イゾラドとヤノマミ
大アマゾン最後の秘境_最後のイゾラド森の果て_未… 投稿者 tvfl5
またHNKがやってくれた。
「イゾラド」とは未だ文明との接触のなかったアマゾン奥地に暮らす人々の総称だ。
英語で言うとISOLATED(孤絶・遠隔)を表す語のスペイン語がISOLADOなのだろう。つまりあくまでこちら側の世界から名付けた名称であり、こちら側からの孤絶であり遠隔である。
近年、アマゾン奥地に暮らすペルー人の僻地の集落に、これまで遭遇したことのなかった先住民が姿を表すようになった。ほぼ全員が腰巻ひとつという服装で、性器も丸出しにしている。当たったら痛いどころではない大きなサイズの弓矢を携えている者もいる。
「ここから先に住んでいる人間はいない」と言われてきた僻地の村人は当然大きなショックを受ける。相手のことがわからないので、女性と子供は村でひとつだけの壁があり鍵のかかる建物に避難する。村の男性はなんとか友好的な接触を持とうと、バナナの束を贈り物にする。
「原始の人間の状態」つまり「文明や文化などを身につける以前の人間の状態」というものに僕はとても大きな興味がある。自然であるということはどういうことなのか。
「自然に生きているってわかるなんて、なんて不自然なんだろう?」と歌ったのはずいぶん昔の吉田拓郎だが、イゾラドのような人々は自分たちのことを「自然に生きている」なんて思ってもいないだろう。
この番組は「ヤノマミ」の制作チームが作ったものだという。
やはりアマゾンに暮らすヤノマミ族に、150日間の長期密着を敢行した「ヤノマミ」は放送時大きな話題になったのであまり説明の必要は無いと思うが、この番組もまた僕に「原初の人間」というものを見せてくれた。観てからずいぶん経った今でも、とても鮮烈な記憶が残っている。
ヤノマミ_37157008_pandora.tv 投稿者 arty0807
ヤノマミ族の女性は森で赤ん坊を産む。産み落とされたばかりの赤ん坊は人間ではない。精霊なのだ。
母親がその手に赤ん坊を抱いた時に初めて赤ん坊は人間として育てられることになる。
そうでなければ「精霊として天に返す」。選ぶのは母親だ。周りの人間はただ母親の決断を受け止める。それがこの部族の文化でありルールなのだ。
取材班が密着していた期間に、一人の赤ん坊が生まれたのだが、その母親は出産を終えると赤子を「精霊として天に返す」ことに決めた。つまり生まれたばかりの赤ん坊を「殺した」。
これは「母性」というものを当たり前のこととして信じている文明社会(=私たち)にとって、とてもショッキングなシーンだ。文明から隔絶されたヤノマミ族のその行いは、人間にとって母性が自然のものでないということをこのシーンで証明している。
「子供は愛しいもの」という感覚、「愛情を持ち育てるべき」という常識、そういったものはもしかしたら人間の心に先天的にあるものではなく、むしろ社会生活を営んでいくために後天的に刷り込まれていくものなのかもしれない。
そしてそういった心の奥底まで入り込んだ刷り込みは、僕たちが自分で思う以上に心の中の大きな部分を占め、僕らの人生に干渉しているのではないだろうかと思うのだ。
そういった「刷り込まれたもの」を解体していくと、最後にどのような心のあり方になるのだろうか。「イゾラド」と「ヤノマミ」はそんなことを僕に考えさせる稀有な番組だ。