ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 25
この話は以下のリンクにまとめています
ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 [前編]
ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 [後編]
25
公安の顔を見るとやはり無表情で、僕が受け取るとひと言「サンキュー!」と言って後ろの列の乗客に移って行った。
どこからかヤクの呻き声が聞こえた。
今度は僕の方が固まってしまう番だった。「サンキュー」公安が発したひと言が、僕の辞書の中には存在しないような、意味と語がつながらないようなフワフワとした状態で空中に漂っていた。
サンキュー?サンキューってなんだっけ? 数秒呆然と固まった。
無事、検問を突破できたということか?半信半疑で手元のパスポートを見つめる。その間に後列の乗客たちの確認も済んだと見えて、公安警官たちはぞろぞろとバスを降りて行った。公安のひとりと運転手が短い言葉を交わしてから、公安は手動のゲートを開けた。
運転手はエンジンをかけバスを発車させた。 日本人だと自白したはずなのに、公安は検問を通してくれた。どういうことだ? 許されないはずの外国人を、こうして通してしまっている。なにか思いもよらない幸運に助けられたのだろうか?それとも、これは考えたくないことだけれど、初めからネズミ男に騙されていたのだろうか?
ふと顔を上げると、今までずっと僕が無視し続けた隣の男がこっちを見ていた。いたずらっ子のような笑顔でポンポンと軽く僕の肩を叩き、中国語で何かを言った。全てではないが、僕は理解した。隣席の男は「日本人なら早く言えよ、まったく」という意味のことを朗らかな調子で言ったのだ。前方を見ると相棒にハンドルを預けている運転手の片割れも、助手席から僕を見てニヤニヤしている。そしてその笑顔は決して皮肉や悪意のあるものではなく、とても素朴でストレートな、さらに外国人に対して新しい好奇心を表明するような、決して心地の悪いものではなかったのだ。
どういうことだ?外国人が無断で彼らのバスに乗っていた。これは彼らにとって、知らず知らずのうちに、バレたら出発地へ即Uターンという可能性も否定できない危険な賭けの中に引きずり込まれていたということのはずだ。ネズミ男の言うことに嘘がないならば、そしてもしこの検問を突破できたことが単なる手違いや幸運によるものだとしたら、彼らの態度は確実にもっと冷たいものになっていたはずだ。言ってみれば、僕とネズミ男はグルになって彼らをも騙していたようなものなのだから。
だけれど今のこの状況。隣だけでなく周囲の乗客たちは新しいヒマつぶしでも見つけたかのように、好奇心丸出しで僕に接してくる。外人なのに中国人専用バスに潜り込むという、僕がしたことに対して不快感を表すようなこともない。みんな疲れ切っていて控えめではあるものの、一概に僕の周りは朗らかだ。
もしかして、最初から日本人であることを明かしたとしても問題なかったのか?もしかして、この臭いコートも脱いだってよかったのか?もしかして、食事だって温かいものをみんなと一緒になって食べたってよかったのか?笑顔で卓を囲めたんじゃないのか?
もしかして、読めもしない雑誌を読んでいるフリなんかしなくても、カバンから日本語の本でも出してきて、衆目の中堂々と読んだって、周りはそれ何語?って単純な反応で済んだんじゃなかったのか?
もしかして、話したいときに話せたんじゃないのか?ここはどのあたり?ラサまでどのくらい?あと何時間?尋ねたいときに尋ねてもよかったんじゃないのか?
もしかして。もしかして。もしかして。このバスで僕が必死に耐えていたこの苦行そのものが、本当は必要ないものだったのか?
もしかして。もしかして。もしかして。ぐるぐると考え続ける僕を載せて、そのままバスは2時間ほど走り続け、大きな道路標識の下をノロノロとくぐった。強烈なチベットの朝日が山嶺の背後に姿を現して、「拉薩(ラサ)」と書かれたその標識を照らすのを、高山病一歩手前のぼうっとした頭で僕は眺めていた。
(おわり)