でも第一の課題になる。
今回のLADY GAGAの場合は理想的にうまく事が運んだ結果で、少々興奮気味で気を良くしながら会場を後にした。
そう書きながらお恥ずかしい話であるが、正直に言うとそれまでLADY GAGAの曲はほとんど聴いたことがなかった。しかしライブで実際に見聞きした彼女のパフォーマンスは圧倒的で、こんな存在のためにひとはオーラという言葉を使うのだろうと思わせるものだった。世界のポップシーンのど真ん中で、名実共に今の時点で「私がいちばんよ」と断言できるのは彼女だけなのだろう。そんな全く隙のない圧倒的な自信を彼女が持っていたのを感じたし、そういった自信が彼女のオーラを作っていくのか、オーラを持って産まれたからここまで登り詰めたのか、どちらが卵かニワトリかは定かではないが、とにかくそのピカピカな自信が彼女の、曲やパフォーマンスをというよりも、存在自体を凄みのあるものに感じさせているのは間違いない。
そんなことを考えながら家路につき、当然のようにyoutubeでLADY GAGAを検索する。
そして、ハマってしまった。
そこそこ強い中毒である。ここ数日、LADY GAGAの曲が頭から消えることがない。外出しているときでもふとした瞬間に “BAD ROMANCE” のPVを見直したくなる。あの違和感満載、変態的、かつ完成度の高いビジュアルがちょっとしたクセになるのだろう。しばらくは頭に住み着いたLADY GAGAが立ち退いてくれそうにないのだ。
それで思い出したのだが、NYに住んでいた頃知った言葉で “MTV ADDICT” というものがあった。MTV中毒だ。現在よりネットが普及していなかった時代に、朝から晩までピザやハンバーガーにコーラを片手にMTVを見続ける、そんな人種がたくさん出現した。MTVは視聴者をつなぎ止めるためにより中毒性の強いコンテンツを垂れ流し、視聴者はより強い刺激を求めて次々と流れるPVを飽きもせず繰り返し眺めていた。
イーストビレッジでアメリカ人のアパートをルームシェアしたことがあった。ある真夜中喉が渇いて飲み物を取りに行こうとして、真っ暗なリビングにテレビがつけっぱなしになっているのに気づいた。スイッチを切ろうと思いテレビに近寄った一瞬後、家主がソファに座って無言で画面を見つめているのに気づき、「13日の金曜日」でジェイソンに殺されかけた人と同じぐらいビックリしたことがある。真っ暗な部屋で両目だけがテレビのせいで光っていた。そのときに流れていたのはやはりMTVだったから、彼もまた中毒だったのだろう。余談だが彼はそのうえドラッグ中毒だったことが早々に判明したので、ケンカになり2ヶ月ほどで僕はアパートから追い出されることになる。
話を戻すと、MTVはより多くの視聴者が欲しい、視聴者はより気持ちよくなるPVが見たい、アーティストやプロダクション側はより多くのひとに曲を買ってもらいたい、それらは当然の欲求であって、それが資本主義的な価値観の中で語られた場合、良い商品イコール中毒性の強いもの、という公式ができあがる。
ここで語られているのは芸術的な優劣ではなくあくまで商品としての優劣だ。しかし芸術的な優劣というものが観念的、ともすれば専門的なものさしであるのに対して、商品としての優劣は数字で売り上げとして具体的に示されるものだから強力だ。全米ヒットチャート1位、世界総売上何万枚、といった言葉は世界中のどの人種にもわかり易すぎるほどわかり易く伝わってしまう。中毒者が放つ熱狂や散財は数字になってまた新たな中毒者を産む。隣の人があれだけ中毒してるんだから、そこにはなにかがあるのだろう、と考えるのは人間として自然な心理だろう。
考えてみれば昔から、人間はなにかに中毒しながら生きて来た動物であって、言い換えればより中毒性の強いものを次から次へと発明しながら現在までたどり着いたのが人間の歴史なのかもしれない。
ドラッグの類いは古代からマリファナが使用されてきたのだし、マルクスの「宗教はアヘンだ。」という言葉からも想像できるように、宗教も間違いなく中毒性があるのだろう。そのマルクスが生み出した社会主義思想もまた強い中毒性があったことは歴史が証明している。
