5月
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エリトリアで借金を 4

posted on 5月 23rd 2010 in 1995 with 0 Comments

エリトリアで借金を 3 つづき)

そうと決まればエリトリアのビザを取らなければならない。

申請しに行って、土日を挟んで週明けに受け取り、なんてことをやってるうちに、3日と決めていたアジスで1週間も滞在することになってしまった。

食事や宿は極限まで切り詰めて、まさに爪に灯をともすような日々を送っていたのだが、このビザというのがこういう場合にはとても厄介だ。ビザそのものにお金がかかるし、取得するために時間もかかる。確かエリトリアビザは25ドルぐらいだったと思うのだが、そのときの25ドルは僕にとって本当に身を削られるような金額だった。このとき僕は1日4ドルか5ドルぐらいで生き延びていたはずで、タイムリミットが5日分ぐらいはビザのせいで縮まったことになる。

これで船がなかったら、もうアジスアベバに戻ってくる金もなく、エリトリアで立ち往生になるのだろう。なるべくそんなことは考えないようにしながら、エリトリアの首都アスマラ行きのバスに乗る。

バスの中では、不安で重くなっていた僕を、エリトリアの人々の興味津々の大きな眼が迎えてくれた。このときの乗客はほとんど全てエリトリア人で、他の国の人間は僕だけだった。アジア人を見るのも珍しいらしく、初めはなんとなくこちらの様子を窺っていた乗客たちのひとりが、英語で話しかけて来た。ハジスという名の僕と同世代のこの若者もまたエリトリア人で、エチオピアの親戚を訪ねて行った帰り道だという。ハジスは僕に英語で話しかけ、僕が言うことを大声でバスのみんなにエリトリアの言葉で伝える。即席だがとても有能な通訳を買って出てくれた。

アスマラまではまるまる3日。やはり夜は名もわからない町で宿を取り、朝になると出発する。途中、少しの入れ替わりはあるものの、乗客の顔ぶれは出発のときからほぼ変わらず、バスの中では少しずつあたたかい一体感が生まれてくる。2日目の午後だっただろうか、ハジスが、アフリカ・ユナイトって歌、知ってるか?と訊いてきた。

ボブ・マーリーのアフリカ・ユナイト?そう訊き返すと、嬉しそうに、歌えるか?と目を輝かせている。なんとか憶えているところだけ歌ってみると、ハジスが合わせて声を乗せてくる。ハジスの大きな声がバス全体に響き渡って、ひとり、またひとりと声が合わさって、気づいたときにはバスの中は大合唱になっていた。

僕らはバビロンの外に出て  僕らの祖先の土地へ行く

どれだけ素晴らしいことだろう

神と人を前にして アフリカがひとつに戻るのは

エチオピアとエリトリアの国境付近で、周りは見渡す限り延々と広がる乾いた堅い土。黄色い地面と真っ青な空に挟まれて、人も車も滅多に見かけない地平線を、調子ハズレのアフリカ・ユナイトが鳴り響く真っ赤なバスが走って行く様は、端から見たらとても微笑ましいものだったのではないだろうか。

後ろのほうを見てみると、おばあちゃんと小さな子供たちも、教えてもらったのだか適当なのか、気持ち良さげに歌っている。きっと運転手も一緒になって歌っているだろう。

ボブ・マーリーがアフリカ・ユナイトで歌ったそのアフリカに、僕もこの瞬間、ちゃんといるのだというごく当然のことを、不思議とこのとき初めて意識した。

(につづく)

map Shashamane to Asmara

A:Shashamane  B:Adis Abeba  C:Asmera

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/