”Ballad of the Skeletons” アレン・ギンズバーグ
アメリカのビート・ジェネレーションを代表する詩人、アレン・ギンズバーグが他界する直前にレコーディングしたという曲がある。
タイトルは”Ballad of the Skeletons“。
骸骨たちのバラード。
作曲はフィリップ・グラス、演奏はポール・マッカートニーという豪華な布陣で、作詞はもちろんギンズバーグ本人である。
ここで衝撃的なのはこの曲でギンズバーグは本人自らマイクを手に取り熱唱していることで、普段詩人という人間を、紙とペンのみを媒体に戦う物静かな哲人、といった勝手な僕の固定観念を軽やかに吹き飛ばしてくれる。
考えてみれば、詩人とは紙とペンといったもののみを道具としているわけでは決してなく、もしかしたらそれらよりも強力な彼らの武器というのはその肉声だったのだろう。
昔からアメリカにはポエトリー・リーディングというカルチャーがあって、僕がニューヨークに住んでいた時分もカフェやライブハウスで盛んに観たものだ。
ポエトリー・リーディング=詩の朗読と、楽器を使っての音楽とがあまり大きな区別がなく、たとえばバンドが荒いロックを演った直後に詩人がステージに立ちリーディングを披露するというのはとても自然なことだった。
ギンズバーグやブコウスキーが、ストリートや隠れ家の一室や、テレビカメラの前なんかでもその肉声をメディアとして自身の言葉を伝えていく様子はビデオなどで今でも見れる。
ニューヨークなんかでは地下鉄やバスの中でさえ、乗ってきた詩人が突然ポエトリー・リーディングを始めたりして、それが上手ければ乗客も喝采を送るという光景は案外ふつうに見られたものだ。
街中全体が彼らの作品を発表する場になっていた、とも言える。
この”Ballad of the Skeletons“という曲、ギンズバーグにとってはポエトリー・リーディングという武器に、メロディとリズムを乗っけたというシンプルな作業だったのかもしれない。