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アボリジニとオーストラリア 2

posted on 11月 11th 2015 in 旅の記憶 & 毒にも薬にもならない with 0 Comments

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この文章は「アボリジニとオーストラリア」の続きです。

 

つまり担当者の言葉を平たく言うと以下のようになるだろう。

「私たちはアボリジニの文化を尊重したい。そしてその文化を内外からのお客さまに理解して味わってほしい。そのためには可能な限り本物志向(authentic)でいきたい。ディジュリドゥはもちろんアボリジニ発祥の楽器だが、沿岸部の部族が使っていた楽器で、ウルル周辺の部族は持っていなかった。そういった意味では歴史考察上、ディジュリドゥ+ウルルはこの時代の作り物(fake)になってしまう。よって、写真は撮ってもよいが発表はして欲しくない。」

わかるといえばわかるのだが、なんとなくチグハグな感触を、担当者のこの論理には感じてしまう。

身も蓋もない言い方をすれば、表に出したくない、または出せないと思うものは現地でも出さなければ良いんじゃないのかとつい思ってしまう。

 

ウルルを背景にしてのディジュリドゥの演奏は、歴史としては偽物なのかもしれない。(歴史のどの時点をもって真で偽なのかはまた別の問題で残るとしても。)

ただ彼ら観光局の人々が言う意味で、本物(authentic)のみを見せたいと願うのであれば、無理をしてウルルの前でディジュリデュの演奏を見せる必要はないんじゃないのかと疑問に思う。つまり、観光局(≈政府≈白人社会)の「本物のアボリジニ文化を見せたい」という意気込みが、少々滑稽に感じるほどチグハグなように思えて仕方ないのだ。

そしてそんなチグハグに感じる状況に、最初にも書いたように僕は決してネガティブな感想を持ってはいない。むしろその熱意のみが先行しているような双方の手探りの時期が、とても微笑ましく感じて、そして同時に悲しくもあった。

微笑ましく感じたのは、なぜなら白人社会がアボリジニ文化の深さと価値に気づき、過去を改め、一生懸命、鼻息も荒くアボリジニの文化に寄り添おうとしているのを見て取れたからだ。なにしろ200年以上にわたる、この国が行ってきたアボリジニに対する残酷と言っていい仕打ちに関して、公の場で時の首相が謝罪するという出来事が、まだたった7年前のことなのだから。(2008年2月のラッド首相の演説にて)

エアーズ・ロックが白人が付けた名前だからという理由で、ウルルというアボリジニの呼び名に改称されたのはそのような意識の表れであるだろう。今はまだお互いがお互いをどう扱って良いのかわからないような、ぎこちない時期であるのだろうと思うのだ。

悲しくもあったのは、なぜなら鼻息も荒いそのチグハグさも、元をただせばとても残酷な、アボリジニを人間扱いすることのなかったオーストラリアの歴史の上に立つものだからだ。極論すれば、現在その赤い大地の上に立つ全ての者の足元には、人として扱われることのなかったアボリジニの悲しみが横たわっていると言ってもよいだろう。「アボリジニの文化を守る!」と白人社会が鼻息荒く叫ぶのも、加害者としての後ろめたさがその背中を押しているという側面ももちろんあるだろう。彼らにとっては贖罪なのだ。

そして一度そのような歴史を歩んでしまった両者に、「あるべき自然な姿」が一体どのようにあるべきか誰にわかるはずもない。そのチグハグさは恐らく今日もまた繰り返されているだろうと想像し、それが両者が歩み寄ろうとする過程でのぎこちなさという意味で微笑ましく、一言で「歩み寄る」と言うには両者ともに遥か遠くまで行ってしまった、その距離を思い悲しくもある。

(終わり)

 

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石川拓也 写真家 2016年8月より高知県土佐町に在住。土佐町のウェブサイト「とさちょうものがたり」編集長。https://tosacho.com/