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御歳82才のドキュメンタリー監督、フレデリック・ワイズマンが来日した際に撮影する機会に恵まれました。1930年生まれ!
年齢と経験を重ねた人物と向き合うのはいつでも非常に楽しいもので、深く刻まれた顔の皺ひとつひとつに、いくつもの時代を生き抜いて来た強さを感じます。
82才にして未だ現役、その事実そのものが大きな事を語っていますね。
撮影した写真をワイズマン監督に見せると予想以上に喜んでくれました。こちらとしても素直にうれしい。後日、配給会社の方を通じて監督からこんなお礼状が届きました。
やられた、、、。このおじいちゃん好きだな。
映画「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」が6月末から公開です。
Fortunately I had a chance to take photo of A documentary film director Frederick Wiseman while he stayed in Japan. …
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この正月休みに、今まで撮影してきた写真を大々的に整理しました。
ウェブサイトを根本から作り替える際に、過去のフィルムを一斉にデジタル化する必要に迫られたのです。
カメラを持ったばかりの頃のフィルムから最近までの写真が全て順不同に詰まった箱をひっくり返して、写真の海の中を泳いでいるような1週間を、年始早々過ごしていました。
昨年引っ越しをした際にも感じたことですが、長らく放置していたものを整理することは実際にやってみると想像以上にエネルギーを必要とするもので、まずどこから手をつけようかと考えるだけでも頭からケムリが出てきそうな状況でした。
それでも過去の写真を遡って一気に目を通す、というのは非常におもしろい経験で、一枚の写真を目にしたことがきっかけで、心の奥底に沈殿していたような記憶が次々に蘇る、ということが連続して起こります。
すべての写真はドキュメンタリーだ、という言葉がありますね。
写真というものは、その人間がその瞬間目の前にしていた光景の記録であり、同時に写真に写っていない、フレームの外側の記憶でもあります。
このフレームの外側の記憶というのはなかなか言語化して伝えるにむずかしい部分ではあると思うのですが、撮ってる本人にとっては意外と大事な部分だったりします。
あ、このときこんなこと考えていたんだよなとか、この写真撮ってる自分のうしろでは大勢の人が集まって見物してたな、とか、とうの昔に過ぎ去ってしまってふだんは意識の上に上がってくることのないこの種の記憶が、一枚の写真を見ることで続々とわき上がってきます。
そういった記憶や、もしくはそれにひと続きで繋がっているそのとき持った気持ち、感情なんかは、写真を見る側の人にとってはまったくとらえどころのない部分だったりするのでしょうが、それが伝わらないわけでは決してなく、実はそういった説明不可能な記憶や感情を、説明不可能なまま写真から受け取ってたりもします。
そしてそういった説明不可能なものは言語化できない、もしくは非常にしにくいので、それでも人が説明しようとすると、「なんとなく」みたいな言葉になるわけです。
「きれいなんだけど、なんとなく怖い」「よくわかんない。でもなんとなく好き」
写真を見た人がよく口にするそんな言葉の、なんとなく以降は、言語化できないものを受け取った証と、ぼくは受け止めています。
そして人の心の奥深くに爪痕を残して行くような写真というのは、どんな衝撃スクープや超絶技法のライティングなどよりも、こういった「説明できないよくわからないもの」がはるかに雄弁に語っているものだったりします。
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ず〜っとやろうやろう、と思っていたウェブサイトのリニューアルをしました。覗いてみてください!
