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僕がインドに行ったわけ 0

posted on 11月 23rd 2015 in インド & 旅の記憶 with 0 Comments

0  プラカーシュ

これまで何度行っただろう。インドのグジャラートをしばしば訪れる。

経緯をなるべく簡単に説明すると、僕はニューヨークに住んでいた20代の頃、NYの街中に立つニューススタンドの内側から写真を撮り続けていた。その8年分の写真は翻訳家である柴田元幸さんの文章とともに “Rao’s Newsstand” という写真集にまとめてウェブサイト“Bus me too. Graphics”にて販売している。これはちょっと宣伝。

話を戻そう。ニューヨークのそのニューススタンドはグリニッジビレッジという、いわゆる下町にある。マンハッタンの中でも、人種のるつぼ度が高い地域である。”Rao’s Newsstand”のRaoは、その店の店主の名前。つまりラオさんが経営しているお店だ。正確に言うとプラカーシュ・ラオさんという。

ラオさんはもう20年以上ニューヨークに住んでこの店を経営している。出身はインドのグジャラート州だ。僕はこの店に1996年ぐらいから、つまりニューヨークに住み始めた当初から通い、小さな店の内側に入れてもらい、写真を撮っていた。たいていはラオさんが隣にいて、チャイなんかをご馳走になりながら何時間も居座っていた。

その後僕は日本に引っ越したわけだが、2009年に久しぶりにニューヨークを訪れた際に、当然のようにRao’s Newsstandも寄ってみた。さらにいつものように店内に入れてもらい撮影もしたわけだが、その際にラオさんとインドの話になった。

ひととおりラオさんの故郷の話を聞いていたのだが、話が一区切りついた後で、ラオさんが急に思いついたように言った。「12月にインドに里帰りするんだが、君も来るか?」

もちろん、と返事をして、その年の年末にはインドに行き、アーメダバードでラオさんと再会した。それが僕がインドに通うようになったきっかけだ。その旅では僕の予定はすべてラオさんまかせ、ラオさんが行くとこ行くとこに付いていくことにした。

ラオさんの日常というのは9割がた親戚巡りである。毎日のようにあっちの親戚、こっちの親戚と訪れてまわる。そしてその親戚もほとんどがラオという姓である。

何日も連続してあっちのラオさんこっちのラオさんと次々と廻り、そろそろ誰がどのラオさんだかよくわからなくなりかけた頃、「一番仲のいいラオに会いに行く」とラオさんが言う。そして都会からは少し離れた、小さな町の中の、大きな原っぱに行くという。目的地が原っぱとは、なんと懐かしい響きだろう。

結論から先に書くと、この時出会ったラオさんが、そのあと続くことになる僕のインド訪問の理由になる。ニューヨークのラオさんと区別がつかなくなるので今後は下の名前で、バーラットと書こう。ニューヨークのラオさんはさっきも書いたがプラカーシュだ。

思ったよりも長くなった。ここから僕のインド話はスタートする。

 

(つづく)

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

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