Posts Tagged with: 石川拓也
僕自身、知らないうちにある漫画に出演を果たしていた。友人から教えてもらってみたところ、こんな感じで名前の出演。ちなみに「最下位 176 小野田坂道」が主人公。その上の46番は話には登場しません。それは残念。
下のような別カットも。
作品のタイトルはここでは秘めさせてもらうが、好きな人ならすぐピンとくるようなタイトルなんだって。ちょっと見たけど、面白そうでした。
弱虫ペダル スペシャルイベント〜LE TOUR DE YOWAPEDA 2015~ [DVD]
posted with
本文を読む
今日が今回の由布院滞在最終日です。明日には帰ります。
雪に閉ざされて、毎日屋内で仕事をしていました。観光もなにも今回はさっぱりな感じです。
長い間雲に隠れて見えなかった由布岳が、今日ははっきり見えました。
Today is the last day in Yufuin. Tomorrow I will fly to Tokyo.
From the next day I reached to …
本文を読む
あけましておめでとうございます。
みなさま本年もよろしくお願いいたします。
2014年のはじまりをインドのブッダガヤで迎えました。
ブッダガヤはその昔ブッダが悟りを開いた地です。ブッダファンの僕としてはいつか訪れたいと思っていた土地でもあります。6年間激しい苦行を重ねて死にかけたブッダが考えを変え、静かに菩提樹の下で瞑想を続け悟りに至った場所です。世界中の仏教徒にとっての聖地であり、ヒンドゥー教でもブッダは神様の生まれ変わりであるため、多くのインド人にとっても一大聖地です。
ブッダが座った菩提樹は長い歴史の中で数回燃やされ、現在は4代目。ただ株分けしてネパールに植えたものから逆に株分けしてもらい、オリジナルのDNAは綿々と存続しているようです。この樹の下で、現在もチベット人、ネパール人、インド人、中国人、欧米人、世界中から仏教徒が集まり祈りを捧げています。大晦日にはチベットのラマ僧の読経に混じって座っていたらなんとなく気持ちがよくなって、気がつけば3時間以上経っていました。樹にパワーがあるんだ、とインド人の知り合いは言っていましたが、もちろんある意味でのパワースポットであることは間違いない。
もう何時間でも時間が許す限りこの場所にいたいような気分になって、元旦には朝からずっと樹の下で座り続け、2014年の初日は過ぎて行ったのでした。
Happy Bless New Year!
I had the first day of 2014 in Bodhgaya, India. Bodhgaya is a place where Gotama Siddharttha …
本文を読む
デリーから列車に乗って19時間。
ビハール州のガヤで降り、乗り合いタクシーで40分。ブッダガヤに来ています。
前日午後14時にデリー発、当初は16時間で朝6時半到着の予定だったのですが、3時間遅れで9時半にガヤ着。インドの長距離列車は遅れることが当たり前なので、3時間で収まったのはむしろ早い方です。
インド国内の移動はたいてい列車に乗っていますが、これが驚くほど安い。
今回デリー〜ガヤ間990kmの旅でチケットは572ルピーでした。これってだいたい¥1,000ぐらい。990kmって東京から大隅半島佐多岬ぐらいの距離ですよ。
座席のクラスによって値段はもちろん変わってきますが、僕が乗ったのはスリーパー(寝台)ACなし。インドでは列車もバスもホテルの部屋も、AC(エアコン)の有無が大きなポイントで値段が変わる。ホテルの看板にも「AC付いてます!!」なんてことがデカデカと書いてある。列車の座席もACかNO ACかで大きく変わる。
ただインドでエアコンというとき、そこに暖房は含まれないんです。冷房のみ。ACすなわち「冷房キンキンに効いてるぜ!」ってことなのです。ところがいくら常夏の国とはいえ北インドのこの時期はけっこう寒い。デリーでは毎日ダウン着てたぐらいだったので、車内での深夜は相当な冷え込みになりました。
これで冷房効かせたら本気で死んでしまう!と3段ベッドの一番下で震えながらのビハール州上陸です。
A: Delhi B: Bodhgaya
こんな記事も読まれています
CANON INDIAに行ってきました!
デリーへと続く道
カロール再び 2
カロール再び 7
カロール再び 3
本文を読む
ず〜っとやろうやろう、と思っていたウェブサイトのリニューアルをしました。覗いてみてください!
Ishikawa Takuya Photography
こんな記事も読まれています
Light …
本文を読む
せっかくなので2年前に行った写真展のことも少し書こうと思います。
当時はブログもフェイスブックもやっていなかったのでこういった報告が全くできないままでした。
いまでは便利な世の中になりました。
2009年9月11日にNY、マンハッタンのミートパッキング・ディストリクトのギャラリーで開催されたイベントは、ファッションブランドSATORU TANAKAと僕、それからDESTROY & REBUILDというNYのアーティストグループの3者合同展という形式でした。
ちょうど2年前ですね。
正面が今回Light in Augustで展示している一枚です。
* * *
オープニングの9月11日にはDESTORY …
本文を読む
(4のつづき)
僕はタイミングを計っていた。
車内には乗客達が戻り始め、外には運転手を含め4、5人が残っていた。最後のひとりが食事を終え店を出たとき、できるだけ目立たないようにしかし速やかに、僕はバスの外に出た。片手にほぼ空の瓶を持ち、そのまま一直線に店に向かい、食料品店のカウンターに並んでいるものを大急ぎで物色した。
残念ながらそこには充実した食事になり得るものは一切なく、ただただスナック菓子やガムやタバコが置いてあるだけの貧相なものだった。その中からビスケットというよりは乾パンに近いような包みを3つ手に取り、黙って中国元の札をカウンターの中のおやじに手渡した。傍らに置いてあるポットに入ったお湯を、僕のお茶の瓶に移す。これでまたしばらくお茶には困らないだろう。
そそくさと店を後にしてバスに向かうと、もう僕を除く全員が車内に収まって、僕が乗車するのを待っていた。
乗客達が温かい食事を取っているときにはバスから降りようともしないで、皆が出発する頃になっていそいそと乾パンだけ買いに行くような男を、やはり大半の人間は怪訝な表情で見守っていたようだ。それも今回が初めてではなく、出発以降、食事時には似たような行動を繰り返している。そろそろ周りの乗客の好奇心もかわせないほど大きなものになってきているのかもしれない。それでもバスの後方に位置する僕の座席に戻るまで、誰も僕に話しかけて来なかったのは幸いだった。もし話しかけられていたら、僕はそれを無視しなければならない。何も聞いていないかのように、無視しなければならないのだ。
バスはまた走り出し、揺れる車内で乾パンとお茶の朝食を素早く済ませた。乾パンは味がしなかった。車内は相変わらず暑かったが、コートは脱がなかった。窓から差し込む朝日がジリッと肌を焼いたような気がした。チベットの太陽だ、と思った。空が近いのだから、太陽だって近いんだ、と妙な理屈にひとり心の中で頷いた。
(つづく)
こんな記事も読まれています
チベットに行ってもいいですか? 2
本文を読む