Posts in the Category: 毒にも薬にもならない
ちょうど20年前のこと。
僕はバックパックを担ぎ薄汚れた身なりで貧乏旅行者をやっていた。
アジアからスタートし、ゆっくりとアフリカ(東)、ヨーロッパ、そしてまたアフリカ(西)と、けっこう無軌道に気の向くままに放浪の旅を続けていた。
基本的には一貫してひとり旅で、それを寂しいものとも思わなかったし、ひとりで行きたいところへ行きたいときに行くという気楽さは当時の僕にとっては何よりもかけがえのないものに感じられていた。
その一年半に渡るひとり旅の中で、一国だけ例外がある。
僕の記憶の中で光り輝く例外だ。
それがモロッコでの4人旅。たまたまモロッコの食堂で顔を合わせた同年代の日本人3人と、香港人女性1人で、なんとなく一緒に旅をすることになった。
4人でアトラス山脈を一周巡る、つまりマラケシュやサハラ砂漠に立ち寄りながらモロッコを一周するという旅に出たのだ。
ひとりは22才で、ジャーナリストを目指していた。大学を休学中、帰国したら就職活動に励むという。
ひとりは21才で、ミュージシャンになりたかった。ジャズをやりたいと言っていた。
ひとり(僕)は20才で、カメラマンになろうと思っていた。写真のこと全然知らないのに。
誰ひとりとして先のことはどうなるかわからない年代で、今思うと背伸びとやせ我慢と生意気さだけを固めて作った泥人形が服を着て歩いているといった感もある。
ひと言でいえばクソガキってことだ。
サハラ砂漠に最も近い村でガキンチョと仲良くなり、彼の案内で砂漠に住むベルベル人のテントまで砂を踏みしめて歩いたり、迷路のようなカスバの中で絶望的な迷子になったり、ラクダの肉を買ってきてキャンプ道具で調理したり、一緒にいたのは3週間ほどだったがモロッコという国の魅力と共にその旅の楽しさは今でも僕の中にくっきりとした形を残している。
アトラス山脈を中心にモロッコをぐるっと一周し、フェズという町でこのチームは解散した。
僕以外の3人はヨーロッパへ戻り、僕はさらに南下して西アフリカへ。
その後この4人が集まったことはない。
僕はその後そのままニューヨークに住み着き、ちゃんと日本に帰国したのは8年後になっていた。
ジャーナリストを目指す22才(当時)とはたまに連絡を取り合ってはいたのだが、ミュージシャン志望の21才(当時)とはいつの間にか音信不通になってしまっていた。ジャーナリスト志望の22才(当時)と顔を合わせるたびに、「彼はどうしているんだろう?」と半ば恒例のように言葉を交わしていた。
それが先日、ミュージシャン志望の21才(当時)から突如連絡があったのだ。
(続きはこちらから)
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浅草ロック座が倒産したというニュースを目にした。
僕が18、19の歳の頃、旅に出る資金を作るため上野駅近くのピザ屋でバイトしていたことがある。
その配達エリアには浅草も入っていて、ロック座から注文が届くこともよくあった。
ピザを持って裏口からピンポンすると、下着に一枚羽織っただけのおねえさんがドアを開けて、ピザ屋だとわかると奥に向かって「誰かピザたのんだ〜?」と声をかける。
数秒後には「あ〜わたしわたし♡」と言いながらまたまた半分裸みたいなかっこした別のおねえさんが、ガマぐちの財布片手にパタパタと現れる。
いつ配達に行ってもそんな感じで、十代の僕にとっては非常にうれしくてザ・モスト・エキサイティングな配達先だった。
ほんとよかった、閉鎖じゃなくって。
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In the end of this summer, I visited IWATE and MIYAGI which are all struck area by the earthquake.
