写真とはなにか 写真家が受賞を辞退した理由 3
つまりニコン・ウォークレイ賞というのはフォト・ジャーナリズムの賞であるがゆえに、画像修正に関しては一定の厳格なルールを持っています。
昔ながらの、暗室作業での画像を整える技術から逸脱した、あったものをなかったことにしたり、逆になかったものをそこに合成したりといった修正は、フォト・ジャーナリズムの観点から制限されるべきでしょう。でないと合成・捏造なんでもありの写真が「実際にあったこととして」発表されてしまいます。
そしてそのルールがあったがゆえに起きた今回のこの事件。ルール違反の修正を指摘されたCaird氏は受賞の辞退を発表しました。
この一連の出来事に僕が持った感想は、怒られるかもしれませんが率直に言うと「その程度の修正で失格?」ということ。
このコンテストが報道写真を対象にしていて、そのために修正に関しては厳格なルールを設定しているのはもちろん理解できますし、事前に設定したルールをCaird氏の行為は若干はみ出してしまったこともわかります。
わかった上であえて言うと、この程度の修正は、今のデジタル時代にはホコリの除去と同程度のものとみなされても良いような気がします。
写真と一言で言ってもジャンルはいろいろあるわけですが、おそらく報道写真というジャンルは最も「事実性」を重要視し、捏造や合成といったものから遠いところに存在しなければならないものでしょう。
デジタルだからということではなく、写真というものは元来ウソもつけるし捏造もできるものです。写真に写っているものは本当に起きたことだ、本当にあったことだという前提は、本当の意味で写真を知らない人間の見方だと思うのですが、そのことと撮影者が捏造しても良いかという問題は全く別です。
場合によっては捏造しても良いし、場合によってはダメなのですが、報道写真の場合は完全に「捏造してはダメな」場合に分類されるでしょう。だからこそこのコンテストは厳格なルールを明記していたのです。
問題はその捏造(合成や修正)の線引きをどこでするかということです。僕が見る限り、今回のこの「藁を消す」という修正はイメージの捏造やウソを作るといったものには当たらないと思うのです。Photoshopを日常的に使っている人にはよくわかる話だと思うのですが、この修正にかかる時間は多めに見積もっても5分。そのぐらい簡単にできてしまう修正なのです。だからこそ、写真家もおそらくルール違反とは知りながら手を出してしまった。
少しの手を入れれば、写真の完成度が格段に上がるのが目に見えてわかっている。コンテストのルール上それはいけないことだとはわかっていながら手を出してしまう。そんな写真家の苦しい胸の内が見えるような気がします。
あ、あくまでルール違反してもいいじゃないか、という話ではありません。もう少し柔軟なルールがありそうな気がします、そんな話です。