Posts Tagged with: カルカッタ

1月
10

職人の村アマル・クティル | シャンティニケタン 2

posted on 1月 10th 2014 in インド with 0 Comments

アマル・クティルのワークショップ。 バティック染め。手描きで布に蝋(樹脂)を塗っていきます。

アマル・クティルのショップ。現地で作ったものを直売しています。タゴールの写真も飾っています。晩年(左)と青年期(右)

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職人の村アマル・クティル | シャンティニケタン

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1月
09

職人の村アマル・クティル | シャンティニケタン

posted on 1月 9th 2014 in インド with 0 Comments

カルカッタから北へ150km、シャンティニケタンという町があります。

ここはアジア人で初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールが大学を作った場所です。この町の郊外に、アマル・クティルという職人たちの村があります。

銅像はタゴール。

アマル・クティルはもともとインド独立運動の運動家たちの避難場所だったそうです。イギリス政府に睨まれ閉鎖、リーダーが逮捕ということもありました。

「地方の手で地方の再建を」というタゴールの理念に賛同した運動家や職人たちが、インド独立後にここにコミューンを作り、完全手作りの革製品や布織物、木工品などを作り、カルカッタのマーケットを中心にインド全土に流通しています。

革の型押し用ブロック。ここではヤギ革のバッグを作っていました。

長くなるので続きは次回にします。

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1月
05

カルカッタの地下鉄にまつわる2、3の事実

posted on 1月 5th 2014 in インド with 0 Comments

カルカッタに来てからはもっぱら地下鉄で移動しています。

地下鉄に乗って、今まで埋もれていた記憶、20年前の薄れていた記憶が突然蘇ってきました。

20年前、当時19才の僕は単身カルカッタに来ました。入学した大学で目標を見失い悶々とした毎日の中で、それならいっそのこと世界を放浪する旅にでようかと悩んでいた時期です。長い放浪の旅に出る前に、試しにいっちょどこかへ短期間行ってみようと考え、いろいろな場所のガイドブックを読み漁っていました。そのとき見つけた一文。

「もしあなたがカルカッタで自由な旅ができるなら、それはあなたが世界中を自由に旅することができるということだ」

それほどカルカッタは旅行者にとって大変なところだよ、という意味だったと思うのですが、若気の至りかその頃の僕は、よしそれならカルカッタに行ってみよう、と意気込んで人生初の海外ひとり旅の行き先をカルカッタに決めたのでした。

正直なところけっこうビビりながらカルカッタに到着、白タクで空港からボラれながらもなんとかバラナシやマドラスを廻り、2週間インドを堪能した後帰国の途についた、ところまではよかったのですが。

おそらく原因は意気込みすぎてあちこち忙しく廻りすぎたこと。2週間という期間のなかにここもあそこもと詰め込みすぎたこと。成田行きのエア・インディアの機内で突如具合が悪くなり、後部の3人席を占領してぶっ倒れてしまいました。帰ってきても腹痛と発熱、結局たまらなくなって4泊5日の入院、診断は細菌性の下痢ということでした。

そんなちょっと苦い記憶もあるカルカッタですが、当時(1994年)に訪れた時には地下鉄は延々と続けられている工事の真っ最中。70年代に始まった工事が94年にも終わっていないという。冬の間に掘って掘って掘り続けた穴が、雨期が来ると雨に流された土砂によって埋まってしまう。掘っては埋まり掘っては埋まりを繰り返して20年。まだまだカルカッタの地下鉄は完成しないんだよ、というのが当時インド人から聞いた冗談のような実話でした。

それが20年ぶりに来てみると地下鉄が完成している!

まだラインは南北の1本だけで、都市を網羅するにはこれからさらに20年とかかかってしまうのだろうけど、なんだか20年前に地下に潜って掘っていたインド人に、がんばったねと労いたい気持ちになってしまいます。雨ニモ負ケズひたすら掘り続けたあなたたちのおかげで今の生活があるのですよ、と何の関係もないくせに声をかけたくなってしまうのです。

そしてそれは同時に、当時ビクビクしながらカルカッタに来て、「自分が世界のことをなんにも知らない」という事実すらわかっていなかったあのときの自分に対して、将来の展望や見通しなんかさらさらなくって、自分が何になりたいのかすらわかっていなかったあのときの自分に対して、「そんなに背伸びして尖っていなくても、そのうちなるように、なりたいようになるから心配するな」と言ってあげたい気持ちと対になっています。

そんな封印された記憶のこもごも、カルカッタの地下鉄が鍵になって引き出しが開きました。

余談ですが、カルカッタの地下鉄構内で撮影は禁止されています。上のカットを撮った直後にしこたま怒られました。念のため。

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1月
03

なんてカオスなカルカッタ | ウエスト・ベンガル

posted on 1月 3rd 2014 in インド with 0 Comments

聖地ブッダガヤでは菩提樹を観に行って毎日が過ぎました。

あとは先日書いたビミョーなサーカス、それからブッダが乳粥を飲んで死の淵から元気を取り戻したスジャータ村。もともとは富豪の娘スジャータがブッダに乳粥を与えた村が現在ではスジャータ村となっています。

そして今度は4時間遅れの夜行列車に乗ってカルカッタへ。朝6時に到着する予定が10時着。宗教的聖地から一夜明け、降りたとたんのインド最大級カオス!

アーメダバードからここまで来ると、距離的にはだいたい北インドを横切ったことになります。カルカッタはもう隣国バングラデシュのすぐ近く。ウエストベンガルとバングラデシュは宗教がヒンドゥーとイスラムで分離したけれど、昔は同じ一つの国。文化的にも多くの共通点がある、お互い親戚のような存在らしいです。

A: Bodhgaya B: Kolkata

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世界の車窓から | ブッダガヤへ列車の旅

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    石川拓也

    千葉県生まれ。写真家。大学を入学2ヶ月にして中退し、放浪の旅に出る。徹底した貧乏旅行だったが、アジア、東西アフリカ、ヨーロッパを約一年半かけて縦横無尽に駆け回る。資金が尽きイギリスでひと夏のバイト生活。その後東ヨーロッパを経て1996年よりアメリカ・ニューヨークに住み始める。アメリカでの生活は7年に及び、911同時多発テロを現地で経験する。2002年帰国。以来数多くの雑誌や広告、映画ポスターなどの撮影を手がける。2012年あたりから地方や海外にいる期間が長くなり、自分が一体どこに住んでいるのか不明な状態が続く。かっこよく言えばノマド。実態は住所不定。2015年スペイン・イビサ島在住。湯布院・高知・インド・スペインあたりにしばしば出没する。2016年8月より高知県・土佐町に移住。

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