12月
16
高知の空は高い
高知への旅に出ていました。
神戸から車に乗り、淡路島を通過して高知県大豊町、そして高知市で一泊してからまた神戸に戻ってきました。
高知というのはおもしろいところです。
聞いたところによると、近年の高知は経済的にはボロボロ、その影響か離婚率も沖縄を抜いて全国首位というなかなか厳しい状況。
そんな状況にも関わらず、県民の幸福実感度は非常に高い水準をキープしているのだそうです。
つまり高知というのは、お金はないけれど笑って生きれるところということでしょう。
夜、高知の人と飲みに行く機会があって、いろいろと話を聞かせてもらったのですが、高知の人はとにかく南国気質で細かいことはくよくよ気にしないといった印象があります。
言葉を変えると、「こうしなくてはいけない」「自分はこうでなくてはならない」といったこだわりの比重がとても少ないような気がします。
「土佐という地は、人間に対する興味が大雑把で荒い。だから人が明るい。『人間とは何か』とじっとりと深い興味の持ち方をするのは東北人に多く、だからそこからは大作家が輩出した。高知人はもう少し浅い興味の持ち方をするので、作家や哲学者などが出てこない。代わりに、ダイナミックな政治家や企業家が数多く出ている。」
というような意味のことを司馬遼太郎が書いていたのを、高知の高い空を見て思い出しました。
ちなみに12月のこの日は半袖でも十分過ごせるほどの陽気でした。
まさに南国です。