3月
02
インドをもう一度経験している
最近はヒマさえあれば暗室に籠るような生活を送っている。
インドから持ち帰ったネガを一枚一枚プリントしているのだが、これがいつまで経っても終わらない。
まだ何をどう組み立てるのか、今後どういった写真が撮れるのか、茫漠とした輪郭が見えてきたような段階なので、敢えて絞り込まずに少しでも気になったカットをひとつひとつ焼いているからだ。
霧の中を歩くような終わりのない作業なのだが、これが実はかなり楽しい。
当たり前だが、撮影中は時間が流れている。
撮影中でなくとも、人間は誰もが等しく流れる時間の中でその生活を送っている。
愛すべき人間に出会い、愛すべき瞬間を送ってもそれは時間とともに過ぎ去り変化し、自分の中の奥底に沈殿していく。そこに写真が無かったら。
写真はその、変化し沈殿していくはずの、愛すべき瞬間を、冷凍保存のように凝固して、再び僕に経験させてくれる。
東京の自宅の暗室に籠りながら、僕はカロールをもう一度経験している。