神さまがくれた花 13
この文章は「神さまがくれた花 12」の続きです。
話の最初に戻るには「神さまがくれた花 1」へ。
13
この旅が始まって3日目。インドに着いてから3日目。すなわち、この寺にも3回目の来訪。
やはり朝からダダとジャグネシュは、いそいそとお寺に行く準備を整えているようだ。そしてその頭数に僕も当然入っているようだ。
こんな記事も読まれています
この文章は「神さまがくれた花 12」の続きです。
話の最初に戻るには「神さまがくれた花 1」へ。
13
この旅が始まって3日目。インドに着いてから3日目。すなわち、この寺にも3回目の来訪。
やはり朝からダダとジャグネシュは、いそいそとお寺に行く準備を整えているようだ。そしてその頭数に僕も当然入っているようだ。
こんな記事も読まれています
この文章は「神さまがくれた花 11」の続きです。
話の最初に戻るには「神さまがくれた花 1」へ。
12
この部屋に入ってきてからというもの、会話のほぼ全てがこの僧侶のターンだったわけだが、そのせいもあって僕の集中力に限界が近づいていた。
そろそろ終わりにと僕が思っても、言葉を挟めるタイミングがまるでないのだ。小さな事務室で僕は途方にくれた。
こんな記事も読まれています
この文章は「神さまがくれた花 10」のつづきです。
話の最初に戻るには「神さまがくれた花 1」へ。
11
その僧侶は短めの自己紹介から話しはじめた。
私はインド人だがアメリカ育ちだ。ハーバード大学に進み哲学を学び、卒業した後ヒンドゥ教に人生を捧げる事を決心し、スワミナライの門をくぐったのだ。
アメリカで育つ過程で触れた文化や文明は捨て去ったのだ。流行の服、おいしい料理、酒タバコ、映画やテレビの娯楽。
こんな記事も読まれています
10
神さまが住居に戻り、今日の謁見が終了になると群衆は思い思いの方角へ散って行ったが、僕の周りには20人ほどのインド人がテンション高く集まっていた。そのうちの半数はこの寺の僧侶だ。
「今日もまたもらったのか!?」
信者でもない外国人が神さまと会話する事も稀なのに、2日連続で花までもらった事実がみな不可解で仕方なかったようだ。
こんな記事も読まれています
9
寺に到着すると、再び昨日と同様に席を確保し、神さまの降臨を待つわけである。
女性陣は女性用の席に、席というか地べたに座ってるだけだが、固まって待つ。どうやら神さまはもちろんのこと、弟子であるこの寺の僧侶たちは女性との接触を禁じられているようだ。僧侶と女性が話をしている姿すら見られない。
こんな記事も読まれています
8
翌朝、少し遅めに起きるとダダとジャグネシュはリビングでくつろいでいた。
おはよう、ジェイアンベ、ジェイスワミナライとお互い声をかけると、「10時には出発するから準備しなさい」とダダ。もう100%連れて行くつもり。これはやはり逃げられないということか。
こんな記事も読まれています
7
この日の謁見はこれで終わりのようで、最初に出てきた入り口から神さまは住居に戻って 行った。
神さまの姿が見えなくなると、整然と座っていた群衆たちは思い思いの方向に散り散りになって行った。僕の掌の中には小さな赤い花がひとつ残された。ダダとジャグネシュと、他6,7人が僕の周りに駆け寄ってきた。
「すごいじゃないか!スワミ神から話しかけられるなんて!」
こんな記事も読まれています
6
僕を見ながら弟子がボソボソとささやく。それを聞いたスワミ神はフンフンと微笑みながら頷いて、弟子の耳にそっとひと言語りかけた。
それを聞いた弟子、僕の方に向き直り、厳かに威容を整え、
「神さまは日本からはるばるあなたが来られたことに大変お喜びである」
こんな記事も読まれています
5
なにか信者たちにしかわからない合図でもあるのだろうか。
なんとなく弛緩していた信者たちがものの数秒で姿勢を正すと、時を同じくして本堂の入り口から再びスワミ神が現れた。
車いすを押され、最初に出てきた出入り口とは逆の方向にゆっくりと向かい、そこに座る信者たちの前に止まった。
こんな記事も読まれています
4
法悦?恍惚?
この歓喜。なんとなく心の隅でうらやましい想いもありながら、彼らの心情の根本は想像するしかない。
ヒンドゥ教徒でもないし、特にこれといって特定の宗教を持たずに大人になった僕としては、スワミ神を前にしたときの彼らの目の輝きはとても眩しいのと同時になかなか理解のしづらい種類のものだ。
こんな記事も読まれています