Monthly Archives: 2月, 2011
先週は中国へ行っていた。
訪問先はチベット文化圏の九寨溝(キュウサイコウ)だ。
九寨溝がチベット文化圏だということは知っていたのだが、思っていた以上にラサに近いというということを、現地で地図を見て恥ずかしながら初めて知った。
奇しくもちょうど15年前行ったラサへの旅の話をこのブログで書いている最中で、成都から2時間遅れの飛行機が九寨溝に着陸したときには、かつて訪れた記憶の中だけの場所にいつの間にか舞い戻ってしまったような、妙な因縁を感じる不思議な感覚がした。
九寨溝は段が連なった真っ青な湖が有名な観光地だが、それよりも今回の訪問で目を開かれる思いをしたのは、チベット民族は芸能の民だという事実を目の当たりにした瞬間だった。
男の踊りは激しく力強い。女の歌声は柔らかく力強い。
その独特な踊りと歌は、直にこちらの心臓に響いてくるような鮮烈さがあった。
チベット人というのは元来とても温厚で、ほのぼのとした印象を僕も以前のラサへの旅から持っていた。
それはそれで間違いではないのだけれど、それとはまた別の、彼らがその温厚さの内に秘めた遊牧民族の激しさを、少しだけ垣間見たような気がした。
一緒になって踊っていると10分ほどで汗が噴き出してきた。
こっちへ来て飲もう、とあるグループが誘ってくれたので飲み始めると、次から次へと乾杯の声がかかる。
返杯である。
乾杯、と言われたら飲み干すのがこっちのルールで、乾杯、飲む、乾杯、飲むを繰り返しているうちにベロンベロンに酔っぱらってしまった。
どうやらかなり酒に強いグループに入ってしまったようだ。
そうしているうちに何か歌ってくれ、と言うので美空ひばりの「川の流れのように」を歌った。
歌っている最中に自分がこの歌のサビの部分しか知らないことに気づき、延々とサビを繰り返すという情けない事態になってしまった。
それでも彼らは喜んでくれたように見えたので、なんとなく良しとしたのだが、もう一度九寨溝を訪れることができるならその前にカラオケで練習しておこうと密かに思っている。
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僕の家の近所には、寅さんが産湯を使った帝釈天がある。
初詣にはよほどの事情がない限りここに行くことにしているのだが、インドに何度も行っているうちに、帝釈天は元々インドの神様だったということを知った。
インドラという、初期ヒンズー教ではそれはそれは偉い神様なのだそうだ。
雷の神様でもある。
他にもそんなパターンがあるのかも、なんて調べてみると芋づる式にぞろぞろ出てくる。
だいたい○○天という名前がついている神の発祥はインドと考えても良いぐらいだ。
ラクシュミーという手から金貨を出しているありがたい神様は日本に渡って吉祥天になった。
琵琶のような楽器を弾いているサラスヴァティーは弁財天に、スカンダというシヴァの息子は韋駄天になって日本のあちこちに祀られている。
シヴァだって大黒天に姿を変えて七福神のひとりになった。シヴァの別名であるマハーカーラ(マハー=大きい、カーラ=黒)からそうなったのだ。
* * *
お寺でちょっとお参りするとか、お正月に家族そろって初詣なんていうときに、日本人は知ってか知らずか日本化したヒンズーの神様を拝んでいることになる。
日本の歴史の中で仏教が日本人の生活様式や精神性に大きな影響を与えてきて、そしてその仏教はヒンズー教の前身であるバラモン教を母体にして生まれてきたのだから、実はこれは当然と言えば当然のことなのだ。
今でも七福神巡りをしたり護摩を焚く日本人のことを「隠れヒンズー教徒」と呼ぶ人もいるぐらいだ。
* * *
そういえばもうひとりヤマというヒンズー教の神。
死や時間を司る恐ろしいこの神は、日本に入って閻魔大王になった。ヤマ=閻魔である。
そしてそれが後々ドラゴンボールで悟空の世話を焼くエンマ様になって日本の子供たちを毎週ワクワクさせて、それが世界に輸出されて世界中の子供たちをワクワクさせているのだから、世界は不思議な縁でつながっているのだ。
そもそも西遊記が中国のお坊さんがガンダーラ(古代インド)へ経典を探しに旅に出るという話なのだから、それをベースに描かれたドラゴンボールが、実はインド発祥だったと言ってもそれは決して言い過ぎでもなんでもないのである。
と、一瞬だけ思ったのだが、やっぱりそれは言い過ぎか。
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2週間、再びインドに行っていた。
一昨年から、アーメダバードという中都市からさらに車で一時間ほど走った、カロールという名の村を訪れている。
インドに来る時はいつもここに来て、ラオさんという一家の家にお世話になっている。
詳しい話は別の機会にするとして、滞在中のある日、一家のお母さんに「日本の大統領は誰?」と聞かれた。
「日本に大統領はいないけど、首相はカンという人だよ。」と答えると、意外にも「日本の首相はイスラム教徒なの?」という質問が返ってきた。
カンという名前がイスラムに多いカーンという姓だと思ったようだ。
瞬間、僕の想像の翼は飛躍して、諸大臣を引き連れて首相公邸の階段の先頭に立つキラー・カーンをイメージしてしまった。
周囲が燕尾服で固めている中心で、ハゲ頭に赤いモンゴル帽をのせているキラー・カーン。
万が一、実現するようなことがあったら、停滞した日本の政治を劇的に変えることができるのだろうか?
良くも悪くも相当パンチの効いた首相になることは間違いない。
どうでもいいことなんだけど。
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