ある日のできごと 4
(3のつづき)
翌日は朝早くから自転車に乗って街の中心部へ向かった。
家を出てすぐ、見慣れた街の空気が変わってしまっていることに気づいた。道を行き来する人々は一様に不安と悲しみを顔に張り付け、それが街全体を覆う重い空気を形作っていた。
僕は当時ブルックリンに住んでいたのだが、ブルックリン・ブリッジは通行止めになっていて、仕方なくもっと北のマンハッタン・ブリッジを渡った。友人と合流して、南へ向かう。重い空気の中、街がざわめいているのを感じた。
報道の通りに、ハウストン・ストリートにはテープが貼られ、ここより南には立ち入れないようになっていた。
テープの前には大勢の人間が集まり、南にあったはずの高層ビルを見つめていた。数百人の人間がそこにいたと思うのだが、みながみな極端に口数が少ないので、気味が悪いほど静かな群衆だった。
ただ商魂逞しい人間はいるもので、畳一畳ほどもある大きな星条旗を車に山ほど積み込み、一枚30ドルだかで売りさばいている男もいた。なんだって商売にしてしまうその図太さに感心と少しの苛立ちを覚えたのと同時に、もしかしたらこの街の人間ではないのかもしれない、と理由もなく思った。
群衆の中を歩いていると、そこにブラジル人の友人の顔を見つけた。彼も同時に僕に気づき、お互い歩み寄って無事を確かめあった。ふだんはいつもヘラヘラして、ふざけたことしか言わないこの男が、両目にうっすらと涙を浮かべながら握手した手を痛いほど握りしめて来たのを今でもはっきりと覚えている。
できるだけ迂回して街を見ながら、ゆっくりと家に戻るといくつかメールが届いていた。ひとつひとつ開いてみると、その中に関西に住む友人からのものがあった。
メールの中で友人は、人を捜してほしい、と書いていた。私の友達の婚約者がちょうどそちらに出張中で、事件があってから連絡が一切途絶えている。彼女は倒れるほど心配しているが現地に頼める人もいないので、できるだけ捜してもらいたい。婚約者は日本の銀行員で、その銀行はあのビルに入っていた、といった内容のメールだった。
できるだけのことはする、と友人に返信して、明日、行方不明者捜索センターへ行こう、と決めた。
(5につづく)