カウントダウン・トュー・2011
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本文を読むかつてないほどの大規模な大掃除を、今年のこの時期は敢行している。
ここ数年、いつか使うかもしれない、と思い家のあちこちに溜め込んでいた決して使うことのないモノモノを、勇気を持って捨てることにした。
必要最低限のものだけ残す、という覚悟で家の中を見渡してみると、余りにも必要のないモノが多いことに気づく。いつの間にこんなにモノ持ちになったのか、愕然としてしまう。
これは要らない、あれも捨てる、とみるみるうちにすっきりしていく家の中を見ていると、このまま全てのモノを捨ててしまって、完全な裸一貫になってしまいたいという欲望を覚える。
背中に背負えるだけの荷物を持って、身軽にこの世を生きていけたらどれほど気持ちが良いのだろう。
本当の意味で生きていくために必要なモノの量はどのくらいなんだろう?とゴミを分別しながらぼんやり考えていたりするのだ。
東京大震災で被災した人が、「全てを失ってとてもすがすがしい気分がした」と語っていたのを読んだか聞いたかした記憶がある。不謹慎かもしれないが、僕にはその人の気分がとても良くわかるような気がする。本当は、人間がひとり生きていくために必要なものなんて、カバン一つに収まってしまうくらいのものでしかないのだろう。快適だから、便利だからとモノを増やしていくうちに、気づけばモノに囲まれて身動きの取れなくなった自分がいる。生きていくために、と際限なく買い続けるモノモノは、本当に生きていくために必要なんだろうか?
そんなことを考えながらも、そろそろ新しい冷蔵庫欲しいな、なんて思っている自分もいたりするわけで、これは全く矛盾している。
物欲と捨てたい欲の間でふらふら行ったり来たりしながら、この矛盾もきれいさっぱり捨て去れないだろうか、と願ったりしてみるが、大掃除のようにはいかないようだ。
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本文を読む幕張メッセで開催された農業ビジネスの展示会を訪れたときのことだ。
会場にはさまざまな種類の、農業に関係した企業がそれぞれの商品を展示している。新型トラクターからビニールハウス用エアコン、はては栽培用蛍光灯、ふだんの僕にはまるっきり縁のない製品がところ狭しとひしめき合っていた。
ふと興味をそそられて、広大な会場を編集者と一緒に歩いてみることにした。
一般人にとってはなかなか目にすることのないものばかりなので、非常に楽しい。
20分ばかり歩き回ったころ、「研究コーナー」とでも呼ぶべき一角に入っていた。
同行していた編集者によると、そこは大学や民間の研究所が開発した、もしくは開発中の製品や技術を展示している場で、企業のスペースと比べるとなんとなく空気が違う。
端的に言うとコマーシャル臭がほとんどしないのだ。
そんな一角の片隅に、なにやら大きな風船のようなものがふわふわと浮いている。
興味をそそられ近づいてよく見てみると、それは透明なビニール素材で作られた飛行船のような形をしていた。大人が両手で抱えられるぐらいの大きさだ。
眺めていると間もなく、担当者らしき男性が話しかけてきた。
一見して営業マンというよりは研究者の風貌。例えれば、大木凡人を少ししゅっとさせたような、独特な雰囲気を持った人だった。
ちょっとだけ笑顔がぎこちないところも、慣れていないことをがんばっているような印象があった。
凡人が説明してくれたところによると、この飛行船はカメラを搭載して上空から写真を撮影するために開発されたということだ。
畑や田んぼの記録用に使ったり、広大な自然公園や湿地を管理している会社などが調査用に利用しているのだという。
手渡してくれたパンフレットを見ると、「簡易空撮気球 ひばりは見た!」と書いてある。
僕はその日本人離れしたネーミングのセンスにまずクラクラしてしまった。
熱心に楽しそうに「ひばりは見た!」の説明をしてくれる凡人を見ていると、とても暖かな気分になると同時に、この彼が「ひばりは見た!」を開発した研究者であることは間違いないという確信を抱いた。
産み出した人間が醸し出すなにかしらの熱が凡人の顔には現れていた。
ひとしきり説明が終わると、隣にいた編集者が口を開いた。彼も興味をそそられたのだろう。
「気球の中にはなにを入れるんですか?」
この風船セットを前にしたら当然の質問かもしれない。彼が言わなかったら僕が質問していただろう。
凡人が胸を張って言う。「ヘリウムです。」
風船にはヘリウムか、それはそうだろう。
編集者が素朴な疑問、という雰囲気でさらに聞く。「ヘリウムってどこで買えるんですか?」
それに対し、凡人はこう答えた。「ガス屋さんです」
ガス屋さん?ガス屋さんって近所にあったっけ?一瞬混乱して戸惑ってしまった僕は、「東京ガスとか、そういう会社ですか?」と間抜けなことを言ってしまった。
凡人はちょっと面白くなさそうな表情を見せ、違います、と即座に否定した。
「そうではなく、ガスを売っているお店です」
すぐに腑に落ちた。あ、なるほど。プロパンガスとか売っているところですね。
凡人もそうそう、と頷いている。
でも僕の家の近所にそういう店はない。
「ひばりは見た!」はたいてい田舎の自然の中で使われるものなのだろうが、例えばそんな都内の人間が「ひばりは見た!」を使おうと思ったら、ヘリウムを求めて遠くまで行かなければならないのだろうか。毎日使うのだとしたら大変すぎる。
そんな疑問を口にした僕に、凡人は「あなた、なにもわかってないですねえ」とはさすがに言わないが、若干冷めた目をして、こう言い切った。
「そういう場合は、風船屋に行けば手に入りますよ」
そうか、風船屋か。
そうそう、え?風船屋?それってどこにあるんですか?
