Posts Tagged with: ラサ

4月
04

ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 14

posted on 4月 4th 2014 in 1995 with 17 Comments

14

その夜、輪郭がなにもかも暗くぼやけたようなゴルムドの街。どこをどう歩いたのか皆目見当もつかないような路地の奥。橙色の裸電球がぼんやりと照らす露天の古着屋に、ネズミ男は僕を連れて行った。

ひとかけらの迷いも見せずに「これを買え」とあいつが選んだものは、あちこちシミの付いてすり切れた中国人民軍のカーキ色のコートだった。300円也の古着を言われた通りに買いそのまま着てみると、その外見とは裏腹に、造りはとても頑丈で分厚いものとわかった。「軍用品だ」と実感したが、コート全体から発するかび臭さには閉口した。

さらに「これも買え」とネズミ男は帽子をひとつ差し出す。額の部分に赤い星のついた緑色の人民帽。ドラゴンボールのウーロンみたいだな、そう思いながら買った帽子をコートのポケットに押し込める。

そしてもう一軒。さらに路地の奥まった場所にある雑貨屋に行き、巨大なズタ袋を買えと言う。

「お前の鞄がダメだ。あの青い鞄をこの袋の中に入れろ」

声を低く落とし、油断無く周りに目を走らせながらネズミ男が言う。

「中国人に偽装しろ」と。

 「翌朝6時に迎えに行く」と小声で言ってネズミ男は路地に消えて行った。僕は帰り道に迷い、宿を探し出すまで2時間歩いた。

 (つづく)

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4月
01

ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 11

posted on 4月 1st 2014 in 1995 with 21 Comments

11

ゴルムドに到着したあの夜。

あの男は安宿の僕の部屋をノックした。少しだけ開けたドアの隙間からヌッと出てきたその顔は、マンガのネズミ男にそっくりだった。

これほどネズミ男に似ている顔が現実に存在することに驚いた。濁った両目が同時にギラついているようにも見えて不思議だった。ネズミ男が何やら話しだした。

早口の中国語で内容は全くわからないのだが、シージャン、ラーサといった単語が所々に出て来たので、夜の街へ遊びに行こうというお誘いでないことはすぐに理解した。僕が中国語をちっとも理解しないので、もどかしそうにネズミ男は紙とペンをポケットから取り出し、「西蔵」と書いてから僕の顔を指差した。

西蔵(シージャン)は中国語でチベットのことだ。

お前はチベットに行くのか?とごく単純なことを質問していたのだ。

シー(はい)、と答えると、ネズミ男は少し不敵な笑みを見せ、そのことで話がある、とばかりに身を乗り出した。もう喋って意思の疎通をはかることは諦めたとみえて、達筆でさらさらと紙になにやら書き込んだ。

 「汽車」「車票」「中國人」「外國人」。

日本語にすると「バス」「チケット」「中国人」「外国人」となる。ネズミ男は「バス」を指差し、そしてそのまま僕を指差した。「チケット」「中国人」を指差し、続けてネズミ男自身を指差す。「外國人」を指差してからまた僕を指し、そして右手の親指を人差し指と中指2本とこすり合わせた。「お金」を意味するジェスチャーだ。

そこに至ってやっと僕にもネズミ男の意図が分かりはじめていた。つまりネズミ男は僕を中国人専用バスに乗せたがっていたのだ。ネズミ男は淡々と説明を続けた。

曰く。

ラサに行くにはここ(ゴルムド)からバスに乗らなければならない。

バスには外国人用のものと中国人用のものがある。

中国人は外国人バスには乗れない。

外国人は中国人バスには乗れない。

外国人は中国人バスのチケットを買えない。

外国人バスのチケットは2万元、中国人バスのものは2千元。その差10倍—。

 10倍、の部分にアンダーラインを引いた後、「だからお前のために私がチケットを買おう。」

 要するに外国人である僕が買えない「中国人バスのチケット」をネズミ男が買い、それを持って僕が中国人バスに乗ってラサに行く。ネズミ男は4千元でやってやるという。要するにダフ屋。僕のメリットは言うまでもなくラサ行きのバスに格安で乗れること。

