4月
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神さまがくれた花 3

posted on 4月 22nd 2014 in インド with 0 Comments

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スワミナライの寺はアーメダバードの市内にあって、驚くほど空港に近かった。

門を入るとすぐ履物を預けるようになっていて、裸足にひんやりとした大理石が心地良い。一歩境内に入ると空気が変わる。外のホコリっぽい混沌とは全く別の時間がそこには流れている。

信者たちはすでに数百人集まっているという。地元アーメダバードからも、インド国内からも、外国からも、信者たちは「神さま」に一目会いたくてここにやってくるという。

そう、スワミナライのスワミ神はここアーメダバードに住んでいる。アーメダバードのこの寺に住んでいて、急な体調不良でもないかぎりはほぼ毎日、境内に降りてきて信者たちにそのお顔を見せるという。

神さまの降臨を待つ信者たちの列に加わり、腰を下ろす。ダダが周りに口をきいてくれて、最前列に席をもらった。

見渡すと、おそらくすでに4~5百人は集まっているんじゃないだろうか。

宗教施設だからなのだろう、男女別々に席が決まっているので、僕の周りは男ばっかりおっさんばっかりだ。僕も含めておっさんと呼ばれてしかるべき年齢層が主なのだが、自分の信仰する神さまに会えるという歓びからだろう、みなとてもウキウキ楽しそうだ。

数百人のおっさんたちが、一様に少年のように両目をキラキラさせている様子、と言えば伝わるだろうか。
「みんな映画スターでも待っているようだね」

隣のおっさんにそう話すと、「はるかにそれ以上だよ」と一笑された。

それはそうか、神さまだもんな。

そんなことを僕が考えているうちにその時間が訪れたようで、周りの大人たちが姿勢を正し始める。

僕も倣ってひんやりとした大理石の上で背中をのばす。

寺院を正面にして左手の建物のドアが開き、車いすに載ったおじいちゃん神さま、プラムック・スワミその人が現れた。

数人の弟子に車いすを押され、ゆっくりと群衆の中に降臨した。

神さまの降臨を目の当たりにすると、群衆は一斉にかけ声をかける。

「なんとかかんとか、ディージェイ!」と何を言っているのか僕にはわからないのだが、神さまに対する賞賛や祈りの類いであることは間違いないようだ。

この瞬間、この上機嫌の群衆のテンションがもう一段、一気に高まった。

全身にビリビリと感じる。こういうのって目ではなくて肌で感じるものなのだ。言葉にするなら法悦とか恍惚とかそういった状態。

たしかにこれは映画スターなんてもんじゃない。

でもこの状態をうまく伝えられる良い例えもない。

(「神さまがくれた花4」につづく)

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

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