神さまがくれた花 10
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神さまが住居に戻り、今日の謁見が終了になると群衆は思い思いの方角へ散って行ったが、僕の周りには20人ほどのインド人がテンション高く集まっていた。そのうちの半数はこの寺の僧侶だ。
「今日もまたもらったのか!?」
信者でもない外国人が神さまと会話する事も稀なのに、2日連続で花までもらった事実がみな不可解で仕方なかったようだ。
どうにも解せないといった表情で、どういうことなのかと僧侶に尋ねる信者たちがいて、その質問をそのまま兄弟子に尋ねる僧侶たちがいた。この集団の中で一番長老らしい僧侶が首を傾げて考え込んでしまったのだから、神さまの考えはその弟子たちにもわからないということだ。
バーとラーマとプラティマ、おばちゃん3人衆はそんな理由なんかはどうでもいいらしく、昨夜同様に僕がゲットした花を額に当てたり香りを嗅いだり、思い思いに堪能しているようだ。
男たちがごにょごにょと僕のわからない言葉で相談した後、僧侶の中の長老格が進み出て「ちょっとこちらへ来なさい」と僕をある建物の中の一室へ誘った。
その部屋は僧侶たちが事務室や来客用として使っているもので、きちんと整えられたデスクの上にはパソコンも置いてあったし、壁際の大きな本棚にはヒンドゥ教関連と思しき蔵書が数多く並べられていた。僧侶は僕に来客用のソファを勧め、座った僕の目の前に何冊かの分厚い本をどさりと置いた。
「きみにスワミナライ派の基本的なことを教えようと思って」
そう言って僧侶はマイペースに講義を始めてしまうのであった。
こうなったときのインド人というのは、こちらがもう何を言っても自分のペースを通すのだ。空気を読むとか、そういった曖昧なコミュニケーション技術はここでは通用しない。要らないならケンカしてでも要らないことを伝える、それがしんどかったり波風を立てたくなかったら黙って相手の言う事を聞く。そのどちらかしかない。
遠回しに断るなんてことは無に等しい。このときの僕には、正直ちょっとした面倒臭さはあったものの、ケンカしてでも講義を拒否するというそこまでの理由はなかったので、大人しく講義を受ける事にした。
それはスワミ神がスワミ神になる頃の、数百年前の壮大なストーリーだった。
(「神さまがくれた花11」につづく)