どうだ?どうだ?とネズミ男の強い押しに負け、つい「じゃあそうしよう」と頷いたのが僕の思慮の浅さだと後々気がつくことになる。このときはただ、格安のチケットが買えるならそっちのほうが良いだろう、と「貧乏旅行者」と銘の打たれた算盤を弾いたのだった。

 

 (つづく)

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3月
30

ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 9

posted on 3月 30th 2014 in 1995 with 20 Comments

9

白い光。

速度を落としつつ、バスはそこに向かって一直線に走っていく。

その光源に、バスのヘッドライトが届くぐらいの近さになってようやく、緑色の制服が目に入った。同時にそこが公安警察の検問所であることを知った。

少し息が早くなる。

バスを停めた運転手は、窓越しに公安のひとりと真面目な顔で話している。使い古したランタンを左手からぶら下げているので、さっきの白い光はこの警官が回していたのだろう。

ランタンの取っ手が揺れるたびに、小さくキィキィと不快な金属音がした。

 

周囲には10人ほどの公安が、無表情な顔でバスを眺めている。

僕は目立たないように、できるだけゆっくりとコートのポケットから緑色の帽子を手にとり、そっとそれをかぶり、座席に深く身を沈めた。

気持ちの悪い汗をかいているベトついた僕の肌が、さらに不快な熱を帯びる。

昨日の検問と同様に、公安のひとりがバスに乗り込んできた。

無表情で運転手と話し込んでいる。

顔を見せないように、ぐっすり寝ているようなフリをして俯いていても、意識は強く緑色の制服に吸い寄せられていく。

 

公安と運転手の会話が途切れ、エンジンも止まった車内はまったくの無音になった。外にいる制服組も、車内の乗客もだれひとり口を開かなかった。

緑色の制服は運転手の横に立ったまま、乗客ひとりひとりを仔細に眺めているようだ。時間がとてつもなく長く感じられる。

揺れるランタンだけがキィキィと鳴った。

視線をひと通り車内に這わせた後、公安は無表情なままささやくように、前列に座っていた乗客のひとりに何かを話しかけた。乗客も何事かを答える。

中国語なので2人が何を話しているのか、僕にはさっぱりわからない。ただこのとても静かな会話が少しずつ、不穏な空気を孕みはじめたことには気がついていた。

 

 (つづく)

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3月
27

ラサに行ってもいいですか? | 偽装中国人バスの旅 7

posted on 3月 27th 2014 in 旅の記憶 with 19 Comments

7

僕はコートのポケットから薄っぺらい雑誌を取り出し、ページに目を落とした。

内容まで薄そうな、中国語の芸能誌。

全く読めないその雑誌を、僕はずっと読むフリを続けていた。その雑誌は周囲から僕を守る盾だった。読むフリをすることで僕は周囲にひとつのサインを送っていた。

僕は中国語はわかる、でも誰も話しかけるなよ、というサインだ。

 

その雑誌はこのバスに乗り込む直前、ネズミ男が僕に手渡したものだった。

「席に着いたらこれを読むフリをしていろ。周りの乗客とはひと言も話すな。運転手とも話すな。いいな。」ネズミ男の意図を要約すると、そういうことになる。

そして僕はその掟を忠実な下僕のように頑に守っている。

あと何日かかるかもわからないこのバスで、無言の行を貫き通すのはなかなか骨が折れる。しかし僕にはそのバカげた掟を守り通さなければいけない理由があった。

「守らなければラサには到着できない」

ネズミ男にそう告げられていたのだ。

 (つづく) 1234 本文を読む

8月
02

チベットに行ってもいいですか? 6

posted on 8月 2nd 2011 in 1995 with 0 Comments

のつづき)

