Monthly Archives: 3月, 2015
南極の氷の中に100年の間、忘れ去られていたフィルムが発見された。
実はもう一年以上前のニュースなんだが、ずっと気になっている。
僕にとっては世紀の大発見レベルなのは間違いないが、もっと大ニュースとして世の中に浸透していくのかと思っていたらちっともさっぱり聞こえて来ない。
やっぱり僕の興味の対象は、世の中のそれと少しずれてるんだろうと再認識するきっかけにはなったのだが。
このニュース、この写真はスルーするにはもったいないと思うほど興味深い。
ソースは全てANTARCTIC HERITAGE TRUSTから。
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告知、紹介をしていなかった仕事のこと。
「伊東豊雄 子ども建築塾」
世界的な建築家である伊東豊雄先生は、東日本大震災の後、建築に興味のある子ども達に「建築」を教え、共に考えるために「伊東豊雄 子ども建築塾」を恵比寿の住宅地に作った。
そこでは好奇心おう盛な子どもたちが遊ぶように建築についての思考を吸収していく様や、むしろ子どもから新鮮な視点を提示されて想像力を大きく刺激される大人たちがいて、とてもワクワクするような場所になっている。
閑静な住宅街の一角でそういったことが起きているということがまたおもしろいなと思うわけです。
中ページの写真を撮影してます。デザイナーは「Rao’s Newsstand」でも腕を振るってくれた坂本陽一。LIXIL出版より。
伊東豊雄 子ども建築塾
posted with amazlet at 15.11.17
伊東豊雄 村松伸 太田浩史 …
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原理主義というのはおそらくどんな宗教にも存在するのだろう。
教典や聖典、成立当時の教えに対して盲目的と言えるほど忠実に生きるべき、それこそが宗教としての正解だと主張して譲らない原理主義は、現代の日本人の感覚からすると最も理解が難しい存在かもしれない。
そういった考え方はイスラム教に限らず、キリスト教にも仏教にも、おそらくヒンドゥ教にも存在する。
どんな宗教にも、長い時代を経たものには多くの分派や宗派が産まれて、考え方や教義も変化するのだろうから、「変化しないこと」「余計な解釈をしないこと」を信条にする派が存在しても不思議ではない。
原理主義が原理主義で生きていける世の中ならそれでいい。
ただその宗教の成立時点から世の中はだいぶ変わってしまった。2000年前、1500年前なんて時代から見れば信じられないくらい世界は狭くなってるし、いろいろな地域の多種多様な考え方や習俗が存在するのも僕たちは知っている。
イスラムの人々だって、外の世界、つまり欧米のキリスト教をベースにした社会や、日本のようなほとんど宗教というものを顧みることのない社会があることも知っているだろう。
そんな中での原理主義は、やはりカルトだと僕も思う。
原理主義というものを押し通そうとすればするほど、現実は軋んで歪み、弱い部分に負荷がかかりすぎて悲鳴を上げる。
いわゆる「ふつうの」イスラム教徒は、きっとそういった現実と宗教の間で、迷いながら悩みながら生きているはずだ。
もちろん現実も大事だし、親や先祖から受け継いできた宗教も大切だ。
その間で右往左往しながら生きているのが現代のイスラム教徒なんだろう。それは僕らが仕事や恋愛や日常や、とにかくそういったことの間で右往左往しながら生きているのと全く変わりはない。
そんなことを、上に掲げた写真に考えさせられた。
写真や映像というものはこういったことを伝えるためにあると切実に思う。
世界を脅迫するために映像を利用するなんて間違っている。
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