Monthly Archives: 8月, 2010
じっとりと寝苦しい一夜に、夢を見た。
目の前にはチベットから来た男達がたくさんいる。
みな一様に正装しているところを見ると、なにかしら公式な使節団なのだろう。
その中の頭領と思われる男がひとり前に進み、重々しく僕に向かってこう言った。
「あなたが次期ダライ・ラマに選ばれました。これからチベットに来て準備して下さい。」
夢なので、どんなぶっとんだ状況もありなのだ。
ただ夢の中の僕はなぜだか、とうとう来るものが来たかというような重い気分でいた。
悩んでいるのだ。
自分がダライ・ラマの生まれ変わりになってしまったことはしかたがない。
ただ最近は中国に操られたチベット僧侶も多いと聞く。
もし一大決心をしてダライになったとしても、それが中国政府の傀儡として選ばれたのであれば浮かばれない。
以前訪れたチベットで出会った人たちは、笑顔が溢れる素朴な人々だった。
そんな人々を痛めつけるような存在には絶対になりたくない。
おかしな話だが真剣に考え込んでいた。苦悩は続く。
ダライ・ラマになってしまったら写真を続けられなくならないか。
ダライをしながら写真も許されるのか。そんな時間あるのか。
でも、ダライ・ラマが撮る写真って誰にも真似できない面白さなんじゃないか。
ぐずぐず考え込んでいる僕にしびれを切らして、使節団が僕を取り囲み無理矢理連れて行こうとする。
いやいやいや、ちょっとちょっとちょっと。
意味をなさない抵抗をした僕の目に、使節団の中に明らかに中国の軍人が混ざっているのが見える。
ああ、やっぱりか。操り人形か。
怒りと落胆が入り交じった気分になって目が覚めた。じっとりと汗をかいていた。
そもそもダライ・ラマ14世が存命中なのだから生まれ変わりが世に出ることはない。
夢とはいえその大前提に気づかずぐずぐず悩んでいた自分が阿呆らしい。
時刻は昼前になっていた。
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8mmカメラにハマっている。
40年ほど前に作られたカメラを手に入れて、初めてフィルムを回したときは、こちらの思いのままにならない、そのわがままさ加減に驚いた。
なにせ古いものなので、フィルムを数本分撮ってみるまではどんな絵になるのかイメージできない。
まずホントに絵が撮れるのか、というところから始まって、露出の正確さや、逆光に弱いとか、暗部に弱いとか、いろいろな状況で撮ってみて、ちょっとずつ感覚として把握していく。
これはきっと写真のカメラでも同じことだろうが、8mmカメラの場合は、その把握していく過程で壊れてしまうのだ。
エルモというカメラをインドに持って行ったときも、3分ばかりのフィルム一本撮ったところで、ふてくされて動かなくなってしまった。
暑い車内にしばらく放っておいたから怒ってしまったのか、いくら話しかけてもうんともすんとも言ってくれない。
写真のカメラ、たとえばライカやコンタックスは同じ状況でも機嫌を損ねないので、エルモが気難しい、繊細なカメラだったのだろう。
* * *
基本的に8mmカメラは修理できない。
もう作っている会社が存在しない場合が多いし、がんばって治そうとするとものすごい金額になったりする。
なので、また中古の安いものを手に入れるわけだが、これで再び何本か撮影してカメラの性格を把握し直さないとならない。
そしてその把握する過程でまた動かなくなる。
そういう不毛な繰り返しをすでに三度繰り返している。
なんでこんな面倒くさいものに手を出したのかと自分でも不思議だが、思いのままにならないというのがちょっと面白かったりする。
こんな感じで撮れてると思うんだけど、というイメージをガタのきた8mmカメラは見事に裏切ってくれる。
こんなはずじゃなかったのに、というマイナスの場合も多々あるのだが、たまにこちらのちっぽけな意図を圧倒するような、気持ちのよい裏切りを披露してくれることもあって、そのときの感覚は撮ってすぐ確認できるデジタルではなかなか味わえないものだ。
昔は写真のカメラも壊れやすくて、フィルムも品質が安定していない時代があったらしい。
そんな時代にスペインの闘牛を撮り続けていたある写真家の話を聞いたことがある。
その男は10数年熱心に写真を撮り続けた後、ある日いきなり写真そのものを辞めてしまったのだが、なぜ辞めたのかと理由を訊ねた知人に対してこう言ったという。
「カメラもフィルムも進歩して、シャッターを押せば写真が撮れる時代になったから」
自分の意図通りに撮れるかどうかといった話以前の、フィルムの質が安定しないので画が撮れてるかどうかすら心許ない。写真がそんなメディアだったからこそ、その男は写真を撮り続けていたのだという。
8mmを触りだしてから、この男の話をやたらと思い出す。
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よく驚かれるのだが、今年の夏までずっと我が家にはクーラーがなかった。
一軒家なのでなんとなく涼しい気がする、と自分をごまかして乗り切っていたのだが、今夏の猛烈な暑さはさすがにごまかしようがなく、四部屋のうちのひとつにクーラーを入れた。
めでたくエア・コンディション状態になったのは、居間でも台所でも寝室でもなく、二階にある六畳の暗室だ。
暗室は光を遮断するために、窓も雨戸も閉め切ったうえに、分厚くて真っ黒な暗幕をかけてある。ほんの少しのそよ風も流れない室内は、写真を焼くための諸々の機械が発する熱のせいで、またたくまに熱帯雨林か灼熱砂漠のような気温まで上昇する。
これまでの夏では、覚悟を決めて気合いで乗り切っていた。息を止めて、せーので暗室の作業、一枚焼いたら急いで室外に出て汗を拭う、という繰り返し。仕上がる頃には汗も出尽くしてヘトヘトになっていた。
それが今年のこの暑さがきっかけで、これは落ち着いて写真を焼けない、それどころか命が危うい、と考えさせられた。妙な意地を張って死んでしまうのを良しとするほど、暗室作業は命がけのものではない。
おかげで今では我が家のなかで一番涼しい場所が暗室になっている。こうなると仕事がどんどんはかどるのは良いことだが、知らず知らずのうちに暗室で過ごす時間が長くなり、モノが暗室に移動し始めた。
まずノートパソコンが隣の部屋から移住して、イス、灰皿、コップその他こまごましたものが民族移動した。短期でまた元の場所に帰って行くモノもいるし、ほぼ永住のように居座っているモノもいる。最たるものが僕自身で、家にいる時間の八割か九割はこの部屋にいるような気がする。暗室が生活の拠点になって来ているのだ。
常に現像液の香りがただよう部屋で生活していると、なんだか自分自身もいつかは現像されてしまうような妙な気分がするのだが、ここが最も快適なんだからしかたない。
秋が訪れるまでのあと数週間、体の芯まで現像液がしみ込まないように祈りつつ、これも暗室で書いている。
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