クルッティ・ラオの結婚式 5日目 その2 | The Wedding of Kruti Day 5 no2
5日目とかその2とか、だんだんややこしくなってしまって恐縮ですが “クルッティ・ラオの結婚式 5日目 | The Wedding of Kruti Day 5” …
本文を読む5日目とかその2とか、だんだんややこしくなってしまって恐縮ですが “クルッティ・ラオの結婚式 5日目 | The Wedding of Kruti Day 5” …
本文を読むこの日がある意味本当の「結婚式」。これまでのものは全てここに来るための前哨戦でした。クルッティの自宅から1kmほど離れたある邸宅で新郎のための儀式が行われます。
バラモンの細かい指導により新郎ミラージの儀式が進みます。この後クルッティの待つ場所へ、花嫁を迎えに行くのです。
その頃、自宅で待つクルッティ。クルッティの自宅の隣に作られた、いわゆる「披露宴会場」。左手奥に光るのが自宅です。8000人が近隣からやってきました。8000人と言えば “ニヤムギリの丘 | Niyamgiri Hills” で書いたドングリア・コンド族の人口と変わらないんですが。。パレードとともに会場入りする新郎ミラージ。ひとりだけ頭が高いのは馬に乗っているから。担がれて会場に入ります。まずは披露宴(レセプション)です。ゴンドラに乗ってお披露目!クルッティ、ミラージ、それから親族がステージ上にあがります。来賓との記念撮影が延々と続くのです。
そして自宅の庭に拵えた結婚式場での「誓いの儀式」に移るのですが、書ききれないので次回に続きます。
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本文を読むどんどん派手になって行く結婚式。この日はロックフェスばりにステージが組まれ、歌と踊りに明け暮れる夜です。まずはムンバイから呼ばれたダンサーたちのショー。そして弟ダムルーとその友達のダンスパフォーマンス。新郎の妹とその友達のパフォーマンスもあります。両親に向けたビデオメッセージなんかも。新郎新婦の入場。新郎はミラージ。歌曲一切を取り仕切るのはこの人、ムンバイから来たロドニー。
“ボリウッド映画を地でいく国 | 歌と踊りのインド” で書いた売れっ子結婚式シンガーとは彼のこと。そして始まる歌と踊り。左:新郎父 右:新婦父後ろに変な人写っていますが、、、。
ロドニーに「あの歌やって!」と途切れることなくリクエストし続け、踊り続け大合唱し続けの一夜でした。
グジャラート州はドライ・カントリーと呼ばれインド唯一の禁酒州。おおっぴらにお酒売っている店は一軒もありません。この夜も誰ひとりとしてお酒を飲んでいる人はいないはずですが、朝方までこの狂乱は続きました。
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本文を読むクルッティの結婚式2日目。この日は女性陣がメンディ(ヘンナ)の装飾を施す日。会場は自宅でした。
昼間にはインド占星術の催しなどをがあり、夜には本格的にメンディ大会が始まります。
仕上がりの方はこちら” ヘンナで飾られたインドの花嫁 | グジャラート州カロール“から。
メンディを受けながら、当然のように歌と踊りが始まります。上はお母さんのプラティマ。下はクルッティと弟のダムルー。
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本文を読むインドは今日1月26日がリパブリック・デイ(共和国記念日=建国記念日)。
僕はアーメダバードの友人の家でテレビで見ましたが、デリーでは盛大なパレードが毎年の恒例。パレードの前後には一同起立して敬礼です。安倍晋三首相一家も来印していました。途中居眠りしていたのをテレビに抜かれていたんですが、気のせいか?ミリタリーの行進の中には、砂漠を守るラジャスタン州兵のラクダパレードもありました。
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LEICA M6 in INDIA
インドのケータイ買ってみた | …
12月に出席したクルッティの結婚式の写真です。7日間続く結婚式全体のこれはそのうちの1日、指輪の交換式。
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カロール再び 7
花嫁クルッティ | グジャラート州カロール
まだ朝靄の立ちこめる中、グジャラート州アーメダバードに戻ってきました。
そしてアーメダバード郊外のカロールに移動。
ここ5年の間はここばっかりに来ていたので、戻ってくるとやっぱりホーム感が大きいです。
もちろんまだインドにいるのですが、ここ一月半していた「旅」から「ホームステイ」に変わる瞬間です。ああ、落ち着く。
A: Nagpur B: Ahmedabad
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前回 “佐々井秀嶺というインドの英雄 | A giant called Syurei Sasai” の続きです。
ナグプールに来て、数人のインド人と会話をするだけで、仏教徒が非常に多いことに気付きます。
僕が日本人とわかると嬉しそうに「ジェイ・ビーム!」と挨拶してきます。「ジェイ」は神様の名前を呼ぶ前の「バンザイ」のようなもの。「ビーム」はアンベードカルの名前ビームラーオを縮めたもの。つまり「アンベードカルバンザイ」といった意味なのです。
ちなみにアーメダバードの友人たちは「ジェイアンベ」とか「ジェイスワミナライ」とか言います。これもアンバジという女神とスワミという神様を信仰しているからなのです。この種の、神様系挨拶を交わす関係性が一度できあがると、「ナマステ」とか「ナマスカ」という教科書的な挨拶はまったく耳にしなくなります。
「ジェイ・ビーム!」は仏教徒同士の挨拶、そして「スーレイ・ササイに会いに行くのか?」と続きます。佐々井さんは彼らにとって尊敬する偉大なグル(指導者)なのです。
また話は脱線しますが、インド人には「サ行」と「シャ行」の区別がないようです。ちょうど日本人がLとRを聞き分けられないのと似ています。ガネーシャも時によってガネーサと発音します。
佐々井さんは、ここナグプールに来て50年。今年80歳になるこの人は、若い頃数々の挫折を繰り返し、筋金入りの落ちこぼれとしてタイやインドに渡ったある夜、南竜宮城へ行けと言う老人のお告げを夢に見ます。南の、竜=ナーグ、城=プールではないかと思った佐々井さんは単身ナグプールに渡り、そこで暮らす不可触民の過酷な生活とアンベードカルが種をまいた多くの仏教徒を目にします。
それから40年以上日本に帰国せず、一心に不可触民を救済するため、仏教改宗運動を続けて来られたわけです。そしてその姿を見て佐々井さんを尊敬するインド人は、仏教徒ヒンドゥ教徒に関わらず非常に多い。
本文を読むナグプールに途中下車したその理由。
プリー〜アーメダバード間が遠すぎた(36時間)ということもあるのですが、なによりもナグプール在住の僧・佐々井秀嶺さんという人に会ってみたかったから。
ナグプールという、インド仏教の精神的中心地で、最高指導者として仏教徒の先頭に立つ佐々井さんに、一度お会いしてみたいとかねがね思っていたのです。
この人の数奇な人生のことを書き始めると本が何冊も書けるでしょう。
実際自著他著含めて何冊も出版されていますので、長々とした説明は省きます。2009年に44年ぶりに日本に帰国(現在の正式な国籍はインド)されたので、テレビや新聞などで見た方も少なくはないはず。
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