神さまがくれた花 3
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スワミナライの寺はアーメダバードの市内にあって、驚くほど空港に近かった。
門を入るとすぐ履物を預けるようになっていて、裸足にひんやりとした大理石が心地良い。一歩境内に入ると空気が変わる。外のホコリっぽい混沌とは全く別の時間がそこには流れている。
信者たちはすでに数百人集まっているという。地元アーメダバードからも、インド国内からも、外国からも、信者たちは「神さま」に一目会いたくてここにやってくるという。
そう、スワミナライのスワミ神はここアーメダバードに住んでいる。アーメダバードのこの寺に住んでいて、急な体調不良でもないかぎりはほぼ毎日、境内に降りてきて信者たちにそのお顔を見せるという。
神さまの降臨を待つ信者たちの列に加わり、腰を下ろす。ダダが周りに口をきいてくれて、最前列に席をもらった。
見渡すと、おそらくすでに4~5百人は集まっているんじゃないだろうか。
宗教施設だからなのだろう、男女別々に席が決まっているので、僕の周りは男ばっかりおっさんばっかりだ。僕も含めておっさんと呼ばれてしかるべき年齢層が主なのだが、自分の信仰する神さまに会えるという歓びからだろう、みなとてもウキウキ楽しそうだ。
数百人のおっさんたちが、一様に少年のように両目をキラキラさせている様子、と言えば伝わるだろうか。
「みんな映画スターでも待っているようだね」
隣のおっさんにそう話すと、「はるかにそれ以上だよ」と一笑された。
それはそうか、神さまだもんな。
そんなことを僕が考えているうちにその時間が訪れたようで、周りの大人たちが姿勢を正し始める。
僕も倣ってひんやりとした大理石の上で背中をのばす。
寺院を正面にして左手の建物のドアが開き、車いすに載ったおじいちゃん神さま、プラムック・スワミその人が現れた。
数人の弟子に車いすを押され、ゆっくりと群衆の中に降臨した。
神さまの降臨を目の当たりにすると、群衆は一斉にかけ声をかける。
「なんとかかんとか、ディージェイ!」と何を言っているのか僕にはわからないのだが、神さまに対する賞賛や祈りの類いであることは間違いないようだ。
この瞬間、この上機嫌の群衆のテンションがもう一段、一気に高まった。
全身にビリビリと感じる。こういうのって目ではなくて肌で感じるものなのだ。言葉にするなら法悦とか恍惚とかそういった状態。
たしかにこれは映画スターなんてもんじゃない。
でもこの状態をうまく伝えられる良い例えもない。
(「神さまがくれた花4」につづく)