8月
10

この暗い部屋

posted on 8月 10th 2010 in 毒にも薬にもならない with 0 Comments

よく驚かれるのだが、今年の夏までずっと我が家にはクーラーがなかった。

一軒家なのでなんとなく涼しい気がする、と自分をごまかして乗り切っていたのだが、今夏の猛烈な暑さはさすがにごまかしようがなく、四部屋のうちのひとつにクーラーを入れた。

めでたくエア・コンディション状態になったのは、居間でも台所でも寝室でもなく、二階にある六畳の暗室だ。

暗室は光を遮断するために、窓も雨戸も閉め切ったうえに、分厚くて真っ黒な暗幕をかけてある。ほんの少しのそよ風も流れない室内は、写真を焼くための諸々の機械が発する熱のせいで、またたくまに熱帯雨林か灼熱砂漠のような気温まで上昇する。

これまでの夏では、覚悟を決めて気合いで乗り切っていた。息を止めて、せーので暗室の作業、一枚焼いたら急いで室外に出て汗を拭う、という繰り返し。仕上がる頃には汗も出尽くしてヘトヘトになっていた。

それが今年のこの暑さがきっかけで、これは落ち着いて写真を焼けない、それどころか命が危うい、と考えさせられた。妙な意地を張って死んでしまうのを良しとするほど、暗室作業は命がけのものではない。

おかげで今では我が家のなかで一番涼しい場所が暗室になっている。こうなると仕事がどんどんはかどるのは良いことだが、知らず知らずのうちに暗室で過ごす時間が長くなり、モノが暗室に移動し始めた。

まずノートパソコンが隣の部屋から移住して、イス、灰皿、コップその他こまごましたものが民族移動した。短期でまた元の場所に帰って行くモノもいるし、ほぼ永住のように居座っているモノもいる。最たるものが僕自身で、家にいる時間の八割か九割はこの部屋にいるような気がする。暗室が生活の拠点になって来ているのだ。

常に現像液の香りがただよう部屋で生活していると、なんだか自分自身もいつかは現像されてしまうような妙な気分がするのだが、ここが最も快適なんだからしかたない。

秋が訪れるまでのあと数週間、体の芯まで現像液がしみ込まないように祈りつつ、これも暗室で書いている。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Share on TumblrPin on Pinterest

石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/