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佐々井秀嶺というインドの英雄 | A giant called Syurei Sasai 2

posted on 1月 24th 2014 in インド with 0 Comments

a0122-31前回 “佐々井秀嶺というインドの英雄 | A giant called Syurei Sasai” の続きです。

ナグプールに来て、数人のインド人と会話をするだけで、仏教徒が非常に多いことに気付きます。

僕が日本人とわかると嬉しそうに「ジェイ・ビーム!」と挨拶してきます。「ジェイ」は神様の名前を呼ぶ前の「バンザイ」のようなもの。「ビーム」はアンベードカルの名前ビームラーオを縮めたもの。つまり「アンベードカルバンザイ」といった意味なのです。

ちなみにアーメダバードの友人たちは「ジェイアンベ」とか「ジェイスワミナライ」とか言います。これもアンバジという女神とスワミという神様を信仰しているからなのです。この種の、神様系挨拶を交わす関係性が一度できあがると、「ナマステ」とか「ナマスカ」という教科書的な挨拶はまったく耳にしなくなります。

「ジェイ・ビーム!」は仏教徒同士の挨拶、そして「スーレイ・ササイに会いに行くのか?」と続きます。佐々井さんは彼らにとって尊敬する偉大なグル(指導者)なのです。

また話は脱線しますが、インド人には「サ行」と「シャ行」の区別がないようです。ちょうど日本人がLとRを聞き分けられないのと似ています。ガネーシャも時によってガネーサと発音します。

佐々井さんは、ここナグプールに来て50年。今年80歳になるこの人は、若い頃数々の挫折を繰り返し、筋金入りの落ちこぼれとしてタイやインドに渡ったある夜、南竜宮城へ行けと言う老人のお告げを夢に見ます。南の、竜=ナーグ、城=プールではないかと思った佐々井さんは単身ナグプールに渡り、そこで暮らす不可触民の過酷な生活とアンベードカルが種をまいた多くの仏教徒を目にします。

それから40年以上日本に帰国せず、一心に不可触民を救済するため、仏教改宗運動を続けて来られたわけです。そしてその姿を見て佐々井さんを尊敬するインド人は、仏教徒ヒンドゥ教徒に関わらず非常に多い。

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a0122-14佐々井さんはインドラ・ブッダ・ビハールというお寺の住職をされています。ただ演説旅行や仏教遺跡発掘事業などもされているのでいつでもここにいらっしゃるとは限らない。それはもう運を天にまかせて訪れてみたわけですが、幸運にもその日はお寺にいらっしゃいました。ちょうどお昼ご飯を食べていたところ。

突然なんのアポもなく訪れた僕を、とても快く受け入れていただきました。

もうずいぶん昔から近しい間柄だったような、僕の来訪をあらかじめ知っていたかのような、当然のような対応に安心しつつ恐縮でした。自分勝手な言い方ですが、逆の立場だったらきっととてもめんどくさい、ような気がします。

日本はどうですか?というのが佐々井さんの質問でした。原発の今後と都知事選に関心を寄せていたようです。

政府は外国に原発を売り続けたいようです、インドにも売ろうとしています、ただ事故が起こった時の補償は日本の税金から出すという契約をするようです、と僕が知っていることを話したところ、ひと言「バカだな」と言って笑っていました。
a0122-65佐々井さんを目の前にすると、やはり尋常ではないエネルギーを感じます。

ただそれが一向に激しい感じではなく、もっと明るい暖かい感じと言うか。なんとなく大樹の太い幹と向き合っているような感覚になりました。

Happy Bless New Year 2014” で書いた、菩提樹の周りの雰囲気に似ているような気がします。

とにもかくにも、「佐々井秀嶺さんに会うこと・撮影すること」これが今回のインド滞在で最後にやりたかったこと。運良くお会いできたので、もう思い残すこともなく。(実際は次から次へとやりたいことが出てくるのですが)

アーメダバード行きの列車に乗って、この旅ももう終わりです。

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

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