Monthly Archives: 3月, 2014
10
5分ほどの会話の後、相変わらず無表情な公安が、捨て台詞のような雰囲気で一言ピシャリと言い放つと同時に、降りろ、とでも言うかのようにその乗客を外へ促した。緩慢な動作で立ち上がり、バスを降りる乗客。
運転手も呼ばれて外へ出る。公安に何かを言われ、彼もまた緩慢な動きでバスの屋根によじ登り、ひとつの荷物を地面にどさりと投げた。
少しふてくされたような態度でその荷物を拾う乗客。
運転手はそんなことを気にする素振りも見せずバスに戻ってきた。運転席に座り直してからまた窓越しに公安と何かを話し、そしてエンジンをかけアクセルを踏んだ。
乗客ひとりをランタンの光の中に残したまま、バスはまた走りはじめた。
理由はわからない。はっきりしているのは、あの乗客は途中で降ろされたということだ。
まさか彼の目的地があの場所だったということはないだろう。
彼の表情や雰囲気のすべては、彼が不本意に置き去りにされたことを意味していた。
ゴルムドでネズミ男が言っていたことは嘘ではなかった。
「公安がお前を追い返したくなれば、それがラサの100メートル手前だったとしても簡単に追い返せるのだから」
何度も繰り返しネズミ男は言っていた。
「そうならないために、お前はおれのルールを守れ」と。
それが現実のものとして目の前で繰り広げられた今、あといくつあるのかもわからない検問を全て何事もなく通り抜け無事にラサまでたどり着くことが、思っていたよりもはるかに無謀な計画であるように感じられてきた。
ネズミ男はもうひとつ付け足してこうも言っていた。
「失敗した場合、お前ひとりが追い返されることもあるが、バス全体乗客全員がゴルムドに戻される場合もある」
それがうっすらと現実味を帯びてきたこのときになってやっと、この賭けがとてつもなく危険なものだったことに気づいた僕は、やっぱり浅はかで世間知らずだったのだろう。
(つづく) 12345
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9
白い光。
速度を落としつつ、バスはそこに向かって一直線に走っていく。
その光源に、バスのヘッドライトが届くぐらいの近さになってようやく、緑色の制服が目に入った。同時にそこが公安警察の検問所であることを知った。
少し息が早くなる。
バスを停めた運転手は、窓越しに公安のひとりと真面目な顔で話している。使い古したランタンを左手からぶら下げているので、さっきの白い光はこの警官が回していたのだろう。
ランタンの取っ手が揺れるたびに、小さくキィキィと不快な金属音がした。
周囲には10人ほどの公安が、無表情な顔でバスを眺めている。
僕は目立たないように、できるだけゆっくりとコートのポケットから緑色の帽子を手にとり、そっとそれをかぶり、座席に深く身を沈めた。
気持ちの悪い汗をかいているベトついた僕の肌が、さらに不快な熱を帯びる。
昨日の検問と同様に、公安のひとりがバスに乗り込んできた。
無表情で運転手と話し込んでいる。
顔を見せないように、ぐっすり寝ているようなフリをして俯いていても、意識は強く緑色の制服に吸い寄せられていく。
公安と運転手の会話が途切れ、エンジンも止まった車内はまったくの無音になった。外にいる制服組も、車内の乗客もだれひとり口を開かなかった。
緑色の制服は運転手の横に立ったまま、乗客ひとりひとりを仔細に眺めているようだ。時間がとてつもなく長く感じられる。
揺れるランタンだけがキィキィと鳴った。
視線をひと通り車内に這わせた後、公安は無表情なままささやくように、前列に座っていた乗客のひとりに何かを話しかけた。乗客も何事かを答える。
中国語なので2人が何を話しているのか、僕にはさっぱりわからない。ただこのとても静かな会話が少しずつ、不穏な空気を孕みはじめたことには気がついていた。
(つづく)
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8
自業自得。
そんな四字熟語が頭の中をふわふわ漂っていた。
その言葉をあえて向こうへ押しやって、僕はネズミ男とこのおんぼろバスとこの状況に心の中で文句を繰り返していた。
食事も満足にできないし、運転手にも他の乗客にも話しかけることすらできやしない。眠れないから、起きてるのか寝てるのかわからないぐらいヘトヘトだし、暖房が効きすぎて汗でベトベトで気持ち悪い。なのにこの分厚いコートを脱ぐことすらできない。なによりもこのまま進んでラサに到着できる保証もない。
なんだってこんな旅になってしまったんだ?
そしてそんな恨めしい考えがぐるぐると廻った末に、必ずたどり着く着地点。結局僕は、自分で選んでここにいる。
行けるとこまで行くしかないんだろう。
2日目の夕陽が白い山脈の向こうに沈む。
何度かチベット人の村を通り過ぎた。
窓から差し込む太陽光は一日中ジリジリと肌を焼き、影のような黒い疲労を僕に残した。
樹木が全く生えていない、月の表面のような山肌を、バスはずっと走り続けている。道もない山で、頼りは車の轍が示す道しるべ。
運転手は2人で交代しながら進んでいるので、バスは食事休憩以外は停車することもない。
バスが崖の上の細い道を走る。
車一台分の幅しかない道で、対向車が来たら一体どうするのか不思議に思う僕。もちろんそんなことはおかまいなしに進むバス。
ふと崖のはるか底を見ると、裏返しになった白いマイクロバスが目に入った。ここから見える車体の側面は傷だらけで、それはマイクロバスがこの崖を転がり落ちたことを示している。
白い車は夕陽に染まって橙色のように見えた。
それは大きな幸運ゆえか、それともある種の采配でも存在するのか、バスは相当なスピードを出しながらも、一台の対向車に遭うこともなく、そして崖底に転がり落ちるわけでもなく崖を走りきり、平野の入り口に差し掛かっていた。
視界のすべてが暗闇に呑み込まれようとしていたちょうどその時、バスが徐々に速度を落としはじめた。
ふと顔を上げ、フロントガラスの向こうを見ると、点のような白い光がぐるぐると回っている。誰かが前方で、停まれ、と合図を送っていた。
(つづく)
1234
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7
僕はコートのポケットから薄っぺらい雑誌を取り出し、ページに目を落とした。
内容まで薄そうな、中国語の芸能誌。
全く読めないその雑誌を、僕はずっと読むフリを続けていた。その雑誌は周囲から僕を守る盾だった。読むフリをすることで僕は周囲にひとつのサインを送っていた。
僕は中国語はわかる、でも誰も話しかけるなよ、というサインだ。
その雑誌はこのバスに乗り込む直前、ネズミ男が僕に手渡したものだった。
「席に着いたらこれを読むフリをしていろ。周りの乗客とはひと言も話すな。運転手とも話すな。いいな。」ネズミ男の意図を要約すると、そういうことになる。
そして僕はその掟を忠実な下僕のように頑に守っている。
あと何日かかるかもわからないこのバスで、無言の行を貫き通すのはなかなか骨が折れる。しかし僕にはそのバカげた掟を守り通さなければいけない理由があった。
「守らなければラサには到着できない」
ネズミ男にそう告げられていたのだ。
(つづく) 1234
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この話は以下のリンクにまとめています
ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 [前編]
ラサに行ってもいいですか? | …
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