うとうとと眠くなる。

出発してからこのかたきっちり眠れていないので、昼間にも睡魔がやってくる。高度のせいで徐々に酸素が薄くなってきているのだろうか。少し、頭が痛い。

窓の外にはヤクの群れが緩慢な動きで草を食んでいる。チベット帽をかぶった少年が数人、投げ縄の練習をしているのが遠目に見えた。圧倒的な大自然の表面に、小さな点のようにへばりついている人間の暮らし、それが窓から徐々に見えてくるチベットだった。

もういちど、ゴルムドのあの男と出会ったときを思い出していた。僕がゴルムドに到着した夜、あの男は安ホテルの僕の部屋をノックした。少しだけ開けたドアの隙間からヌッと出てきた顔は、マンガのネズミ男にそっくりだった。これほどネズミ男に似ている顔が実際に存在することに驚いた。

ギョロッと両目を光らせて、ネズミ男が何やら話しだした。早口の中国語で内容は全くわからないのだが、シージャン、ラーサといった単語が所々に出て来たので、夜の街へ遊びに行こうというお誘いでないことはすぐに理解した。僕が中国語をちっとも理解しないので、もどかしそうに男は紙とペンをポケットから取り出し、西蔵、と書いてから僕の顔を指差した。

西蔵は中国語でチベットのことだ。お前はチベットに行くのか?とごく単純なことを質問していたのだ。シー、と答えると、ネズミ男は少し不敵な笑みを見せ、そのことで話がある、とばかりに身を乗り出した。もう喋って意思の疎通をはかることは諦めたとみえて、達筆でさらさらと紙になにやら書き込んだ。

突然、脇腹を小突かれて、ネズミ男の回想は中断された。揺れるバスの中、隣席の男が中国語で話しかけていた。やはり何を言っているのか理解できないが、この様子だとおそらく何度か話しかけ、僕に反応がないことに少々いら立っているようだった。脇腹が少し痛んだ。

僕は男と目を合わせたが、それ以上は何も反応を返さなかった。男が発した言葉は虚しく宙を漂っていた。僕に無視された格好になった男はさぞかし不愉快な気分だろうと想像したが、男はそれほど気にするふうでもなく、ちょっとだけ肩をすくめ、足下に置いた自分のカバンをゴソゴソと漁り始めた。

出発してから何度もこんなことを繰り返している。もちろん本心からのことではない。僕の方こそ、周りの乗客に話しかけ、ここはどこなのか?目的地まであとどのくらいなのか?検問はあといくつあるのか?訊きたいことは山ほどあるのだ。

だが今の僕は、そのうちのひとつも尋ねることはできなかった。それどころか、中国語が「わからない」ことを周囲に悟られてはいけなかった。それがネズミ男のもうひとつのルールだったからだ。

(つづく)

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チベットに行ってもいいですか? 2


チベットに行ってもいいですか? 5

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8月
01

チベットに行ってもいいですか? 5

posted on 8月 1st 2011 in 1995 with 0 Comments

(4のつづき)

僕はタイミングを計っていた。

車内には乗客達が戻り始め、外には運転手を含め4、5人が残っていた。最後のひとりが食事を終え店を出たとき、できるだけ目立たないようにしかし速やかに、僕はバスの外に出た。片手にほぼ空の瓶を持ち、そのまま一直線に店に向かい、食料品店のカウンターに並んでいるものを大急ぎで物色した。

残念ながらそこには充実した食事になり得るものは一切なく、ただただスナック菓子やガムやタバコが置いてあるだけの貧相なものだった。その中からビスケットというよりは乾パンに近いような包みを3つ手に取り、黙って中国元の札をカウンターの中のおやじに手渡した。傍らに置いてあるポットに入ったお湯を、僕のお茶の瓶に移す。これでまたしばらくお茶には困らないだろう。

