3月
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新幹線だけじゃなかったインドと日本のつながり

posted on 3月 15th 2016 in インド with 0 Comments

新幹線がインドを走るというニュースを聞き、以前このような記事を書いたことがあります。

僕が何度も訪れているアーメダバードという都市とデリーが新幹線で結ばれる。


  



広大なインドの田舎の風景を、静かに猛スピードで走る新幹線をイメージするとワクワクしてきますね。

今日はこんな番組を見つけました。


未来世紀ジパング 160314 【親日国インド 日本式でインドを変える… 投稿者 G2A35

番組の後半で出てくるチャンドラ・ボーズはカルカッタの空港の名前にもなっている人物です。

インド独立運動を精力的に進めながら、ガンディとは「非暴力」という点で袂を分かった人なのです。

つまりボーズは独立のために暴力闘争を肯定し、実際にインド国民軍を組織し戦闘による解放を目指したので、「非暴力」を独立運動の根幹とするガンディとは相いれませんでした。その点はアメリカ黒人運動のキング牧師とマルコムXの関係に似ています。

戦前戦中、彼と日本帝国陸軍との結びつきはとても強くボーズは日本をたびたび訪れます。

名目は「植民地政策を掲げる西欧をアジアから追い出す」ための共闘。「インドの民族的独立」を目標にしていたボーズと、「アジアの独立」を戦争の大義名分にしていた帝国陸軍は利害の一致をそこに見たのでしょう。

ボーズが西から、日本が東から侵攻してアジア全域を西欧の支配から解放しようという計画だったといいます。

残念ながらボーズの目論見は、日本が戦争に敗れた時点で計画変更を余儀なくされます。

ガンディの非暴力による独立運動もまだ実を結んでいない時代です。

ボーズは日本が敗れた今、ソ連と手を組む計画を立てました。1945年8月18日、滞在先の台湾から飛行機に乗り込み、満州に向かおうとしたのですがその飛行機が事故を起こし、大破、炎上、ボーズは大やけどを負ったのちそこで亡くなりました。

それまで連合軍を相手に派手に戦っていたボーズの遺骨は、インドに帰ることができませんでした。引き取り手を探すのが難しい状況で、遺骨は親交のあった日本に運ばれ、9月18日には東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺似て葬儀が行われました。

現代インドの父と呼ばれるガンディと並び称されることも多いチャンドラ・ボーズのお墓は今も東京にあるのです。

インドは自由になるだろう。そして永遠に自由だ。 -チャンドラ・ボーズ最後の言葉

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写真家 ニューヨークの街角に建つニューススタンドを1996年〜2004年まで撮影した写真集「Rao's Newsstand」を発表。ウェブサイトBus me too.Graphicsにて販売中。  

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