Posts in the Category: 旅の記憶
“After The Rain” はピアニスト内田輝が湯布院の Cafe & Gallery Creeks で演奏し録音したアルバム。6月の録音の際に僕は偶然立会い、これまた偶然ビジュアル面で協力することに、いつの間にかなっていた。
しばらくこのプロジェクトの首謀者であるCreeksの谷川義行氏からの音沙汰はなかったのだが、今日彼が上京した際に久しぶりに会い、僕の撮った写真がジャケットに配されたCDを受け取った。
上の写真は受け取った時にいた、錦糸町の場末感漂う喫茶店で撮影したもの。
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After The Rain | …
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この文章は「僕がインドに行ったわけ 0」のつづきです。
1 バーラット
まず場所をきちんと書こう。
西インド。デリーとムンバイのちょうど中間ぐらいに、グジャラートという州がある。
もうお隣はパキスタンで、かのガンディーの出身地としても有名だ。この州のもっとも大きな都市はアーメダバードという名の街。アフマダーバードとも表記するが、インド人の発音を聞くとどうしてもアフマダーバードとは聞こえない。
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以下は TRANSIT(トランジット)29号 美しきオセアニア にて発表した文章です。
TRANSIT(トランジット)29号 美しきオセアニア (講談社 Mook(J))
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河口慧海「チベット旅行記」を読む。
命がけの旅とはまさにこういうことを言うのだろう。
なんというか、現代のバックパッカーや冒険家を名乗る者が一様に真っ青になってしまうような旅をしている。そして大事なのは、その命がけの旅は単なるおまけであって、それが目的ではないことだ。
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オーストラリア大陸中心部・レッドセンターを旅する前に僕が読んだ本。(読んだ順)
ソングライン (series on the move)
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ブルース・チャトウィン
英治出版
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この文章は「アボリジニとオーストラリア」の続きです。
つまり担当者の言葉を平たく言うと以下のようになるだろう。
「私たちはアボリジニの文化を尊重したい。そしてその文化を内外からのお客さまに理解して味わってほしい。そのためには可能な限り本物志向(authentic)でいきたい。ディジュリドゥはもちろんアボリジニ発祥の楽器だが、沿岸部の部族が使っていた楽器で、ウルル周辺の部族は持っていなかった。そういった意味では歴史考察上、ディジュリドゥ+ウルルはこの時代の作り物(fake)になってしまう。よって、写真は撮ってもよいが発表はして欲しくない。」
わかるといえばわかるのだが、なんとなくチグハグな感触を、担当者のこの論理には感じてしまう。
身も蓋もない言い方をすれば、表に出したくない、または出せないと思うものは現地でも出さなければ良いんじゃないのかとつい思ってしまう。
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アボリジニとオーストラリア
レッド・センター
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4月の終わりなのでだいぶ前の話になってしまったが、オーストラリアに撮影に行っていた。
旅・カルチャー誌 ”TRANSIT” のオセアニア特集号の撮影で、大陸中心部のウルル(エアーズロック)周辺を約1週間かけての撮影だった。
オーストラリア、ノーザンテリトリー特別地域(州になっていないのでこういった呼称なのだという。準州とも呼ぶ)の、レッド・センターと呼ばれる大砂漠地帯。レッド・センターというのは大陸の真ん中にある「赤い」土地だから。実際この辺りは見渡す限りの赤い荒野で、完全な砂漠でもない、背の低い草木がまばらに生えた土地。土壌に多く含まれる鉄分が錆びることで、この土地が赤く見えるのだという。
この土地に住むアボリジニの文化を撮影することが今回のオーストラリア行の目的だった。
結論から言うと、アボリジニの人々、アボリジニの文化自体はさておき、それを取り囲む環境はとてもいびつに歪んだものとして僕の目には映った。
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Ibiza
#ibiza #spain #blackandwhite #throwbackthursday
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