帰ってきました日本 | Thank you India!
久しぶりに日本に帰ってきました。さぞ寒かろうと覚悟して飛行機に乗ったのですが、成田に降りると思ったほどには寒くない。暖かい日にたまたま当たったみたいです。
2ヶ月のインド滞在もこれで終了。同時に5年近く続けてきた僕の撮影もこれで一区切りです。またインドに行くことは必ずあると思いますが、こうしてひと続きの撮影として通い詰めるということはないだろうと思います。これからしばらくは全力で写真の整理に励みます。
インドってどんなとこ?と日本に帰るとよく聞かれます。でも何度聞かれても、しっくりくる答えはない。結局、インドって国はよくわからない。これが正直に思うところ。一筋縄では理解できない複雑さ。それはつまりインド人の体内に血のように流れるヒンドゥ教を中心とした文化。その文化が根源的に染み付いているからこそ、インド人たちもそれを説明する言葉を持たなかったりします。
インドでは街中を牛が歩いている。
これは誰もが知っていること。そしてその理由を訊ねてみると、ヒンドゥ教では牛は神様の乗り物だから大事にします、とインド人は言う。でもヒンドゥ教の神様の絵を見ていると、神様たちはけっこう様々な動物に乗っている。ニワトリや虎やワニに乗っている神様もいる。
なぜ牛だけが特別扱いなのか?
こんな質問にはインド人たちも答えようがない。なぜ血は赤いのか?という質問と同じくらい体内に綿々と流れて当然のように捉えてきた事柄なのでしょう。そういったことがいちいち、外国人である僕にとってはおもしろい。わからないことがおもしろい。違うことがおもしろい。
一説によるとヒンドゥ教には33億の神様がいるという。八百万どころではないですね。確かに何度来ても来るたびに聞いたことのない神様の名前を耳にする。まだまだわからないことがたくさんある。きっと、いつまでもわからない。そして、わからないことが良いと思う。
近年インドは経済成長著しい、とメディアではよく目にします。それは本当のことでしょう。実際僕が初めてグジャラート州カロールを訪れた5年前から、おびただしい数の住宅や高層マンションが建設され、町が急速に膨張していることがわかります。
ただその変化が全く及んでいない部分ももちろんたくさんあり、そういったギャップがインドの風景をモザイク画のように複雑怪奇な絵にしています。
アウディやフォードなどの高級車に乗りながら、Iphoneで会話を楽しんでいる人間が片眼に見える一方、逆の眼には野宿のような生活で、薪に火を熾し毎日の食事を作っている人間も映ります。アウトカーストやダリット、不可触民などという言葉がときにクローズアップされますが、そういった階層の人でなくとも、インドの農村などに行くとそこでは極端に素朴な生活をしていることも珍しくないのです。
どちらの眼に映るものが本当のインドなんだろうか?なんてそんな質問にはもともと答えがない。見たものの全てがインドであって、複雑怪奇なモザイク画はそのままインドの魅力であるとも言えるのです。
日本に帰ってきたものの、しばらくはそんなモザイク画との取っ組み合いになりそうな気がします。そしてそれもまたおもしろいと思うのです。
書き忘れてましたが一番最初の写真、左はクルッティのおばあちゃんです。
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