10月
04
全ての人間と動物の命は植物のためにある
「全ての人間と動物の命は植物のためにある」
このままの言葉ではなかったと思うが、ある詩人が言っていたこと。詩人の名前は今では記憶にない。
人間が物事を考えるときの時間の単位はさまざまで、明日のこと、来週のこと、1年、10年後のこと、頭の中では自由に焦点を変えることができる。
じゃあ例えばそれを1,000年、もしくは1万年という単位で考えてみたらどうだろう?
これはもう完全なる想像の世界でしかないので、思ったもの勝ち言ったもの勝ちの話だが、僕はきっと植物が覇者となって全てを飲み込んだ世界だと思っている。
人間がこんなにでかい顔をしている世界は、もうそれほど長くは続かない。
そのあとはきっと植物の世界なんだろう。
そう考えると、僕が今持っている悩みや欲望なんてものはほんとにちっぽけなものに思えてくる。そして逆に、ちっぽけなものだからこそ、自分に与えられた命の火を燃焼し尽くそうとも思えるのだ。
「物事を考える時間の単位」は、嶺北のような田舎で暮らすと長くなってくる。
山から水を引き、畑に実った果実を採り、森に生きる動物の命を食す。きっと1000年も前から変わらない暮らしがそこにあり、人間が生きる為の全てはとても合理的な形でここにある。
大きな循環の中に人間の命があるという実感に日々触れるような暮らしはとても心地よいものだし、それ以上でもそれ以下でもないという、等身大のサイズに自分の存在を調整してくれる。