身近な例で言えばマックのハンバーガー等のジャンクフードやスタバのコーヒーに中毒症状を示す人は僕の周りにも昔からいた。僕はどうしてもタバコがやめられない。ジョギングにハマって雨の日も走らなければ落ち着かないなんて人も、命がけで岩を登るクライマーも、スピードに魅せられた走り屋なんかも総じて中毒なのだろう。最近ではタイガー・ウッズのセックス依存なんて言葉も話題になっていた。
人間は、中毒から自由にはなれない。
自由にはなれないが、何に対して中毒するかという選択(または偶然)が残されている。
以前インドを旅したときに、ヒンズー教の寺院の奥に入れてもらったことがあった。そこはヒンズーの僧侶がタイル張りの床に車座になって座り、托鉢で信者から得た食べ物を食する部屋で、見ていると僧侶たちは全ての種類の食べ物を少しずつ自分のマイどんぶりに入れ、その上からドボドボと水を注ぎ入れたあとすべてをグルグルとかき回して、まるでお好み焼きの生地のようにして食べていた。
正直に言えば僕には決しておいしそうには見えなかったが、それも当然で、これはどうやら食に対する煩悩を断ち切るための作法であって、味に対する欲求、言い換えれば味覚の中毒を限りなくゼロにして食事を生存のための栄養を採る行為と捉える、そういう考え方の現れなのだそうだ。そうやって僧侶は衣食住、快楽などの中毒を捨て去ることをひとつの目標に生きるのだろう。唯一の中毒の対象を宗教に置いているのだ。
翻って日本を見てみれば、宗教こそ中毒の対象としての魅力を失いかけている気がするが、さらに強力な中毒の対象は日常生活の至るところにあるように思う。
その筆頭はやはり食なのだろう、こんなに食べ物に対して好奇心旺盛で、街のあちこちに様々な国のレストランを見つけられるのは世界を見渡しても日本ぐらいではないだろうか。
先に例に出したジャンクフードは言うまでもないが、僕の周りではラーメン中毒者がとても多く、ひととおり食事をして呑み終わっても、ラーメン屋に寄って行こうと言って聞かない友人は間違いなく中毒症状を呈しているのであろう。
そうしてみると中毒というものは個々人や場所や人種や文化で姿を変え形を変え、対象は変わって来るが人間とともにあり人間の中にあり、人間そのものなのだろう。
怒られるかもしれないが、中毒という水平線からこの世の中を見てみれば、
「あなたは神を信じますか?」という問いかけも、
「うちの豚骨ラーメンうまいっすよ!」という呼び込みも、
「タバコ、やめたいんだけどね、、、。」というあきらめも、
「バァッッドォロォーマァァンス!」というLADY GAGAの雄叫びも、
中毒の原因であり結果であるという点においては違うところは全くない。
それがときとして戦争を起こしたり、警察に逮捕されたり、太っちゃったり、浮気がばれて謹慎したり、そんなことの引き金になってしまうこともあるのだろうが、それが素晴らしい芸術や、多くの人を救うような発明や、目の前の人を笑顔にするアイデアなんかを生み出す原動力になることだってあっただろうしこれからだってあるにちがいない。
食や栄養に対して敏感な一部のアメリカ人がよく使う表現で、”What you eat is what …
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物心ついてから現在まで、一度でさえ整理上手になれたことがない。
毎日ちょっとずつ整理する、使ったモノはすぐしまう、必要ないモノは極力捨てる、そういった能力が完全に欠け落ちているせいで、ときとして思わぬところで探し物に時間を食ったり、逆に予想外のモノが予想外のところでひょっこり現れたりすることがしばしばある。
古いネガを探していて、また別のモノに出くわしてしまった。
映画「愛してはならない」ポスター
監督:佐尾井貞之 製作:WAOWAO エキゾチカ
* * *
ポスター撮影は僕が行い、公開は日比谷シャンテにて来月半ばから。
というのは真っ赤なウソで、いや、撮影は僕がしたことは本当だが、それ以外は全く架空の話である。監督である佐尾井貞之も実在しなければ、WAOWAOという会社が映像業界で稼働していればなんらかの問題がありそうだ。
