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(3のつづき)
“Subway to Jamaica”がデューク・エリントンのヒット曲「A列車で行こう」をベースにして書かれたものだということは、酒で濁った僕の頭でもすぐにわかった。
「急いでハーレムに行きたきゃA列車に乗ろう」というその歌詞から着想を得た話なのだ。
NYの地下鉄は、AもEも途中までは同じ線を走る。
だがAがまっすぐハーレムに向かう急行列車であるのに対して、Eはマンハッタンの真ん中あたりで急カーブを描き、クイーンズの東のほうまで行ってしまう。Eに黙って乗り続けていると終点は「ジャマイカ」という名の駅だ。
甥っ子は飲んだくれて電車の中でうとうとして、気がついたらジャマイカまでたどり着き、やっとのことでハーレムに戻ってきたらもう空は白み始めていて、部屋にはかんかんに怒ったおじさんが待ち構えていた、というただそれだけのお話だ。ちなみに僕自身も酔っぱらって全く同じことをやらかしたことがあるが、それは今は関係ない。
ラングストン・ヒューズが「A列車で行こう」というデューク・エリントンの曲を土台にして短編を書いていた。その事実は、酒のおかげで理性の濃度がいつもより薄くなった僕には、喜び以上に、何かしらの啓示のような重々しさで受け止められた。すなわち、「デューク・エリントンは孤独ではなかった」のだ。
今振り返ってみても、これがまったく筋の通らない話というのはわかっている。
そもそもデューク・エリントンが孤独な人生を送ったという話を過去に聞いたことがあるわけではないのだ。僕はまったく自分勝手に、あれほど美しい曲を作れる人間は孤独な人生を送ったに違いないと決めつけ、デュークの殺伐とした人生のなかに、ラングストンが湧泉のように潤いを与えていたのだ、と信じ込んだ。そんな意味不明の思い込みをされた当のデュークもラングストンも迷惑以外の何ものでもないだろうが、とにかく思い込んだ。
そして、なぜかとても上目線で、デュークのために泣きたくなるくらい幸せな気分になってきた。
じっとしていられない。バーテンダーに紙とマジックをもらい、でかでかと書き込んだ。”DUKE IS NOT LONELY ‘CAUSE LANGUSTON IS THERE.”(ラングストンがいるからデュークは孤独ではなかった)
そのまま紙を四つ折りにして掌の中に入れ、バーを出た。とても重大な新発見をしたかのように気分は高揚していて、これを誰かに伝えたくて仕方がなかった。
少し遠回りして、ヒューズのことを教えてくれたあの女性のアパートに寄り道して、少し迷ってから四つ折りにした紙をドアについたポストに投函した。そのまま我が家まで歩き、高揚感に包まれたまま眠った。
まったく意味を成さない酔っぱらいの所業と言ってしまえば確かにそうだった。
その後一年ほどで僕はハーレムを離れ、さらに三年ほどでアメリカを離れた。過去住んでいた場所なのに、今ではとても遠い場所のように感じることも多い。
もしかしたら一人で高揚感に包まれながら飲んでいたあの夜が、僕がハーレムに最も近づけた瞬間だったのかもしれない。
“DUKE IS NOT LONELY ‘CAUSE LANGUSTON IS THERE.”
そう書かれた紙片はあの女性の日記帳の一ページに貼られたそうだ。
(おわり)
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(2のつづき)
ある夜、友人と飲んだ帰り道。
なぜだか急にもう少しだけ飲みたくなって、ひとりでバーに入った。
一人で特にすることもないので、それほどうまくもない酒を片手に”Best of Simple”を開いて読み始めた。その頃は本の半ばを少し超えたあたりを読んでいた。短い話をいくつか読んだところで、”Subway to Jamaica”という題名の一話に出会った。
その不思議な題名の話には、シンプルさんの甥が登場する。
若くて、やんちゃで、もうはっきりとは覚えていないがアーカンソーだかの田舎から出てきたばかりの甥っ子を、シンプルさんは居候として預かっている。ある夜その甥っ子がいつまでたっても帰って来ないので、やきもきしながらシンプルさんは待っている。やっと甥っ子が帰ってきた頃にはもう外は明け方で、このまま遊び人になってしまうのではないかと危惧したシンプルさんは彼を厳しく叱りつけることにする。甥っ子は怒ったおじさんに対して弁解する。遊んでいたことは遊んでいたが、こんな朝方まで遊んでいた訳じゃない。夜に遊びを切り上げて帰って来ようと地下鉄に乗った。いつものラインに乗ったはずなのに、何時間も乗り続けて気づいたらジャマイカという駅に着いていた、、、。
シンプルさんはその甥の言い訳を聞き、怒る気をなくした、と「私」に語る。こいつはただ電車を間違えただけなんだ。ジャマイカはEラインの終点じゃないか。そして甥に諭す。だから言っただろう、ハーレムに急いで帰ろうと思ったらA列車にのらなきゃなんないんだ。
それで終わり、ただそれだけの話だった。だが不思議なことに、読み終わった僕はつかみどころのない大きな高揚感を感じていた。今振り返っても、酔っぱらっていたからとしか考えられない意味不明の高揚感。僕は”Subway to Jamaica”を読み、なぜだか「デューク・エリントンは孤独ではなかった」と強く感じて、うれしさでいっぱいだったのだ。
