「旅こそ人生」は幸せか
4年ほど前からノマド的というかホームレス的な生活が激しくなっている。
自分がいったいどこに住んでいるのか、自分自身でよくわからなくなっているのである。
きっかけは2012年夏にやった仕事。
保険会社のPRイベントに帯同して撮影をしたのだが、その仕事が4ヶ月かけて車で日本一周をするというものだった。
その仕事は2012年11月に無事ゴールを迎えた。そしてその1か月後には翌年も同じ仕事をすることが決定していた。2013年度は7か月間の日本一周である。
正直に話すと、その頃の僕はいろいろな意味で東京での生活に疲弊していた。それまでの生活に対する疑問が少しずつ大きくなるのを感じながら、それでも東京で生活を続けていくべきか悩んでいた時期だった。
そんな時にそれぞれ4ヶ月、7ヶ月かけて日本を一周するという生活を2年連続で過ごしたのである。
(その時にこぼれ落ちた写真はそれぞれ「日本一周2012」「日本一周2013」にまとめている)
この経験を通して、僕の生活は多くのモノを必要としなくなった。
それまで住んでいた部屋も引き払い、極端に乗る機会の少なくなるであろう車も処分した。10年以上の東京での暮らしで、いつの間にかたまりにたまった本や服やもろもろも極端に処分して、どうしても処分できないものは千葉の実家に押し込んだ。
それ以来、旅から旅への生活を送っている。
主な行き先はインドや九州、今年はオーストラリアにも初めて訪れた。夏にはイビサに数ヶ月暮らし、今月には四国と京都と、年末年始は大分にいるはずだ。
自分がどこに住んでいるのか実際よくわからないようなこの生活を、僕自身はおもしろいと思っている。ただこれはもう好き嫌いの問題で、そんな生活したくないと思う人も多いはずだ。
「旅することが人生だ。」
そんなひと言で表現される人生を送る人間は、いつの時代だって一定数の割合で存在していた。毎夜のベッドが不確定なことよりも、ひとつ所にずっと居続けることにこそ危機感を抱いてしまうような人たちのことだ。これは幸とも不幸とも関係ない。ただそう感じてしまうのである。
僕の場合は別に「旅をする!」と決めているわけでは全然ない。気がついたらいろいろな場所に住むたくさんの人たちの多様なコミュニティに足を突っ込んでいるうちに、自然と人付き合いが増えて「会いに行く」ために結果、旅になっている。インドに行く理由なんかはまさにそれだ。
日本が本格的な冬に突入していくこの時期には、インドのグジャラート州はとても過ごしやすい気候になる。
「そろそろ来ないの?」なんてメールがインドから届くと、もうソワソワしてダメなのだ。