It’s to photograph and …
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The Website (ishikawatakuya.com) is renewed! Please have a look at it. See Website
I feel this kind …
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こちらのブログではなくて、写真ウェブサイトをリニューアルしました。ぜひご覧になってください。See Website
ただこういったウェブサイトってのは(ブログも同じですが)、完成ってものがないんだな〜と実感したリニューアルでした。まだ載せれてない写真もあるし、今後もちょっとずつ増えていくだろうし。
すべてちょっとずつ、ちょっとずつです。
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ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 20
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伊弉諾の森を出て郡家の古道をたどりつつ、われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、「公」という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないかと思った。
淡路の山野は本来人間の暮らしをたすけて美しく手入れされていたものだが、土地を投機の対象にするというここ十年来の意識の蔓延で汚れはててしまっている。
日本は資本主義国だというが、たとえば英国やフランス、アメリカといった国で、農地や山林を投機や思惑の対象にしてほうり投げ合いをしているような状態があるだろうか。フランスの百姓は悠々と葡萄をつくり、ロンドン近郊の牧場主が、坪いくらするなどという滑稽な計算をすることなく、ひたすらに牧草をそだてている。
日本では、本来自然であるべき大地が、坪あたりの刻み方で投機の対象に化ってしまっているというのは、元来、生産を中心とするはずの資本主義でさえないのである。現行の経済社会そのものを自滅させつつあるバケモノのような奇妙な経済意識が日本人の心と自然を荒廃させたあげく、その異常な基盤のなかから総理大臣の座まで成立させてしまった。日本は、日本人そのものが身の置きどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっているのである。
日本は、土地を財産としても投機対象としても無価値にしてしまわねば、自然の破壊などという前に、精神の荒廃が進行し、さらには物価高のために国民経済そのものが破産してしまうにちがいない。
「明石海峡と淡路みち」 司馬遼太郎 1974年
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先日、内々の忘年会で寿司屋さんに行った。
カウンターに座った僕らの直後に入ってきた二人組、ひとりがドランクドラゴンの塚地そっくりのおっちゃん、もうひとりが金髪青い眼の白人イケメン青年。
僕の隣に二人座り、大将が「いらっしゃい!何にしましょう?」塚地似のおっちゃんに声をかける。
横から白人青年が、「大将!こいつあかんねん!日本語ひとこともしゃべられへんねん!」と流暢な大阪弁。
「とりあえずサバちょうだい!」って。。。お茶吹いた。
昔アフリカで仲良くなったデンマーク人に、”I can speak Japanese!”と言われたことがあった。
「え?ほんと?じゃあ日本語で話そうよ。」と言った直後に彼が自信満々で絶叫したのは「オニガシマ!」
なぜかそんな思い出が一瞬蘇った、そんな年の瀬。
ちなみに彼の「オニガシマ」は「オネガイシマス」のつもりだったらしい。
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何となくバタバタしていて2日になっていしまいましたが、改めてあけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします!!
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ウガーっと叫びたくなること5回。
もういいや、と全てを放擲寸前になること8回。
南国のビーチでのんびりする自分を白昼夢に見ること14回。
知恵熱2回。
その度に、自業自得だからと諦め、自分を奮い立たせること29度。
なんとかやっと、引っ越しが終わりました。
* * *
人生で最大級の断捨離を決行した結果、元の家の庭先にはあらゆる種類のゴミがうずたかく山盛りになりました。
8年という歳月の、整理してこなかったツケがここにきて一気にまわってきたのは間違いなく、それは必要なものよりも不必要なものに多く囲まれた生活をしていたことが一目瞭然となる光景でした。
大きい収納があるっていうのは実はけっこう怖いことだったりします。
昨日は最後の作業。
大家さん立ち合いの下、家の内部の最終確認でした。
大家さんはおじいちゃんと30代の息子さん二人でやってきて、懐かしそうに家を隅々まで見回ったあと、
「長いあいだ住んでいただいてありがとうございました」
と二人揃って深々とお辞儀をしてくれました。
もしかしたら家の使い方についてガミガミと小言を言われるかもしれない、と密かに緊張していた僕はその瞬間、肩の力がふっと抜けて、心臓をギュっとつかまれたような気分になりました。
この大家さんで良かった。
全てを終えて帰り際、向かいの家のオヤジが表に出てきてひと言、
「もう会うこともねえやな」
おいおい、あんたは下町のガンコオヤジでしょう、そんなに目を潤ませてこっちを見るのはやめてくれ。
「いなくなってせいせいするわ」とか、そんなこと言うはずのオヤジでしょう。
うーん、まいった。
笑顔で感情を隠し、オヤジにも8年住んだ家にも深い深い一礼をして、出発。
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月末に引っ越し予定です。
現在の家はNYから日本に帰ってきてから8年ほど住みました。
8年の間にモノというのは信じられないほど溜まっていたようで、ここんとこずっと整理に追われています。
一人暮らしには広過ぎる家で、置く場所があるから何も考えずにモノを捨てずに取っておく。
いつか使うかも、なんて必要不必要の判断を後回しにして捨てられない。
そんなサイクルを繰り返した末の、そういうモノたちが溢れかえっている家で、いま8年分の地獄を見ています。
う〜、いつの間にこんなモノ持ちになった!?
15年前はバックパックに背負えるほどのものしか持ってなかったのに。
それで不自由を感じたこともなく、むしろ大きな自由を感じていたように思う。
モノが増えるとヒトは不自由になるのかも?
そんな答えの出ない疑問はさておき、不必要なモノが多過ぎるのは明らかだ。
どんどん捨てて、どんどん軽くなる。お、捨てることにもちょっとした快感が。
来月からは祖師ケ谷大蔵です。近所の人、遊んでください。
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