職人の村アマル・クティル | シャンティニケタン 2
アマル・クティルのワークショップ。 バティック染め。手描きで布に蝋(樹脂)を塗っていきます。
アマル・クティルのショップ。現地で作ったものを直売しています。タゴールの写真も飾っています。晩年(左)と青年期(右)
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本文を読むカルカッタから北へ150km、シャンティニケタンという町があります。
ここはアジア人で初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールが大学を作った場所です。この町の郊外に、アマル・クティルという職人たちの村があります。
銅像はタゴール。
アマル・クティルはもともとインド独立運動の運動家たちの避難場所だったそうです。イギリス政府に睨まれ閉鎖、リーダーが逮捕ということもありました。
「地方の手で地方の再建を」というタゴールの理念に賛同した運動家や職人たちが、インド独立後にここにコミューンを作り、完全手作りの革製品や布織物、木工品などを作り、カルカッタのマーケットを中心にインド全土に流通しています。
革の型押し用ブロック。ここではヤギ革のバッグを作っていました。
長くなるので続きは次回にします。
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本文を読む昨日はカルカッタの北へ150kmのシャンティニケタンへ。
帰りに遅れる列車を待っているときに出会ったシュリヤの写真です。撮って撮って〜と寄ってきては疲れてぐったりを繰り返してました。
早く列車来ないかな〜。
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本文を読むいやもう、、説明も何もないんですけど、この破壊力、なかなかだと思いませんか?
なんか泣けてくるのは僕だけでしょうか、、、?
場所はNEW MARKET北側の通りの露天です。毎日いるかどうかはわかりません。
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本文を読むカルカッタに来てからはもっぱら地下鉄で移動しています。
地下鉄に乗って、今まで埋もれていた記憶、20年前の薄れていた記憶が突然蘇ってきました。
20年前、当時19才の僕は単身カルカッタに来ました。入学した大学で目標を見失い悶々とした毎日の中で、それならいっそのこと世界を放浪する旅にでようかと悩んでいた時期です。長い放浪の旅に出る前に、試しにいっちょどこかへ短期間行ってみようと考え、いろいろな場所のガイドブックを読み漁っていました。そのとき見つけた一文。
「もしあなたがカルカッタで自由な旅ができるなら、それはあなたが世界中を自由に旅することができるということだ」
それほどカルカッタは旅行者にとって大変なところだよ、という意味だったと思うのですが、若気の至りかその頃の僕は、よしそれならカルカッタに行ってみよう、と意気込んで人生初の海外ひとり旅の行き先をカルカッタに決めたのでした。
正直なところけっこうビビりながらカルカッタに到着、白タクで空港からボラれながらもなんとかバラナシやマドラスを廻り、2週間インドを堪能した後帰国の途についた、ところまではよかったのですが。
おそらく原因は意気込みすぎてあちこち忙しく廻りすぎたこと。2週間という期間のなかにここもあそこもと詰め込みすぎたこと。成田行きのエア・インディアの機内で突如具合が悪くなり、後部の3人席を占領してぶっ倒れてしまいました。帰ってきても腹痛と発熱、結局たまらなくなって4泊5日の入院、診断は細菌性の下痢ということでした。
そんなちょっと苦い記憶もあるカルカッタですが、当時(1994年)に訪れた時には地下鉄は延々と続けられている工事の真っ最中。70年代に始まった工事が94年にも終わっていないという。冬の間に掘って掘って掘り続けた穴が、雨期が来ると雨に流された土砂によって埋まってしまう。掘っては埋まり掘っては埋まりを繰り返して20年。まだまだカルカッタの地下鉄は完成しないんだよ、というのが当時インド人から聞いた冗談のような実話でした。
それが20年ぶりに来てみると地下鉄が完成している!
まだラインは南北の1本だけで、都市を網羅するにはこれからさらに20年とかかかってしまうのだろうけど、なんだか20年前に地下に潜って掘っていたインド人に、がんばったねと労いたい気持ちになってしまいます。雨ニモ負ケズひたすら掘り続けたあなたたちのおかげで今の生活があるのですよ、と何の関係もないくせに声をかけたくなってしまうのです。
そしてそれは同時に、当時ビクビクしながらカルカッタに来て、「自分が世界のことをなんにも知らない」という事実すらわかっていなかったあのときの自分に対して、将来の展望や見通しなんかさらさらなくって、自分が何になりたいのかすらわかっていなかったあのときの自分に対して、「そんなに背伸びして尖っていなくても、そのうちなるように、なりたいようになるから心配するな」と言ってあげたい気持ちと対になっています。
そんな封印された記憶のこもごも、カルカッタの地下鉄が鍵になって引き出しが開きました。
余談ですが、カルカッタの地下鉄構内で撮影は禁止されています。上のカットを撮った直後にしこたま怒られました。念のため。
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本文を読む聖地ブッダガヤでは菩提樹を観に行って毎日が過ぎました。
あとは先日書いたビミョーなサーカス、それからブッダが乳粥を飲んで死の淵から元気を取り戻したスジャータ村。もともとは富豪の娘スジャータがブッダに乳粥を与えた村が現在ではスジャータ村となっています。
そして今度は4時間遅れの夜行列車に乗ってカルカッタへ。朝6時に到着する予定が10時着。宗教的聖地から一夜明け、降りたとたんのインド最大級カオス!
アーメダバードからここまで来ると、距離的にはだいたい北インドを横切ったことになります。カルカッタはもう隣国バングラデシュのすぐ近く。ウエストベンガルとバングラデシュは宗教がヒンドゥーとイスラムで分離したけれど、昔は同じ一つの国。文化的にも多くの共通点がある、お互い親戚のような存在らしいです。
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