アボリジニとオーストラリア
4月の終わりなのでだいぶ前の話になってしまったが、オーストラリアに撮影に行っていた。
旅・カルチャー誌 ”TRANSIT” のオセアニア特集号の撮影で、大陸中心部のウルル(エアーズロック)周辺を約1週間かけての撮影だった。
オーストラリア、ノーザンテリトリー特別地域(州になっていないのでこういった呼称なのだという。準州とも呼ぶ)の、レッド・センターと呼ばれる大砂漠地帯。レッド・センターというのは大陸の真ん中にある「赤い」土地だから。実際この辺りは見渡す限りの赤い荒野で、完全な砂漠でもない、背の低い草木がまばらに生えた土地。土壌に多く含まれる鉄分が錆びることで、この土地が赤く見えるのだという。
この土地に住むアボリジニの文化を撮影することが今回のオーストラリア行の目的だった。
結論から言うと、アボリジニの人々、アボリジニの文化自体はさておき、それを取り囲む環境はとてもいびつに歪んだものとして僕の目には映った。
念のために書いておくと、いびつだ、歪んでいると批判しているわけでは決してない。アボリジニにとってもオーストラリアの白人にとっても「自然な状態」というのがとうの昔に全くわからなくなってしまっているのだ。そのせいで双方が四苦八苦している様子が、僕のような外国人から見るとなにやらヘンテコな状況で、微笑ましくもあり悲しくもあり、といったところなのだ。
例えば、沈む夕日に輝くウルルを眺めながらコース料理を食すツアーがある。僕はプレスとしての参加なので料金は払っていないのだが、ディナー1食数万円という、そこそこいいお値段のものであるらしい。(豪ドルが高いせいなのか、オーストラリアでは大体が物価高に感じる。)
食事が用意される前に、アボリジニの青年がディジュリドゥという楽器を持って現れる。そしてウルルを背景にひとしきりディジュリドゥの音色を聴かせてくれる。当然、僕は演奏中の青年にレンズを向けシャッターを切る。演奏が終わった後、ノーザン・テリトリー観光局の担当者が僕に言う。「あの青年の写真は使ってもいいけれど、青年とウルルが一緒に映った写真は使えません。」
なんで?僕には意味がわからない。しつこく理由を問い正す。担当者は淡々と説明する。「ディジュリドゥ自体が、沿岸部で使われていたものなんです。ウルルの周辺には本来ディジュリドゥは存在しなかった。」
だから、ウルルとディジュリドゥが共に映った写真は使ってくれるな。そんな理屈だったのだ。
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