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8mmカメラにハマっている。
40年ほど前に作られたカメラを手に入れて、初めてフィルムを回したときは、こちらの思いのままにならない、そのわがままさ加減に驚いた。
なにせ古いものなので、フィルムを数本分撮ってみるまではどんな絵になるのかイメージできない。
まずホントに絵が撮れるのか、というところから始まって、露出の正確さや、逆光に弱いとか、暗部に弱いとか、いろいろな状況で撮ってみて、ちょっとずつ感覚として把握していく。
これはきっと写真のカメラでも同じことだろうが、8mmカメラの場合は、その把握していく過程で壊れてしまうのだ。
エルモというカメラをインドに持って行ったときも、3分ばかりのフィルム一本撮ったところで、ふてくされて動かなくなってしまった。
暑い車内にしばらく放っておいたから怒ってしまったのか、いくら話しかけてもうんともすんとも言ってくれない。
写真のカメラ、たとえばライカやコンタックスは同じ状況でも機嫌を損ねないので、エルモが気難しい、繊細なカメラだったのだろう。
* * *
基本的に8mmカメラは修理できない。
もう作っている会社が存在しない場合が多いし、がんばって治そうとするとものすごい金額になったりする。
なので、また中古の安いものを手に入れるわけだが、これで再び何本か撮影してカメラの性格を把握し直さないとならない。
そしてその把握する過程でまた動かなくなる。
そういう不毛な繰り返しをすでに三度繰り返している。
なんでこんな面倒くさいものに手を出したのかと自分でも不思議だが、思いのままにならないというのがちょっと面白かったりする。
こんな感じで撮れてると思うんだけど、というイメージをガタのきた8mmカメラは見事に裏切ってくれる。
こんなはずじゃなかったのに、というマイナスの場合も多々あるのだが、たまにこちらのちっぽけな意図を圧倒するような、気持ちのよい裏切りを披露してくれることもあって、そのときの感覚は撮ってすぐ確認できるデジタルではなかなか味わえないものだ。
昔は写真のカメラも壊れやすくて、フィルムも品質が安定していない時代があったらしい。
そんな時代にスペインの闘牛を撮り続けていたある写真家の話を聞いたことがある。
その男は10数年熱心に写真を撮り続けた後、ある日いきなり写真そのものを辞めてしまったのだが、なぜ辞めたのかと理由を訊ねた知人に対してこう言ったという。
「カメラもフィルムも進歩して、シャッターを押せば写真が撮れる時代になったから」
自分の意図通りに撮れるかどうかといった話以前の、フィルムの質が安定しないので画が撮れてるかどうかすら心許ない。写真がそんなメディアだったからこそ、その男は写真を撮り続けていたのだという。
8mmを触りだしてから、この男の話をやたらと思い出す。
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強い写真には、どこで出会うかわからない。
当たり前だが、これほどの量の写真に日々晒される生活は、ここ十年ほどの時代を生きた人間以外に前例がないだろう。
横丁の、角を曲がればお店の壁に広告の写真が貼ってあって、といったことは昭和の初期からあったのだろうが、ネットに繋いだ瞬間に、望みもしない多くの写真を見せられる、なんていう経験は、この頃以前の人間は持つ必要がなかったはずである。
ユビサキだけでクリックすれば、今日の晩ご飯やセクシーなお姉さんや新発売のスポーツカーなんかが我も我もとこちらの目に脳に飛び込んで来る。その副作用は一体どういうことになるのか、なんていうことは全く想像もつかないが、なんの縁だか写真というものを生業にしている身としては、おもろい時代になったなあ、と思わずにはいられない。
そんな時代なのに、というよりも、そんな時代だからこそ、目にした瞬間に内臓をわしづかみにされてしまうような写真に出会うことが割合としては少なくなってきている気がするのだが、反対に、意図していない瞬間に、とんでもなく強い写真に出会ってしまい、心の準備もないままに五臓六腑を引きずり出されてしまうような、快とも不快とも言えないような経験をすることがまれにある。
ヒマラヤやチョモランマ関係の調べものをしている最中に、久しぶりにそんな経験をした。
登山家であるジョージ・マロリー(George Mallory)を撮影した写真である。まだチョモランマの頂上に人類が到達していなかった頃、1920年代に活躍したイギリス人で、マロリー自身、21年、22年、24年と3度の挑戦を行った。結果を先に言ってしまうと、その3度とも頂上の踏破は叶わず、人類初の登頂は1953年のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイまで待つことになる。
マロリーは24年に行われた3度目の挑戦で、サポート役のアンドリュー・アーヴィンと共に行方不明になり、帰らぬ人となってしまった。頂上に最も近い第6キャンプから、二人が頂上に向け登って行く様子を見つめていた遠征隊員のひとりであるオデールの目撃証言を最期に、ふたりはこの世からいなくなってしまったのである。
ふたりの生存に関しては、キャンプに戻って来ないことからも絶望的と思われたが、そこでひとつの謎が残された。
ふたりが行方不明になったのは、登頂を果たした後なのか?それとも頂きに達する前なのか?