(4につづく)
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シンプル・イズ・ベスト 2
シンプル・イズ・ベスト
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(1のつづき)
後日、教えられた本を手に入れ読んでみた。
ラングストン・ヒューズはハーレム・ルネッサンスを代表する作家で、もちろん黒人だ。日本では「ジャズの本」の作者として知っている人も多いのかもしれない。その時代以前にはあまり見られなかった、アメリカの黒人自身の視点から、暖かく土臭い情熱を持って書き続けた作家だ。
語弊を恐れずに言えば、現在の日本ではもう半ば忘れ去られた作家なのだろう。本屋や図書館でこの名前を見ることもあまりないが、アメリカでは死後40年以上経った今でも、命を絶やす事なく読み継がれている。
などと取ってつけたように解説してみたが、全てこれは後で知った事柄で、僕がヒューズの存在を知ったのはこのときが初めてだ。僕と同世代の黒人女性が教えてくれたこの”Best of Simple”という本には、この作家が長い月日をかけて書き続けた、ハーレムに住む「シンプルさん」という名のおじさんが主人公の短編ばかりが幾編も集められていた。いわゆるシンプルさんシリーズのベスト盤、といった内容の本だった。
シンプルさんというおじさんは果たしてどのような人物かというと、偉くない金もない見た目もパッとしない、特に賢くもない、という実際にハーレムで普通によく見かける、昼間からくだを巻いているようなおっさんだ。だがこの決して人は悪くないおっさんが、暖かいような情けないようなことをボヤキながら自らの過去や黒人であることの苦しみや楽しさを知人である「私」に語る。それがヒューズが遺したシンプルの物語だ。
しばらくはどこへ行くにも持ち歩いて読み続けた。物語は語り手であるシンプルさんと聞き手の「私」の対話で進んでいく。シンプルさんは酒飲みなので、たいていはハーレムの酒場で一杯やりながらという設定だ。シンプルさんの言葉は、小さく笑ってしまうぐらいくだらないものだったり、ちょっと気分が暗くなってしまうぐらいのシビアな話だったり様々だ。言葉の対象も話によって様々と変化していくが、黒人であること、という一点は決して揺るがない。
読み終わるまでの数日間は、地下鉄の中、喫茶店、バー、ベッドの中、ときには街を歩きながら、時間が許すたびにペーパーバックの本を開きシンプルさんの言葉に聞き入った。アメリカの黒人であるということはどういうことなのかと想像を巡らせながら。
(つづく)
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シンプル・イズ・ベスト
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ニューヨークに7年間ほど暮らしていた。
絶えず転々とするような引っ越しの多い7年で、街のいろいろな地区をぐるりと住んでまわったのだが、そのなかでハーレムを住所にしていた2年間がある。
言うまでもなくハーレムは住人の多くが黒人の、文字通り黒人の街で、白人はもとよりヒスパニックや僕のようなアジア系はこの街では少数派だった。
住み始めてしばらくすると、近所に呑み友達のような友人ができた。彼らは酔うと、いや酔わなくても黒人であることの誇りと、黒人であることの哀しさについて声高に話し、ときに議論が白熱してケンカのように怒鳴り合ったりもするような若者たちだった。
マルコムXやキング牧師についてはそれ以前から知っていたが、ローザ・パークスやマーカス・ガーヴェイや、その他黒人の長い戦いにまつわる様々な名前を彼らの口から初めて聞いた。
ハーレム・ルネッサンスという言葉を知ったのもこの時期で、たまたま入ったバーでデューク・エリントンの音楽がかかっていて、そのとき一緒にいた女性の口から出てきた言葉だったように覚えている。
その言葉を知らなかった僕に、彼女は説明してくれた。ハーレム・ルネッサンスというのは1919年から始まり十数年つづいた、黒人文化が開花した全盛期だ。文学、音楽、絵画などで後に名作と呼ばれるものが次々と誕生して、黒人の意識と環境が激変した時期でもある、と。
デュークもビリーもベッシーも、みんなハーレムの子供たちなのよ。
少しカッコつけて、全黒人を代表するようにその彼女は言った。
理由は今でもわからないが、僕はハーレム・ルネッサンスというその言葉が、とても大きなものにも小さなものにも、泥臭いような汗臭いような、なんとも判別しがたいドロドロしたものを表しているような落ち着かない気分になって、呑みながら長いこと彼女に質問し続けた。
途中で面倒くさくなったようで、じゃあこの本読みなさい、と言いながら彼女は、バーのナプキンにボールペンで「ベスト オブ シンプル ラングストン・ヒューズ」(Best of simple, Langston Hughes)と書いて渡して来た。
(2につづく)
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