人生思い返してみても僕は風船屋に入ったことがないんですが、風船屋って僕の知らない地方にはけっこうあるものなのですか?
若干パニック気味になった僕に、凡人は真顔でこう言った。
「風船屋ってないんですか?」
研究者という人種のチャーミングな部分を具現化するとこういう言葉になるのだろう。こういう少しズレた感覚が、僕にはとても魅力的に思える。
ちなみに「ひばりは見た!」はタコ糸で釣り竿にくくりつけられている。
「ひばりは見た!」自体には動力がないので、カメラを移動させたい場合は釣り竿を持った人間が移動するということだ。
チャーミングな人間が作ったチャーミングな発明品、それが「ひばりは見た!」の正体だったのだ。
売れるといいな。
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本文を読む(3のつづき)
“Subway to Jamaica”がデューク・エリントンのヒット曲「A列車で行こう」をベースにして書かれたものだということは、酒で濁った僕の頭でもすぐにわかった。
「急いでハーレムに行きたきゃA列車に乗ろう」というその歌詞から着想を得た話なのだ。
NYの地下鉄は、AもEも途中までは同じ線を走る。
だがAがまっすぐハーレムに向かう急行列車であるのに対して、Eはマンハッタンの真ん中あたりで急カーブを描き、クイーンズの東のほうまで行ってしまう。Eに黙って乗り続けていると終点は「ジャマイカ」という名の駅だ。
甥っ子は飲んだくれて電車の中でうとうとして、気がついたらジャマイカまでたどり着き、やっとのことでハーレムに戻ってきたらもう空は白み始めていて、部屋にはかんかんに怒ったおじさんが待ち構えていた、というただそれだけのお話だ。ちなみに僕自身も酔っぱらって全く同じことをやらかしたことがあるが、それは今は関係ない。
ラングストン・ヒューズが「A列車で行こう」というデューク・エリントンの曲を土台にして短編を書いていた。その事実は、酒のおかげで理性の濃度がいつもより薄くなった僕には、喜び以上に、何かしらの啓示のような重々しさで受け止められた。すなわち、「デューク・エリントンは孤独ではなかった」のだ。
今振り返ってみても、これがまったく筋の通らない話というのはわかっている。
そもそもデューク・エリントンが孤独な人生を送ったという話を過去に聞いたことがあるわけではないのだ。僕はまったく自分勝手に、あれほど美しい曲を作れる人間は孤独な人生を送ったに違いないと決めつけ、デュークの殺伐とした人生のなかに、ラングストンが湧泉のように潤いを与えていたのだ、と信じ込んだ。そんな意味不明の思い込みをされた当のデュークもラングストンも迷惑以外の何ものでもないだろうが、とにかく思い込んだ。
そして、なぜかとても上目線で、デュークのために泣きたくなるくらい幸せな気分になってきた。
じっとしていられない。バーテンダーに紙とマジックをもらい、でかでかと書き込んだ。”DUKE IS NOT LONELY ‘CAUSE LANGUSTON IS THERE.”(ラングストンがいるからデュークは孤独ではなかった)
そのまま紙を四つ折りにして掌の中に入れ、バーを出た。とても重大な新発見をしたかのように気分は高揚していて、これを誰かに伝えたくて仕方がなかった。
少し遠回りして、ヒューズのことを教えてくれたあの女性のアパートに寄り道して、少し迷ってから四つ折りにした紙をドアについたポストに投函した。そのまま我が家まで歩き、高揚感に包まれたまま眠った。
まったく意味を成さない酔っぱらいの所業と言ってしまえば確かにそうだった。
その後一年ほどで僕はハーレムを離れ、さらに三年ほどでアメリカを離れた。過去住んでいた場所なのに、今ではとても遠い場所のように感じることも多い。
もしかしたら一人で高揚感に包まれながら飲んでいたあの夜が、僕がハーレムに最も近づけた瞬間だったのかもしれない。
“DUKE IS NOT LONELY ‘CAUSE LANGUSTON IS THERE.”
そう書かれた紙片はあの女性の日記帳の一ページに貼られたそうだ。
(おわり)
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