そそくさと店を後にしてバスに向かうと、もう僕を除く全員が車内に収まって、僕が乗車するのを待っていた。
乗客達が温かい食事を取っているときにはバスから降りようともしないで、皆が出発する頃になっていそいそと乾パンだけ買いに行くような男を、やはり大半の人間は怪訝な表情で見守っていたようだ。それも今回が初めてではなく、出発以降、食事時には似たような行動を繰り返している。そろそろ周りの乗客の好奇心もかわせないほど大きなものになってきているのかもしれない。それでもバスの後方に位置する僕の座席に戻るまで、誰も僕に話しかけて来なかったのは幸いだった。もし話しかけられていたら、僕はそれを無視しなければならない。何も聞いていないかのように、無視しなければならないのだ。

バスはまた走り出し、揺れる車内で乾パンとお茶の朝食を素早く済ませた。乾パンは味がしなかった。車内は相変わらず暑かったが、コートは脱がなかった。窓から差し込む朝日がジリッと肌を焼いたような気がした。チベットの太陽だ、と思った。空が近いのだから、太陽だって近いんだ、と妙な理屈にひとり心の中で頷いた。

(つづく)

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チベットに行ってもいいですか? 2

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1月
20

チベットに行ってもいいですか? 2

posted on 1月 20th 2011 in 1995 with 0 Comments

(1のつづき)

座席は隙間なく乗客で埋まっていた。

チベットに向かうバスにも関わらず、チベット人は乗っていないようだ。見渡したところ僕を除く全ての乗客が中国人のようだった。エンジン音だけが響き渡る無言の車内で、僕はまた浅い眠りに落ちていった。

どのぐらい眠っていたのだろうか、不規則なエンジンを吹かす音で目が覚めた。バスは停まっていて、さっきまでいたはずの乗客たちが車内から消えていた。運転手はハンドルを握り、アクセルを踏み込んでいる。エンジン音にタイヤが空回りする音が混ざる。

前方の開いているドアから外に出る。汗ばんだ肌が冷たい外気に晒されて急に冷めてくる。乗客たちはバスの後方に集まりひとつの固まりのようになっていた。どうやらタイヤを砂に取られスタックしてしまったようだ。バスの窓から漏れるぼんやりとした光を頼りに僕もその固まりに加わった。タイミングを合わせて力を入れる。20回ほど繰り返して、やっとバスは砂を蹴って動き出した。

乗客たちは無言でバスに戻る。旅が始まってまだ1日も過ぎていないうちに、誰もが疲れていた。僕も座席に戻り、堅いシートに身体を預けた。そしてまたバスは不規則に揺れ始めた。

外に出て冷えきった体がすぐにまた熱を帯びて来る。足下から熱気が上がって来ているのだ。座席に座った僕の両足の間を、銀色の鉄パイプが這っていて、出発してからずっとこれが熱気を放っていた。どうやらこの鉄パイプが車内の暖房の役割を担っているようだ。鉄パイプはおそらくエンジンのどこかに直結していて、その熱をぐるりとバス全体に拡散する仕組みになっているのだろう。

この暖房が、出発してからこのかた、暑すぎるのだ。

ゴルムドを出て早々、周りの乗客はコートを脱ぎシャツの腕をまくった。僕もそうしたかったし、そうすべきだったのだが、出来ない理由があった。

ゴルムドのあの男と僕だけしか知らないルールがあったのだ。あいつが大真面目に僕に課した厳格なルール。そのひとつが、「コートを脱いではいけない」だった。

出発前夜、どこをどう歩いたのか皆目見当もつかないような路地の奥。裸電球がぼんやりと照らす露天の古着屋にあの男は僕を連れて行った。

あっさりと「これを買え」とあいつが選んだものは、あちこちシミの付いてすり切れた中国人民軍のカーキ色のコートだった。300円ほどの古着を言われた通りに買いそのまま着てみると、その外見とは裏腹に造りは大層頑丈で分厚いものとわかった。軍用品だ、と実感したが、コート全体から発するかび臭さには閉口した。

僕は忠実に男とのルールを守り、そのコートを一度も脱いでいない。半日経った頃には身体から饐えた匂いが漂い始めていた。

(つづく)

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