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SMAP・ザハ・佐野研二郎・安保

posted on 1月 19th 2016 in 未来の話 with 0 Comments

SMAPの件。

あのような死んだ表情の会見を見て思ったのは、ファンでもなんでもない自分のような人間でも、SMAPというグループは「TVをつければいるのが普通」な状態になってたんだってこと。改めて自覚した。

個人的には5人そろって独立というチャレンジが見たかったと思う。

なんか結局のところはすっきりしない。表に出て来ない本当の権力者たちが、密室で物事の成否を左右しているこの感じ。

 

このモヤモヤ感、最近多いなぁと思うのだ。

ザハの新国立競技場、サノケンのエンブレム、安保関連法案。

それぞれ別の問題だし同じまな板の上に乗せるのも乱暴かと思うが、共通点はひとつ。

もっと単純に、誰もが納得するような風通しの良いやり方でやってもらえないもんかねと思うこと。

密室で決まっていくことが多すぎて、民主主義なんていう看板をカッコだけ出しておいて、実は民が主では全然ないよっていうのが実態なんだとみんなわかっているし、その部分に対しての怒りが噴火前のマグマみたいな状態になっているんじゃなかろうか。

あ、一部ではすでに噴火もしたか。

それぞれの問題にいろいろな意見があって、いろいろな正義があるってのももちろんわかる。民主主義ってのはそういう異なる正義を、風通しの良い場所でバトルして決めていくっていう制度なんじゃなかったっけ?と思うのだ。

芸能界と民主主義は関係ないが、そのぐらいSMAPというグループは「ファンのもの・国民のもの」という意識が、日本人が気付かないうちに強くなっていたということか。

そこに「SMAPはジャニーズ事務所のもの」という現実を見せられたのだ。

「みんなのもの」ではなく「雲の上のもの」または「密室にいる権力者たちのもの」であるという現実。

 

仮定の話だが、SMAPも今回のことで完全なる独立を果たし(事務所から出て行けと言われていたので、厳しい道ではあるものの5人揃えば可能だったかと思われる)、個人事業主のような仕事の仕方をやってみてほしかった。

それが風通しの良いフラットな世界(芸能界)を作るための大きな一歩となっていたはずだ。

メリー強し、か。

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/

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