果たして、ふたりは頂上を踏んだのか?
今となっては確認をとる術もなく、謎は謎としてヒマラヤの氷の中に永遠に凍結されることになる。「頂上を踏んだら妻と娘の写真をそこへ置いて来る」と言い残していたその写真も、後の登頂者に発見されることはなかった。
Chomolungma/Sagarmāthā
そしてそれから75年という歳月が流れた1999年、アメリカ隊によって頂上付近でうつぶせになったマロリーの遺体が発見される。遺体や遺品の状況等が調べられたあと、マロリーは隊員たちの手によって葬儀、埋葬されるのだが、発見時の大きな記録として撮影された写真が、今回僕が偶然目にしたものだ。
8000m級の山の頂上付近という特異な気候条件の下、75年が経ちながらも遺体は白骨化していなかった。うつぶせになって瓦礫に頭部を埋めている遺体は、破れた服から背中をむき出しにして晒している。何故だか色素が抜け落ちてその肉は真っ白になっている。垣間見える服装や装備は現代からは信じられない素朴なもので、鋲を埋め込んだ靴底なんかも、山には素人の僕でさえ多分に心細くなるほどの古めかしさだ。
予期しない形でこの写真に出会ってしまった僕は、前人未到の頂きに挑戦し、命を落としてしまったマロリーの無念さや勇気や強さや、ベースキャンプで待ち続けたオデールたちの歯噛みするような悔しさや、戻って来ると信じて疑わなかったマロリーの妻や子供たちの言いようもない哀しさや、そういう言葉にできもしないたくさんの人々の想いをふいに眼前に提出されたような気になって、ぐっと息を吐いたまま、しばらくの間、目を離せなくなってしまった。
写真家が写真家として撮った写真を論ずる以前の、根本的な写真の強さがそこにあったように感じたのだ。
写真とは主要な芸術の中でただ一つ、専門的訓練や長年の経験をもつ者が、訓練も経験もない者に対して絶対的な優位に立つことのない芸術である。
そんなことをある思想家が書いていたのを読んだことがあるのだが、マロリーの写真を撮ったのが経験を積んだ写真家か否かはさておいて、現実に対する視点や解釈を根こそぎ圧倒してしまう、そんな巨大な事実の前では、訓練や経験なんかは毛ほどの意味もなく、だからこそこのような事実の前に立ち向かうためには写真という手段は飛び抜けて強力なものなのだ。言葉を換えれば、写真というものは、撮影者の訓練や経験や技術といった、本来は媒介になるための重要な要素をことごとくいとも簡単に飛び越えて、目の前の現実と直結してしまう。写真はときにウソをつく、といった問題はまた別にあるにしても、目の前に広がる現実は、それが圧倒的なものであれ些末なものであれ、カメラの前では腹を見せた子犬のように素直で素朴なものになってしまう。
行方不明になったとき、マロリーは一台のカメラを持っていた。当時としては最新鋭の、コダック社製のブローニーフィルム用のポケットカメラだ。そのカメラと、もしかしたら撮影済みのフィルムが見つかれば、永遠と思われていた謎が解けるのではないか、つまり、マロリーとアーヴィンが頂上で写真を撮っていれば、登頂の確たる証拠になるだろうと思われていたのだが、幸か不幸かマロリーの遺品の中にはカメラもフィルムも含まれてはいなかった。
「カメラが発明されて以来、写真はいつも死と連れ立っていた。」
さきの思想家はそういえばこんな言葉も残していた。
ヴェストポケット コダック(Vest Pocket Kodak)という名のそのカメラは、未だに発見されていないアーヴィンとともに、今もヒマラヤの氷の中に眠っているのだろうか。
参考文献
そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記
posted with amazlet at 15.11.17
ヨッヘン …
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