4月
16

ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 23

posted on 4月 16th 2014 in 1995 with 2 Comments

 

23

公安と目が合う。何の表情も読み取れないその両目を見る。

僕の目から不安を読み取られていないだろうか。不審に思われていないだろうか。

公安が短く何かを言う。もちろん何を言っているのかわからない。低くて早口な中国語だった。

僕は何も答えないでそのまま公安を見ている。この期に及んで「口がきけない」という当初の設定を守ろうとしていた。もうそれ以外どうしたらいいかわからない。

もう一度、公安が言葉を繰り返す。さっきより明らかに声が大きい。前方に座っていた乗客たちの数人が僕の方を振り向くのが目の端に見えた。

前を向いたまま、僕は公安の言葉に何の反応も返さない。ちょっとだけ首を傾げて、もう何を言っているんだかわかりません、だって耳が聞こえないんだから、口がきけないんだから、その辺を察してくださいよ、という思いをその仕草に込めてみせた。

それで逃れられるなんてことも思っていないけれど、他に良い言い訳も用意できない。ひと言でも口に出したが最後、僕が中国人でないことは一瞬で見破られてしまう。

目の前の公安の無表情の目の奥に、苛立ちの色が浮かぶのが見えた。僕に何度も無視された格好になったこの若き地方官僚の顔面に、怒りの赤い血が猛スピードで昇ってくるのが見えた。

もうほとんど怒鳴り声になって、公安が早口の中国語でまくしたてた。ぎょっとしたように振り向く周囲の乗客たち。運転手もこちらを見ている。外にも怒声は届いたのだろう、3人の公安警官がドタドタと足音をさせてバスの中に入ってきて、応援するように最初のひとりの背後に立った。

最初の警官は怒声をさらに強め、顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。激高といっていいだろう。こめかみに指をあてている動作を見るところ、「お前バカか?!言っていること通じないのか?!」とそんなことを言っているはずだ。

おそらくこれ以上やっても出口はどこにもないだろう。僕は諦めた。ラサに行くのを諦めた。小屋に連れて行かれて取り調べを受けて、ゴルムドに返される。丸々バス全体が戻される、そんなことだけにはなってほしくないが、僕ひとりが返されるのはもうしょうがない。拘束されたりするんだろうか?それもこの際しょうがない。この状況では黙っていたって同じことだろう。

公安の目を見たまま、意を決してつたない中国語で「僕は日本人です(我是日本人)」と口にした。ちょっと震えてしまったかもしれない、と久しく耳にしていなかった自分の声を聞きながら思った。

(つづく)

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Share on TumblrPin on Pinterest

石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

Loading Facebook Comments ...

currently there's 2 comment(s)

コメントはここから