実はこれは映画「パレード」(監督:行定勲 製作:WOWOW ショウゲート)の劇中に使用された映画ポスターなのだ。
竹財輝之助くん演じる丸山友彦という青年が出演している映画、という設定だ。ちなみに監督の佐尾井貞之という名前は「さおいさだゆき」→「ゆきさだいさお」である。
まるで韓流のようなタイトルやビジュアルにおける世界観は行定監督の遊び心が基底になっているのだが、それを踏まえ作製する側、デザイナーさんや撮影の僕やキャストの二人、は本気の全力投球である。
事前にデザイナーさんと綿密な打ち合せを済ませ、キャストに詳細な世界観を理解してもらい、最適と思われる機材を準備して、挑む。そういったことは、実際のポスター撮影となんら変わりはない。真剣である。
そんな真剣勝負ででき上がったポスターであるが、劇中にメインで使用されたモノはそれこそ遊びといえるようなサイズではなかった。
正確な寸法はまったく失念してしまったが、そのカットだけは横長で、横6m、縦3mぐらいの大きさがあったのではないだろうか。
日比谷シャンテの壁の、通常は縦位置のポスターが3枚分貼られている広告スペースに、「パレード」美術部ならびに演出部の手で掲げられ撮影された。
映画の中では短いシーンなので、比較的気にならずに流れてしまうのかもしれないが、一度ストーリーがわからなくなるぐらい集中して見ていただきたい。
* * *
映画の劇中に、撮影した写真が登場するというのはいろいろな意味で新鮮で、写真や映画に対する認識をその都度新たにしてくれる。
当たり前の話で恐縮だが、写真と映画(や映像)の違いはひと言で言えば時間軸にある。
1点を凝縮し凍結してその瞬間をつかむ、というのが写真の基本的な性格で、そこに他の瞬間が入り込む余地はない。
対して映画はある瞬間が地続きで他の瞬間にコネクトしていなければ成立しない。
撮影場所や撮影時間がどれだけ離れていようが、ひとつの瞬間は複数の他の瞬間に接続していることを前提としている。
撮影した写真が映画の中に現れるということは、このポスターのようにある1点の瞬間をつかんだ結果であるモノが、再び混沌とした時間軸の渦に放り込まれ、映画という時間軸の中で、新たに他の瞬間と接続し始めるという感覚を与えてくれる。
それが錯覚なのかどうかは横に置いといて、その感覚が普段の僕の写真に対して持つ認識を、少しだけ快く揺らしてくれることは確かなのだ。
映画を観ていて、あまりにも美しいシーンに遭遇して、「ここで止まったら良いのに!」と思うことがある。
写真を見ていて、その続きが知りたくて、「これが動いたら良いのに!」と感じることもある。
その感覚はまったくネガティブなものではなく、それが写真に対する愛情も映画に対する愛情も、そう思うたびに少しずつ深めてくれるような気がする。どちらも完全であって同時に不完全なのだ。
ただ自分勝手なもので、僕が撮った写真が映画に登場する瞬間は、例外なく「ここで止まれ!」と心の中でつぶやいている。
ちなみに、探し中のネガはまだ見つかっていない。
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info@ishikawatakuya.com
千葉県生まれ。写真家。大学を入学2ヶ月にして中退し、放浪の旅に出る。徹底した貧乏旅行だったが、アジア、東西アフリカ、ヨーロッパを約一年半かけて縦横無尽に駆け回る。資金が尽きイギリスでひと夏のバイト生活。その後東ヨーロッパを経て1996年よりアメリカ・ニューヨークに住み始める。アメリカでの生活は7年に及び、911同時多発テロを現地で経験する。2002年帰国。以来数多くの雑誌や広告、映画ポスターなどの撮影を手がける。2012年あたりから地方や海外にいる期間が長くなり、自分が一体どこに住んでいるのか不明な状態が続く。かっこよく言えばノマド。実態は住所不定。2015年スペイン・イビサ島在住。湯布院・高知・インド・スペインあたりにしばしば出没する。2016年8月より高知県・土佐町に移住。