4月
15

ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 22

posted on 4月 15th 2014 in 1995 with 11 Comments

22

全くの無表情で、その公安は前部のドアから上がってきた。

疲れ切った乗客たち全員の前に立つと、変わらず無表情で視線をぐるりと一周させた。

公安と視線を合わせないように、僕はまた座席に深く身を沈めて下を向いた。それで僕の顔は向こうからは見えなくなったが、僕もまた公安の動きを見失った。ただ視覚以外の全感覚はこの公安に向けていた。

息苦しい時間は1分だったか2分だったか。公安が鋭くひと言、何かを言った。

僕は公安と目が合わないように気をつけながらそろそろと顔を上げ、座席の隙間から前を覗き見た。

公安の目の前に座る乗客の腕が伸びて、なにやら書類らしきものを公安に渡すのが見えた。書類を受け取り、それに目を落とす公安。しばらくして無言でそれを乗客に返す。そして隣の乗客の腕が伸びて、今度はもっと小さなカードのようなものを公安に渡すのが見えた。

身分証明書を確認している。

こんなことはこれまでの検問では一切なかった。ここまではしなかった。乗客全員やるのだろうか?ここまで順番が来るのだろうか?ここまで来たらどうしたら良いのだろうか?どうするのがベストなのだろうか?このチェックを逃れる方法はないのか?

完全にパニックになったものの、もう為す術もない。ただただこの公安の気まぐれで始まったようなこの身分証確認が、やはり気まぐれで僕の番が来る前に終わってほしいと祈らずにはいられない。というよりも祈ることしか今はできない。もうその順番は2列目を終え、徐々にこちらに近づいてきている。

真ん中の通路を挟んで乗客は左右3人ずつで、3列目4列目とゆっくりこちらに向けて近寄ってきている。5列目の一番右側に座っていた若い男が渡した書類を見て、公安が短く何かを言った。一瞬間を置いて、その若者は立ち上がり、憮然とした表情で荷物をまとめ前のドアから出て行った。書類に不備でもあったのだろうか?

公安は出て行く若者を見ている。どうしようもない不安に押しつぶされそうになりながら、僕も外に出た若者を目で追った。外の光の下で若者の顔は青白く見えた。バスの屋根に上がった運転手とひと言交わすと、ドスンと大きな音がした。若者の足下に目がけて彼の荷物が投げ下ろされた音だった。若者はその大きな袋を拾うと肩に担ぎ、外にいた公安警官の数人に促されてバスからゆっくり離れていき、小屋の中に入って見えなくなった。これからあの小屋の中で取り調べでも行われるのだろうか?

全く人ごとではない。若者に続いて僕もあの小屋に連れて行かれるのだろうか。

車内に目を戻すと、すぐ目の前に公安が立っていた。

そしてその無表情な細い目は僕の顔をじっと見ていた。

(つづく)

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Share on TumblrPin on Pinterest

石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

Loading Facebook Comments ...

currently there's 11 comment(s)

コメントはここから